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日々徒然に

今日はどんな一日で明日はどんな日にしよう?
 今日があることを感謝。
  あしたを考える一日をつくりたいね……

春はあけぼの・・・とはいってもコロナ禍です

2021年03月14日 | Weblog

 こんにちは。
 寒い寒いと毎日ぼやきながら、ポケットに手を入れて歩いていた日々でした。通勤の朝、まだ街灯が点灯しているなか季節は寒さだけが通り過ぎていきました。少しずつ、日の出がはやくなるにつれ通勤路で頭をあげれば杏子の花が咲いていました。電車の窓からは遠くにもくれんが天に向かって真っ白い花を咲かせていました。
  コロナ禍の中、季節感が一年中マスク着けている中で早く通り過ぎていくようです。それでも、自然は四季折々の植物が花を咲かせていました。コロナに負けまいとそのたくましさは目をみはるばかりですね・・・。



 春がやってきて、コロナ禍であろうと人間の利益を追求することは止むことがないようです。
  企業では、春になると、席替えならぬ異動があります。これまでの働き方や性格を考えた結果なのでしょうか。会社に勤めて退職するまで、一人の人がどれだけ異動をするのでしょうか。たくさんの職場を経験することで会社の内容や流れを経験させるとうことなのでしょう。そのことで、昇進や降格が一人の人生を変えてしまうほどになることにあります。ある意味、春はサラリーマンにとっては「残酷な季節」にも思えます。

  また、春には「新規採用」の季節でもあります。学生時代は先輩風をふかせてきた人でも、会社にはいりたくさんの人たちに囲まれれば若造です。右も左もわからないまま仕事は待ってくれません。上司の指示通りやっていて両手でかかえても持ちきれないほどの仕事に圧倒されてしまうのが現実のようです。そこで他人の意見を取り入れつつ自分の独自の工夫をもって仕事をクリアーしていく技術を身につけることなのでしょう。
 あげくの果てに「風呂敷残業」ならぬ自宅で仕事を消化するはめになります。さらに最悪なのは「ブラック企業」でも騒がれている「残業代未払い」をやってしまうこともあります。「仕事が好きだから」ところではなくなって心身障害を起こして「過労死」にもなりかねません。
  そんなとき大切なことは「相談できる人」がいることでしょうか。仕事をどう片づけていくのか、お互いがかかえている悩みを話せるひとがつくれるのでしょうか。仕事と同時に大切なことが、話せる人をつくることだと思います。いや、仕事以上に大切なことです。その人がどれだけ力になってくれるか、仕事が片付いたときつくづく感じることでしょう。

  とうとう私は「再雇用」(65歳まで)になって最後の年となりました。
 最近、私より数カ月はやい誕生日の人が「再雇用」が終り辞職してきました。彼と一緒に仕事をしたのは2~3年くらいでした。そして、再雇用同士になって職場離れた場所であったために話すことも減りました。電話のついでに日々の安否を語るくらいでした。彼は、もう永遠に会うこともないでしょう。会っても、お互いが死んだときぐらいでしょうか。彼は、これからいったいどんな人生を送っていくのでしょうか・・・。孫の顔を毎日見るのも楽しみにしているとも言っていましたが、さてどうするのでしょうか。遠い紀伊半島に住む知人は、夫婦そろって農業をやっているようです。最後は土地をもっている人は強いですね。
 
 まだ私には再雇用という務めがあります。それでも「異動」があって仕事をこなしていくしかないようです。若いころのように手伝って相談する人もいなくなった職場です。とうとう「窓際族」になっていました。おそらく、相談することといったら、職場の人よりお客さんとの打ち合わせくらいでしょうか。あとは、自分で適当に判断して進めていくしかなくなりました。いまとなっては、若い人たちの元気な姿をみて自分の仕事を片づけて行く日々になっていくのでしょう。
 「去る者は日々にうとし」という言葉を思い出しました。いずれは、だれにだって一人にもどっていくのでしょう。ですから、それまで多くの邂逅のなかに自分を思い出していくしかないようです。それが、短いかもしれません。決して「仕事が好き」なんてばかなことを言う再雇用者にならないために生きていくしかありません。最後に働く者としての矜持をまっとうしていくしかありません。そのことが、これまでもこれからの全て見方、考え方をつくっていくことになるということだと思えます。
 
『スマホのなかみ』
何を夢みている
スナホをみつめるその先に
どんなリアルをさがしているの
一線にならんだその電波のなかに
今日も暮れていく・・・
【さがしものはなんでしょうか】
 通勤電車の乗客およそ8割の人がスマホを必ずのぞいている光景をみる毎日です。なにをそれほど見るものがあるのか不思議に思うことがあります。職場までのちょっとした時間をそんなに見るほどのことがあるのかなー、と思う毎日です

 春です。木々も花も色をそえていっせいに咲き始めています。桜の花も咲き始めるころでしょうか。春は、生きとし生けるもののとっては息吹を引き出す季節といっていいでしょうか。花の数ほど人の数も多くみる季節でもあります。それは、人間も自然のなかのひとつの生き物としてあるからでしょうか。人も木々も花も鳥もたくさんの生きとし生きるものの踏み出す季節となっているのかと思います。

 今年はコロナ禍であまり季節の変わり目を感じなくなってしまったように思えます。「緊急事態宣言」も未だ思案中のなかです。人もウイルスもこれからが本番みたいなところではないのでしょうか。さらに、コロナ変種も出てきています。ウイルスも生き物として春をむかえているということなのでしょう。
 春の中に多く目にするものは今年はどんなものでしょうか。



 さて今週は、東日本大震災が10年前にあった日だからでしょうか、関連するニュースや新聞記事をたくさん見たり読んだりしました。
 そんな中で、「10年前どこにいた?」という記事がありました。
 2011年3月11日(金曜日)の午後ですから、わたしは、会社で働いていたのでしょうか。老朽化したビルのなかで仕事をしながら余震に驚いて、外へ出たり入ったりしていました。夕方に外へでて道路をみてみたら、まるで車が道路に数珠つなぎで、川のようにゆっくり動いていました。
 けっきょくこの日は、都内の公共交通機関が「計画運休」などで止まっていました。家に帰れず、会社に宿泊した日でした。お客も帰ることができず、一緒に近所のコンビニで食べ物を買ってきていたようです。
 最後は、校正室に集まってお客と震災後の数時間の様子をテレビをみていまいした。周りを見渡せば、責任者たちがいつのまにかいなくなっていました。これには、あきれてしまいましたが・・・。
 こんなときに、よくその人の対応によって性格があらわれるように思えました。ひどい人たちだなー、と思いながら翌日、動き出した電車で帰りました。日頃「チームワークで・・・」などと言っていた経営陣が一斉にいなくなった経営陣の顛末にはあきれました。

 その後も、通勤はうまくできす、路線のちがうバスに乗ったり、歩いたり、と通常とはちがう通勤生活が一週間ほど続きました。
 ビルは、壁にひびが入り、一年後は今のところに引っ越しすることになった年度でもあります。
 ラジオをよく聞いた年でもありました。10年前である。


 最近は何をするにも「ひと呼吸」をしながら片づけている毎日になっているように思います。あわてても仕方がないよなー・・・と思いながら目の前の仕事は焦って片づけていて、フト!あわててもろくなことはない、と・・・。
 ところで、コロナウイルス禍で世界中は影響を受けているところです。それでも、大国は覇権をめぐって動いているようです。なんとも、あさはかだなと思っていますが、これが現実で人間の強欲な一面なのでしょうか。それがあるから、豊かになっている面もゆがめないことはわかります。それでも、今やることは、一国の利益や権力闘争ではないのでしょう。
 そんなことを思いながら、今週も遅い更新となりました。日付は14日(日曜日)ですが実際は、週のまんなかあたり忘れたことを思い出したように更新しています。
 まあ、ボチボチまた行きます。
 人もウイルスも変われる・・・。変異ウイルスにも注意いていきましょう。
 読んでくれた人、ありがとうございました。


「緊急事態宣言」が延長になりました・

2021年03月07日 | Weblog

  こんにちは。
 少しずつ寒さと温かさの繰り返す日々がやってきました。お天気がいい日は春が近いことがわかるようになってきました。コロナ禍であっても季節は着実にすすんでいっています。
 散歩の途中にモクレンの花が咲いていました。葉が一枚のないなか花だけがさきに春の近さを感じさえてくれる花です。その寿命が1週間から2週間ぐらいでしょうか。いっきの咲きます。杏子の花も咲いていました。
いまだの冬のような気配が残っているのは「政治」の世界なのでしょうか。


 早いものである。いわゆる年度末である。そして今年「年期明け」のような再雇用があける年でもある。定年から5年とは、月日はめぐりめぐって今年である。気がつけば、職場のだれよりも高齢になっていました。
 最初のころは、出向ということで今より便利な都心で仕事をしていました。その時は周りとは話もしなかった人でしたが、一年も一緒に仕事をしていると、忘年会やら新年会やら誘ってくれるようになりました。それはどうしてなのだろうと考えました。
 出向先の職場も正社員一人、残りはアルバイトや再雇用の人たちばかりだったからであろうと思います。そういう人たちだから不安定な「痛み」のようなものを感じとってくれていたのだろうと思えます。

 そしてコロナ禍になって、本社に戻ってきました。ここでも、これまでの仕事を引き続きやっていました。見渡せば、当然なのだろうが私よりはるかに若い人たち。そして、再雇用者も年々いなくなっていった。日々ほとんど会話もないなかに仕事を黙ってやっていり日々になりました。ここにきて感じたことは、これほどコミュニケーションの少ない職場はないだろう思えることがありました。以前朝礼で、上司が「one for all, all for one」(一人はみんなのために、みんなは一人のために)という訓示をしていました。
 やーまいったね、と思いながら聞いていたことがあります。どこから聞いた受け売りだろうと思えました。その前に、「日々の会話をどうにかしろよ」と思ったくらいである。

 「人はあるいっていの恐怖(暴力)の条件がつくられた中では、相手の言うことを聞くようになる…」ということを聞いたことがある。おそらく、幼時虐待の記事だろう。暴力に身が危険されされると、その場にいるために言うことを聞くようになる。力がない幼児ならなおさらなのだろう。それを利用して、大人は「同調圧力」のような日々を作っているのだろうと思います。だから、その権威をバックに出来そうもない訓示をことさら当たり前のように発言したのだろう。
 職場での沈黙もそうなかの一つであるのではないのでしょうか。

 ・・・そんなことを思いながら毎日を送っているこおごろですかね。
 仕事は担当があるのでそのことだけをやている状態です。
 そんな寡黙の人たちがこれからどんな労働環境をつくっていのかは、私にとっては「カヤの外」状態なのでわかりませんが、どうなっていくのかみて行こうと思います。まだまだコロナ禍の中です。そのなかでの仕事内容は変わっていません。
 ただ、やたらと感染防具のグッズを買い揃ええる職場のなかにいるようになりました。とはいえ、東日本大震災のような地震がこないよいう保証もありません。ここ何日かまえにニュージーランドではマグニチュード8以上の地震がありました。日本でも東北地方で大きな地震もありました。

 最近読んだ『地球に住めなくなる日』という本の中で、地球温暖化の影響が出てきているのがここ数十年の状態のようです。避けれれない災害がいくつもあることが人生のなかであるものだなということが強く思えるようになっています。災害が起きたとき助かるのは、人と人の関係が大事なことだということが証明されています。日々の声が大切なことがこれほど人の行動に影響するのかということを証明している災害の時なのでしょう。それは一朝一夕にできることではないことも事実です。今の人たちに職場ってどんなところにうつっているのでしょうか?・・・ね。
 そんなことを思うと、いまの職場はどうなのでしょうか。日々の行動を考えると無理なのかもしれません。私はだれにどんな声を届けているのでしょうか。


 今年は大震災10年目。私は、いまだに東北の震災はつづいていると思っている。以前、毎日新聞2月21日付『時代の風」で読んだ、「震災からまもなく10年。ひとつの区切りだという感覚が世の中にあったように思えたが、いま『災後』ではなく『災中』なのだということをあらためて思いしらせれた」ということを言っていたころを思い出す。そのことを示す地震がつい最近、また起きたからなおさらだと思う。まだまだ続いいるんだと、あらたに考えなおした記事だった。さらに、原発事故で避難した人たちにとっては、故郷の土は二度と安心して踏めない汚染状況には変わりはないのだから。

 10年前の毎日がこんなひどいことになろうとは思ってなかったのだと思う。
 震災後、日本は「火山の国、地震の国」ということは知っていたが、もうふたつ加えれると「津波の国」「原発の国」だということになったように思う。
 10年もたつと、友だちにに福島出身の人もいたのだが病気で2年前の亡くなった。
 葬儀の日、亡くなった友達の知人と話しをしてていた。いまでは、その人が福島原発関係の相談窓口になっているという。いまも東京電力福島原発は廃炉作業を賃金などについての相談を行っているという。ここは「緊急事態宣言そのものの作業現場」ということがわかる。ということは、多くは政治によって大半が住民の暮らしが、よくも悪くもなるんだ、ということをつくずく理解した10年だった。

 この時期、日本の8月の「戦後〇〇年」というように1月は「淡路阪神大震災」、3月は「東日本大震災」というながれができたのだろうと思う。決しては忘れてはならない月となった。とくに、人間の生き死にかかわり、どれをとっても「終わりのないこと」だろうと思えることになっている。そして、昨年から現在まで「コロナ禍」が進行中だということになっている。それでも、これまでどうにかやってこれた・・・ということも言えるのだろう。そこには、いつでも弱者や被害者の視点があった人たちがいたからだということを忘れてはならないのだと思う。それが、なければ人の災難は生きていかされなくなる。それができなのであればそういう政治家の必要性もなくなるように思える10年目になっている。

 ときに政治はなんらかのイベントを成功させるために、災害があったにもかかわらず、さも過去のように宣伝することがある。その結果、太平洋戦争の大被害をつくり、多くの戦死者まで巻き込んでしまったという歴史を遠い過去のように思わされていく日々が出来あがってしまう・・・という弱さもある。
 10年目あった今月、そんなことを考えている間のさえ大地震がニュージーランドを襲っていた。
 そろそろ地球規模で何かが起きているのだろうか。それが「人新世」という時代なのだろうか・・・。ただいえることは。「あれから10年」というのではなく、わたし自身「これからの10年」のほうが大事な時間だということなのであると思う。

 まだまだ北風と新型コロナウイルスは吹いています。
 はやくもコロナウイルスはおよそ1年間世界中に蔓延してしてる状況になってなっていることは悲しくなってしまいます。ワクチンが少しずつ接種されるようになっているニュースは、明るいところです。それでも、まだまだです。なぜななら、ワクチンはしばらく、庶民のは届かない道のりになっています。
 前方からコロナウイルスの風を、背中に北風・・・を感じている日々はまだあります。

 とはいえ、上を見上げれば花は街路地に春を運んでいるようです。これが唯一のうれしい景色に思えます。
 

 東日本大震災から10年。テレビではそれぞれの関連番組をつくっていた。私がみたのは、NHKの「ペペロンチーノ」という、地域発のドラマだった。
 宮城県牡鹿半島の海を臨む場所。ドラマはレストランを営むイタリア料理のシェフ演ずる男の震災後からの10年後の物語を描いていた。
 震災によって妻もレストランも失い、レストランをやるつもりがなくなってアルコール依存症にまで落ち自暴自棄になっていく。
そんななかで励まされた人たちがいた。料理したものを「おいしい」の声がまた、亡き妻との思い出の中から、レストラン再開をしていく物語だった。
 とても感動的なドラマだったと思う。
 それにしても、「復興」といって建物だけが建設されていく地元の人たちは何を思うのだろうか。堤防も海がみえないくらい嵩上げされたものになっている。

 いっぽうで、放射能汚染によって避難していた人たちのゆくえはどうなったのだろうか。物語のように、どうにか暮らしができるものであればいいが、本当は大変なのだろうと思う。
 ドラマをみて考えたが、これほど最後にまとまるようなことはめずらしいことだろう。しかし、現段階で描けるものがあれば、それを大切につくっていくしかないように思う。
 少しずつ、時間がたてば、もっと生々しい生きざまのドラマもできてくるのかもしれない。それでも、事実は事実として、腹におさめることができればいいのだと思う。

 ということで今回はこの辺で失礼します。
 読んでくださった方、ありがとうございました。
 




はやいと思いつつ・・・2月が終わりました・・・

2021年02月28日 | Weblog

 こんにちは。
 寒さはまだまだ続いています。ときどき温かさがあると思うと花粉の季節でもあるので、温かさがうれしいのですが、一方では花粉症の季節となり、やや不安な季節でもあります。そしてコロナ禍のなか、クシャミは肩身のせまい通勤電車の中です。桜でも種類によっては満開で咲き始めている木もあります。
 多摩川の散歩の途中、ヒバリの声もきくことがありました。少しずつ春が近づいているのでしょうか。

 さて今週は「緊急事態宣言解除」のニュースを多くききました。それにしても、宣言解除をしても商店などの自粛などをやることには変わりはないのですから、あわてて解除をすることもないのではと思います。解除すれば、東京五輪もやりやすくなるとは思えますが、その一方で感染拡大の不安は消えないのでしょう。事実、感染者の数はあるのですから「油断」は禁物ではないかと思います。


 今月は「読書週間」でもないのに結構本を読んでいました。こんなことはめずらしいことでしょう。やはりコロナ禍のなかで出かけることがなくなった分、本で紛らわしているのでしょうか・・・。
 休日、本屋さんに立ち寄ることが多いのですがこれまで以上に混んでいます。これまで並んだこともなかったのにですが、最近では並んでいることが多い日々です。とはいえ、本が高いですねー。こうなると、どうしても、文庫本になるのを待って買う習慣になっています。だから、負け惜しみではありませんが、〇〇賞作品とかはあまり興味がなくなったように思えます。
 これからどれだけの本が読めるかはわかりませんが、できるだぇ近くに本がある生活は持ちたいとおもっています。
 さて今月は、コロナ禍でしょうか読む本がたくさんありました。


 山形の田舎から出てきて、小説家になるまでどれほどの本を読んで調べたのだろうかという気がする。一冊の本を書き上げるために多くの本を資料として求め、調べ分析して小説の一説に入れていく作業をどれおほどやったのだろうということを考えてしまった。気がつけば、13万冊という膨大な本が自分の身の周りに集まってきてしまった・・・というお話なのだろう。
 正直「本は読まなくても死なない」。けれでも、人生を一歩楽しくしてくれる道具であることを気づかさせてくれた一冊だったと思う。

p98 いわばこれは、僕と本との新婚旅行なんです(笑)。こうして一回撫で回してやると、やっと自分の本になったという気がする。本も他人行儀じゃなくて、僕に向かって轟いてくれるようになるんですね・・・。

p125 こうやって、本が人の手から手へ渡っていくとおもしろいことがいろいろ起りますね。本はそのたび新しい読者を迎えて生き返る。いい本というのは、寿命がとっても長い。繰り返し繰り返し、集められたり、散ったりしながらそのたびのその人の文脈の中に組み込まれていく。いろんな知恵が、本という形に纏められ、逆にこんどは人間がそれをうまく次世代に伝えていく道具となる。

p135 少し前までは、見たこと聞いたこと面白いことを人に話したいという、人間が本来持っている欲求を素直に出すこができる状況と時間があったんですね。いまはそれをテレビが代行しているようなところがあります。

p137 日本の学校教育は、どこかで根本的に間違ったんじゃないでしょうか。むずかしいことばかありやらせ、文章を読む、書くということを嫌いにさせているんじゃないか。日本語に対する抵抗感を知らないうちに植えつけられているのではないか。

p176 いっくり読みたいときはゆっくり読める。あるいは、この先どうなるのかと心が急ぐ時は、どんどんページを繰っていく。これは電子ブックにはないんです。「ページ風を立てる」という言葉がありますが、これは電子ブックはどうやってもできない。特に小説にいたっては流れというものがあります。それは電子ブックだと見えないんですね。


 「絶滅危惧個人商店」という題名に興味を持ち読んだ一冊である。
 この本がおもしろいと思うのは、絶滅危惧にちかいほどの商店がなぜ今まで生き残っているのかを店の人に聞いてレポートしていることだった。近所には近くで便利なコンビニや専門店のチェーン店ができているにも関わらずである。本を読んでみれば、多くの人たちが昭和の人たちでお店の地域の人たちとの関わりが商売のなかで語られている。その話を聞いて思い浮かぶのは「信頼感」ということなのだろうと思う。企業で言えば「信用」だろうか。
 私の利用する散髪屋さんもその意味においては「信用」は大きい。なぜなら、坐っているだけで安心して任せておけるということだろう。それは一朝一夕にできたものではない、ということもあるのだろう。
 商売はそんなことが大事だと思わせる。
 今年からNHK大河ドラマで渋沢栄一も物語が放送されている。その渋沢栄一も商売を信用をもとに大きくしていったとのだろう。そんなことを思うと、これまで培ってきた信用【信頼)をおけるお店がどれだけあるのだろうと思う。

p100 「今、デジタルだけど、(自分たちの世代は)そんなものねー、時代ね、鉱石ラジオに『お~、聞こえる、聞こえる』ってびっくりしたんだから。生業ちゅうのは変化していくてもんだ。


 
p29 彼らは青春のやり場を求めている。健康な肉体と精神を持っていればいりほど、よごれた社会生活は見ていられなくなるだろう。彼らのけがれない心と身をまもともぶつけていっても悔いのない、青年の場は、今や日本のどこを捜しても見当たらないと、彼らは考え、最後の安住地を求めて行くのではないだろうか。戦後、登山人口が急増していく原因は、とごれた社会生活への不満が大きな要因をなしていると私は考える。殺人、強盗、汚職、誘かい、交通地獄、悲惨きわまる大量殺人事件、それらの社会不安に輪をかけたように、テレビからピストルの音と女の悲鳴がとびだしてくる。物価問題にしろ、住宅問題にしろ、なにひとつとして不安でないものはない。

p34 冬山の天気は変わりやすいですね、といった人がいる。これはあまりに適切なことばとはいえない。冬山の天気は悪い方に安定しているいったほうがいい。冬山は冬中ずっと天気が悪いのだ。人間が近づくことを夏まで許されないものだと考えれば間違いない。

p40 国電の窓からコブシが見える。吉祥寺の本宿小学校のコブシ、阿佐ヶ谷のプールの近くのコブシ、中野駅の北高台に見えるコブシなど、毎年のおなじみが最近、植えられるものより、切られていくものの方が多い。淋しいかぎりである。

p172 渋谷蓉子さんは大井川町の出身で女子美大を卒業したばかりで目下花嫁修業中であるが、大学時代から山が好きで、特に南アルプスについて隅から隅まで熟知しているということであった。

p254 「山へ持って行った弁当の残りはお土産として持ち帰って来い」というものだった。つまり、山ではなかなることがあるかもしれないから、弁当だけは離さず、そして常に余裕を以って持参せよということだった。


 これまでも、これからもあまり話題にのらない「ウンコ」の話である。毎日、排泄を繰り返し生活していることには暗黙の了解なのである。そして、ときに自分の健康状態を考える目に見える大事なものだということも忘れている日々でもある。
 私の子どもの頃、農家にとってはウンコは捨てるのではなく肥料として畑にまいたものだった。化学肥料はお金を出せなければならず、お金もなかったのだろうと思う。畑に肥料してしてある形を眺めているだが、その肥料で育てられた野菜が朝晩のおかずになってしまうと、肥料のことなど忘れて食べていたと思う。

 最近では、ウンコが身近になっている時は一年の一度の健康診断のとき検便として提出するときぐらいだろう。自分の健康をいちはやく確認できるはずのものがどうして今日までそれほど話題にならなかったのだろうとこの本を読むと納得することができたように思う。要は、生活の形が変わったからだろうか。さらには、トイレ産業があまりにもトイレをきれいなものだという幻想をうえつけ、そのことによって利益をえるようになったという企業ぐるみの政策があるように思う。つまり「きれいは儲かる」といことなのだと。
 『ウンコはどこから来て、どこへ行くのか』はそのこと詳しく書いている。
 企業の利益誘導の政策がどれほど、ウンコを汚いものしてしまったかということがわかるような一冊だと思う。

p9 子どものにとって、ウンコは一番初めに会う、いちばん身近な「自分」であり、「他者」である。きっと、その「身近さ」となるのは「得体の知れなさ」が、子どもを「ウンコ」に惹きつけてやまないのではないかと考える。

p11 ウンコは汚物に生れるのではない。汚物になるのだ、と。そして現在、もはやウンコは汚物とさえ意識される間もなく、一瞬で水に流され、次の瞬間には目の前から見えなくなり、その存在はまるで無かったかのように、忘れられてしまう。

p21 それでは、ウンコはいつから、誰によって、なぜ汚い物と認識されるようになったのだろうか。ウンコは古今東西、昔から今に至るまでずっと変わらず汚い物ではないのだとすれば、いったいどのようなプロセスと歴史的変遷を経て、「汚物」へと変容したのだろうか。なぜウンコは汚物と呼ばれるようになったのか、どういう点で汚れているのか――。

p36 考えてみると当たり前のことであるが、ウンコをすることは古今東西、老若男女、富める人も貧しい人も、生きている以上「必ずする」行為である。つまり、ウンコをすることは世界共通なのである。・・・一方、それを受けとめるトイレはここ東西、老若男女その形状も歴史も位置づけも様々である。

p69 「肥」を「育」と見るということは、つまるところ「いのち」を育むものとして、人びとがウンコの認識していたということになるだろう。「有用」であるというばかりではなく、生きとし生けるもののつながり、そして生と死とつばぐひとつの「環」の中にウンコを位置づける耕す人びとの考え方が「単なる物とそてだけでなく精神的な係わりの深さ」

p138 ・・・世の中に水洗トイレが普及し、便所の臭いが身近なものでなくなっていく時代と連動しているように思えてならない。生きることから「におい」が削ぎと落されていく過程で、他人や動物、ついには自分の「におい」まで私たちはいつの間にか嫌悪感を抱くようになり、「消臭」や「無臭」を追い求める現代社会では、それが過度ともいえる様相を呈している。

p168 かつて糞尿を下肥として利用していた時代と比べて、私たちが食べるもの、トイレや台所から下水道に流すものの中には、様々な物資が混入するようになった。

p190 一九七三年と二〇二〇年二起きた二度のトイレットペーパー騒動には共通点もあったが、私たちはその決定的な相違点も目のあたりにした。

p193 しかし、その歴史を振り返ると、ウンコは中世には「畏怖」され、「信仰」され、近世、近代には「重宝」され、「売買」され「利用」され、近代、現代には「汚物」と名づけられ「処理」され「嫌悪」され、その結果「排除」され、そして「忘却」されつつ、今日に至る。
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 ちょうど今月でコロナ禍一年である。去年の今ごろは、東京五輪を開催するのか、延期するのかすったもんだして月にむかっていたころだろう。地元の桜まつりやお祭りがことごとく中止になった月がはじまったときでもあったように思う。

 とはいえ、自然は着実に裏切らず花を咲かせ、春のかおりをつたえてくれてるように思う。それを人間に求めるのと、あの手この手の利権がからみひとすじなわではいかないのが現実なのだろうか。あげくの果てに、人に隠れて「自粛」を呼びかけている政治家がお忍びで宴会をやっていたりする。最近では、首相の息子が父の威厳をつかって、官僚に接待攻勢をやっていたと報道もされて、それはすべて発覚されて問題になっている始末である。
 人は利権に引き付けられて忖度し、いつかその中心に自分が「される側」に夢見て生きているように見える。花に集まる虫は、その日の命をひたすら守るために生きている。そして、花から花へ受粉を繰り返し実をつかせる・・・。こう思うと虫のほうがよほどまともだと思うことがある。


 バタバタと過ぎていった2月だった。
 思えば、コロナ禍になって一年。ようやくワクチンができて、医療関係者や高齢者などから接種することになった。それでも、すべての人にいきわたることはできないと思う。散髪屋さんでの話で「若い人はあいらめたほうがいい」とまでも言っているのを聞いたのは記憶に新しいことだ。
 私もきっとそう思っている。結局、ワクチンも格差が反映して自分のところにまわってくるころになって、病院で診察するように「接種料金」が取られるのではないかという思いもある。
 
 そろそろ東京五輪の話題もコロナ禍のなかで議題になってくるのだろうか。
 やっても「無観客」がいいとこかもしれません。やはり、やることにはちょっとムリがあるように思えます。世界中の選手が一堂に東京にきたらどうなるのだろうか・・・。だいたい来るのは選手だけでなく、スタッフや報道・・・その何倍の人がいるようになることを思うと「やっちゃいけない」とも思いますが・・・ね。
 緊急事態宣言も解除が出る都市はこれからも、大変なことには変わりはないのでしょう。さらに、コロナ禍で多くの失業者が出ていることなど、少しでも仕事に再度挑戦すできる保障をつくっていくことが東京五輪よりも先行すべく対ではないのでしょうか。
 読んでくれた人、ありがとうございました。



少し、温かくなってきました。

2021年02月21日 | Weblog

 こんにちは。
 毎日が少しずつ温かくなってきました。多摩川の散歩道の河津桜が何本かは花をつけはじめていました。コロナ禍でもなかでも自然は季節をつげる形になっているようになっています。
 先週、東北地方で起きた地震の影響はいまだの「余震」という形で続いているようです。思えば、コロナも自然現象の一つなのでしょうか。その発生を人間が出る時期を早めたようにも思えます。急いで、ワクチンが世界で利用し始めてきました。
 国民がすべてが受けることはできないのでしょう。ワクチン接種も始まったばかり、感染症に対する対応がいま始まったばかりといえるのではないのでしょうか。




 建物の経年劣化があるように、取り付けれた機器にも劣化が続いています。「インターホンが壊れました!」という声が聞こえてきました。インターホンを修理すべく連絡はするが、「現在は生産がストップし、さらには会社がつぶれました」という返事。こんなときは、新しい会社をさがして、インターホンを発注しなければなりません。管理会社に連絡して、担当のものが休日に検査のためやってきました。管理会社も専門家されていて、こういう場合は「建築技術部・計画修繕課」という肩書の人と一緒に専門家がチェックをするためにやってきました。10~20分ほど、分解してなかをみたり、つながるのかのチェックをして帰っていきました。その担当の人がいうには「インターホンはカラーのディスプレイになります」との返答でありました。まだ、いつその工事をするのかは未定であるが、あそらく近い将来に始まるのではないかと思われます。

 とはいえ、都会というところはなんとも不便なところなのだろうかと思えた。人と人が会うのことがこれほど不便なこととはインターホンが壊れて初めて知ったようなところありました。
 いつも心に自動ロックをかけているような生活。いつになったら鍵のいらない人たちとめぐり会えるのだろうか。


 今週、先週の仕事の愚痴があったように、とても忙しかった。再雇用者としては「表彰」されてもおかしくないくらいなのだろうか…と自画自賛!。まさに、お客のミスを穴埋めするための仕事だったようなところがある。それも、時間内でである。そんな時は「亀の甲より年の功」である。与えられた材料をふんだんに生かし(手抜きもあり)ページをうめていく雑誌つくりはけっこう楽しくもあった。自分の手抜き加減が後世の人々にどう評価されるかもしれないなどと思う余裕さえないなかでの仕事だった。
 でも、ときどき思うことがある。こんな数十ページにも満たない雑誌でも自分の想像がきっと入っているのだろうと思うことでつながっているのだろうと…。何十年かあと、誰かが「あの資料」というときにどこかの図書館で利用するかもしれないなーと思う。作家さんたちは、自分の連載記事をたまったらきっとこの雑誌をまとめて一冊の本として出すことだろう。

 そんなことを終わって考えた週だった。
 忙しくても、自分の関わった証拠が保存されていることが担保として仕事をしているのだろう。いつの間にか自分の思いまで(手抜き・いい加減さも)一緒に残ることになるのだろう。再雇用となって5年目の春。この繰り返しはいつまでつづくことだろうと思う。
 仕事に対する人の思ひは人それぞれである。できるなら、最後は形あるものにして残すことができる仕事でよかったと思う。だいたい私は、口べただかろうできたことだということも反映している。それでも、人を口でだます仕事よりまだいいと思える。昨年、生命保険に入ってものを解約した。それというのも、担当者の口ぐるまにのって、気がついたら担当者はさっさと定年して辞めていった。後任が、保険の話をしに来た。そのとき、きいていたものとは全然ちがっていた。あー、あとのまつり・・・・「騙された」と思った。これでも仕事である。当の本人はすでに職場を去ったあとだった・・・などいう経験を思い出す。元金もくずれて解約したのだった。誰にでもあるような話だろう。けれども、本人にとっては、これで人生の設計図が崩れれてしまうということも多々あることだと思う。証拠が残ってしまう仕事。
 
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 2ヵ月おきに散髪にいった帰り道。散歩のつもりで西荻窪から井の頭まで歩くようになった。天気のいい日にはなるべく遠まわりを楽しみながらいくようになった。冬がちょっと休んでいるような日曜日。
 風がなくなれば日向は温かくなっていくることに体も動き出すというのも、人間も動物の本能なのかもしれない。これも、人間が自然の一部のなかで生きているとう証なのだろう思う。

 とはいえ、去年からコロナ禍での日々である。「少しが自粛、不要不急のお出かけ」というスローガンが常に聞こえてきそうだ。それでも、半年先の東京五輪より、自分たちの今日の楽しみであるのだろうと思う。だいたい、このご時世で東京五輪などと言っているのは、関係者くらいではないのだろうか。各国の代表選手たちもろくに練習などできていないのではないのだろうか。代表を選ぶための競技会さえできないなかで、まったく「東京五輪・・・」とはオカシイと思えてしまうこの頃だ。

 それに拍車をかけたのが森会長の「女性蔑視発言」だったように思う。結局、東京五輪がコロナ禍で危ぶまれているなか、焦ってしまったのだろうか「つい、ポロット・・・」本音がでしまったように思う。それでも、立場がその言葉の重要性をニュースにしてしまったのだろう。大問題になり、あげくの果てに、更迭されて後任の女性の橋本聖子議員が後任されたという顛末である。人はどこかで本音をいいたがっているのだろう。
 これまでの与党の国会議員がお忍びで「自粛」を口にしながら、自分たちはちゃっかり、豪遊していたこともニュースになったことも記憶に新しい。一部は議員をやめることになった。それでもいすわる理由をなにやかやでこじつけて辞めずにいるのも日本の政治状況(ほとんど有権者を馬鹿にしている)なのだろう。

 こんなことを思い出しながら歩く。井の頭公園でボートをこぎながら楽しんでいる人たちのたくさんいることもわかるような気がする。「自粛」という中で「政治家がやていることを思えば、自分たちだって楽しんで何が悪い」と思うだろう。それが当然であるのかもしれない。そんな人たちのなかの人たちの中にも、私も「東京五輪なんてどうでもいい」と思っている人が多いのだろうと思えている。むしろ、これから始まるプロのスポーツイベントちゃんとやることの方がよほど大事で身近なスポーツの楽しみ方なのだろう。
 まずは身近なスポーツを楽しむ理由がもっと大事になってくる春になってくるのだろう。


 これからの日々は、温かさがあったり、寒さがもどったりとなっていくのだろうか。とはいえ、まだまだ寒さは続くようです。先週末、東北地地方を襲った地震の余震は続いているとも聞きます。そしていまでもコロナ禍のなかです。
 最近は少しずつ都内でのコロナ感染者が減ってきていいます。事実、感染者の人数のうえでは少なくななっているように見えます。そんななか、緊急事態宣言も解除するような動きも活発になってきれいます。
 本当にそれでいいのかと思う・・・という気がしますが・・・。解除に先だってなによりもするべきことがあるのではないかと思う。人間はよく忘れる。とくにいやな記憶は忘れたい、そんなことはないのだろうか、これまでのことをふり返ると歴史は流れてきたようです。
 以前、菅首相が「新型コロナウイルスに打ち勝った証として東京で五輪・パラリンピック 開催」といったことを思い出した。それはあまりにも謙虚さを失った言葉と思えて、ほんとうにそんなこといえるのかな? とも思えました。なんせウイルスは人類の歴史よりも古い時代から生きてきた生き物です。そして、これまでの人類をつくってきたウイルスに対して傲慢でおこがしくもあるように聞こえましたが。そう思いませんか・・・。
 オリンピック開催で都内の感染者数が増えることだけは繰り返してはならないのだと思えます。

 今週はこの辺で失礼します。来週はちょっとゆっくりできそうです。
 とはいえ油断大敵!ボチボチいきます。
 読んでくれた人、ありがとうございました。

思えば、昨年の今ごろはコロナ禍、真っただ中でした。

2021年02月14日 | Weblog

 こんにちは。
 2月ももう半ばです。はやいものですね。月日が過ぎていくのは自分の気持ちとはかけ離れていくことをつくずく感じるこの頃です。次々に過ぎていくなかでさまざまなニュースや出来事に翻弄されている毎日です。

 今週、東京五輪委員会会長の森善朗氏が女性差別発言がきっかに辞任したニュースがありました。すぐに対応して、後任には川淵三郎氏があげられましたが、本人も引きうけたつもりでいたのですが一転、辞めてしまいました。
 まったくお粗末な出来事にように見えてしまいました。いまほど、差別発言は世界の流れからして発言したり、実行したりしてはいけない時なのに、ましては差別を禁止するべきスポーツ界の重鎮が発言してしまうとは・・・。なんともなさけないやらです。
 コロナ禍で東京五輪も危ぶまれているなかです。ボランティアでなくともやる気をなくしてしまいます。うらを返せば、いまどきの政治やそのほかの組織の重鎮はこんな程度だったのかと思えてしまいます。これを払しょくすることにどれだけの労力が必要なことが考えたことがないのではないかと思います。これが、今のよのなかを席巻している人たちの言葉だと思うとこれまでのことはいったいなんなんだ・・・とも。

 つい最近の新聞の投稿欄の「東京五輪よりも、コロナ禍での医療への予算を」ということが載せられていました。菅首相のひごろ「国民の命と暮らしを守る」ということを言っているなかで、五輪ができるかどうかの議論をよりも、コロナ禍ということを考えれば、中止をいえる勇気が必要になってきて、莫大な開催費用へ予算をつくかうよりも、今は医療へまわすほうが国民はいいのではないかと思います。それが、スポーツをより身近に感じる気持ちだと思います。



 毎週、休みの日には体を動かさないと・・・ということもあって必ず散歩を続けている。天気のいい日には公園の野原を横切り、花の咲く散歩道を探しては歩く休日になっている。
 きょうも天気のおかげでゆっくりと歩く道には子どもたちの歓声や大人の激励を聞く散歩道だった。けっこう都会の大人たちは子どもと一緒に遊んでいる光景を多くみる日々だ。
 私が子どもの頃は、ぜったいに子どもと大人が遊んでいる光景などはみることもなかったように思う。大人は朝から晩まで仕事をし、子どもは一日中暗くなるまで子どもどうしで遊んでいたのだった。だから、子どもが危険なことをしても大人がいないから、子どもたちで助け合っていたのだろうと思う。そこにはガキ大将もいた。まさに、遊びを仕切る子どもだ。強気をくじき、弱気を助け・・・というガキ大将だ。
 いつごろから、それがなくなったのだろうか。だれでもが平等であるかのような世界のなっているようだ。

 そういえば、最近のマンガでの子どもたちの会話に違和感を覚えることが結構ある。あまりにも気をつかうばかりで距離をおいた言葉づかい。これが最近の子どもの会話なのかと驚く。

 まだまだ働ける・・・と思いながら働いているけれど。
 現実は、なかなか厳しいようだ。これが「待ち・準備時間8割。仕事2割」ほどなら余裕で片づけて終わるのだろう。しかし、これはあくまでの理想の姿である。その理想を65歳の老体はいつも考えながら仕事をしているのが現実だろう。
 いちばんきついと思うのは、お客の都合が悪いこと。そのために客につきあって進めていくようになること。約束は、完全に反古にされたようなものの場合も同じ。

 そんなときは、絶対に相手のペースにのらないようのらないように自分のペースに引き込んでいくことに仕事以上にやることが大事だと思う。それには、こちらの都合もよく理解してもらうように、日ごろ準備をしておいたものを使って丁寧に仕上げておくことを怠らないことだろう。それが、急なつごうの時、役に立つのだろう。
 これまで丁寧にやってきてあげた分を考えてもらって、お客が無理をいわないようにすることに仕向けていく・・・。それが大事だなと思う。

 もう、若い人と同じペースでは出来なくなっている分、違うところで頑張るしかないことだろうと思う。そんなことばかり考えているここ2週間である。「生涯現役」なんて、嫌いな言葉になっていく。ちゃんと後継者を育てる気のある人の言葉ではないだろう。それと「仕事が好き」という人、信じられない。ただただ、行くところがないからだろう。それがあるから仕事をしているのかもしれない、などなど。
 さて、ご同輩はどん秘策をお持ちだろうか・・・。



 昨夜(13日夜)、大きな地震にはびっくりしました。これから寝ようかと思っていたら、少しずつ揺れ、徐々に大きく揺れていくなか起きてしまいました。携帯ラジをつけてみたら「福島沖の海底60㎞で地震が発生」ということが聞えてきました。東北地方を中心に起きた地震に、10年前の地震を思い出してしまいました。

 あのときは、まだ会社で仕事をしていました。午後から揺れて、夕方になっても時々揺れていました。首都の鉄道はほとんどが運転停止状態で帰ることもできませんでした。会社でテレビをみていたら、津波がたくさんの家や自動車をのみこんでいた状況が放映されていました。その景色が映画の世界ではなくて現実に起きていることに驚きもありました。
 外へでてみると、道路には何キロも渋滞が続いていました。身動きもとれず会社で一泊して、翌朝動き出した電車に乗りかえった経験を思い出していました。
 みなさんはどちらにいたのでしょうか。

 あの時は、若いということもあって、どうにか頑張れたのだと思います。昨夜の地震のときはあわてているというより、あきらめているような気持がありました。これで終わりなら、終わりでいいやー!!。これが自然の流れなのだから・・・。
 なにか、日本がコロナ禍で地震があって・・・と人類最後の時のような時代になってしまっていくような気になります。いったいこんな状況にしてしまったのは何だったのでしょうか。地球温暖化により、今後人類最大の食糧危機がくるなどというドキュメント番組などをみていると、「地球はもう昔にかえれないのかもしれない」とか「地球が何億年前の惑星にもどっていくのだろうか」という気にもなってきます。いろいろな、人間はなにをしていかなかればならないのでしょうか。

 地震のあった翌日、朝から災害状況のニュースが報道されていました。災害直下の東北の各県では、けがをした人や鉄道の運休の被害状況が体と心を痛めていました。原発事故のあった福島では、10年前の事故処理への影響が伝えられています。「安全上の問題はない」ということでしたが、どうだかわかりません。現地の人にとっては地震も恐怖ですが放射能が心配でしょう。
 まだまだ「余震」とやらがあるようです。大きくならないことを祈るばかりです。


 昨日東北地方で起きた地震の余震が続いているようだ。こまったことにこの寒さだ。さらにコロナ禍だ。今後の地震の動きがどうなっていくのだろうか。余震も小さくなってほしい。東北の人だけでなく関東の人間もそう思っている。
 地球の半分は春がもう近くにきているのに、地球はほとんど病気のままだ。

///////////お仕事の愚痴///////////
 仕事は、お客のわがままにどれだけ付きあっていくかが、と思う。お客の事情もあるのだろうが、何の連絡のなく遅きにつきた。と思うことがある。それでもどうにか仕事して片づけていくしかない。
 例えば原稿の入稿について・・・。おそい、遅すぎる!!。来週末には一冊の本にしなければならないのに!!。編集者の嘆きですわ。
 そんな気持ちで、今週と来週はつづくようだ。無駄なことはいっさいあきらめて整理してすすめていくしかない。ここは、「亀の甲より、年のこう」ですすめていくしかないようにするしかないようだ。
 あーまいった。そして、どこで手をぬくかがポイントだろう。
遅ければおそいほどいいものはできないということをお客に表現しなければなるまい。これが仕事の掟をはっきりわからせなければなるまいなー。(客には言わないが)
 そう思いながらつづくだろう。
 まいった!!!
 またしても今週は愚痴でした。
 読んでくれた人、ありがとうございました。