ぶらぶら人生

心の呟き

外を歩けば 2 (曼珠沙華)

2016-09-25 | 散歩道

曼珠沙華




曼珠沙華一むら燃えて秋陽(あきび)つよしそこ過ぎてゐるしづかなる径(みち)

木下利玄の歌を口ずさみつつ、花の道を歩く。
お彼岸の中日を過ぎ、花は、盛りを過ぎようとしている。

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外を歩けば 1 (秋桜)

2016-09-24 | 散歩道
久々に、海の香をかぎたくなった。
波音にも、耳を傾けたい。
ついでに食事もしてこようと考え、散歩に出かけた。

ずいぶん長いこと、海辺に行っていない。
2月末の暖かい日に出かけて以来だ。

<ブログの カテゴリー「散歩道」 の記事も、「万葉公園」(5月初旬)で、ストップしている。>

4か月以上、自然を歩かなかったようだ。
理由は二つ。
暑い夏であったこと、<断捨離>に熱中したこと。

外を歩くと、やはり心が解放される。
ひとりでに、のびやかな気分になった。

が、ひどく疲れた。
行きは全く問題なっかたけれど、帰途は難儀だった。
海抜40余㍍の差(緩やかな坂)が、予想以上に、体にこたえたのだった。
腰かけて休みたったが、座るところはなく、秋桜の咲く傍の柵に縋って、呼吸を整えた。
(足が悪いわけではないので、もう少し歩かなくてはいけないと、つくづく思う日であった。)

疲れは、帰宅後まで尾を引いた。

今晩は、「外を歩けば 1 (秋桜」)」だけを投稿し、早めに休むことにする。


海に向かう旧国道の脇に咲く秋桜








帰途(休息時)に撮ったもの



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身辺のあれこれ

2016-09-23 | 身辺雑記

真昼間の、下弦の月



三つの花をつけたベニアオイ

裏のベニアオイは、3本中、一番よく繁った。
添え木をしても倒れてしまうので諦めかけていた。
昨日、妹にみてもらった。
支柱の位置を変えてくれた。
そのおかげで、すっくと立ち、今日は三つの花をつけた。
(このベニアオイは、蕾をたくさんつけている。)


しかし、ベニアオイは、花よりも花の終わったあとの、実や茎の深紅色に、
植物としての魅力があるのだろう。



昨日来、前の花壇にある、ひょろりと伸びたベニアオイの側で、面白い現象が続いている。
凋んで落ちた花が、蜘蛛の一本の糸にひっかかり、風に揺れているのだ。


その周囲に、蜘蛛の姿や巣があるわけでもないのに…。
巣を作り始めたところへ、ベニアオイの花が、落ちてきたのだろうか?
蜘蛛は驚いて、巣作りをやめたのかもしれない。

落花を受け止める蜘蛛の糸の粘着力やその強度に感心するばかり。

自然界には、不思議な景が存在するものだ。
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お彼岸の墓参

2016-09-23 | 身辺雑記

お彼岸の墓参。(9月22日)
妹一家と大坂から帰省の妹ら7人で墓参。
小雨にあう。
墓所の周辺は、Tさんがきれいに草刈りをしてくださっていた。
台風16号の落とした木々の葉が、雨で濡れていた。
(想像したほど多くはなかった。)
若い人たちに掃除を任せ、私は下から眺めるだけであった。




帰途、 『石正美術館』に寄る。
企画展<石本正が愛した故郷>展 開催中。(~9月25日)
画家・石本正は、昨年9月26日、95歳で逝去。
画家の晩年作を鑑賞。
当美術館で、今までに幾度か作品を観てきたが、素人の目には、今回の展示作品に、高齢による衰えを感じることはなかった。


石正美術館


中庭の枝垂桜


アベリアの花に戯れる 大きな黒蝶
(すばっしこい動きを追っかける 撮影は思うに任せず)


<とみ>で昼食

レストランの窓辺からみた風景


1階の窓辺より(黄秋桜と海)


入口の千日草とポーチュラカ

※『歳時記』より
千日草 (夏の季語)
<花期が初夏から初冬におよぶので千日草の名がある>
【千日紅】は漢名

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秋海棠(別の名を断腸花)

2016-09-22 | 寸感

裏庭の秋海棠
花が、愛らしい。
秋海棠の花を眺めていると、ひとりでに心が和む。



『ただ生きようと花は咲く』(文と写真 印南和麿著)を開くと、<秋分のころ咲く花>の項に、秋海棠が採り上げられていた。
その本より。

<中国、マレー半島に自生するが、日本へは江戸時代に長崎に入ったのが最初といわれる。>

<中国の故事に「人を思って泣いた断腸の涙が落ち、そこから生えた花」だからと、
                                             断腸花の別名もある。>

<永井荷風が腸に持病があることから、腸にちなんで庭先に秋海棠を植えた。そして、書斎を断腸亭と名づけ、自らを断腸亭主人と名乗った。

<黄色の雄しべが多数あり、雪洞(ぼんぼり)のようで可愛い。しかし、花も葉も根も、全草に強い蓚酸(しゅうさん)がふくまれ、子どもであれば、茎1本でも命にかかわるといわれるほどの猛毒植物なのである。>


永井荷風の話は知っていたが、渡来の時期や猛毒植物であることは、知らなかった。
植物の場合は毒を持っていても、花は可憐で優しい。(秋海棠の場合は、葉も茎も、なかなか個性的である。)

さて、人間が内面に毒を持っている場合、植物のようには、その毒性を隠し切れないのでは?
ふと、そんなことを考える今日であった。(9月21日 写真も文も。)
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窓辺の花(ダンギクほか)

2016-09-22 | 草花舎の四季

9月21日 草花舎
窓辺の花々 
調和よく活けられて


花瓶の中のダンギク
花が段々に咲くゆえの名前とか 
憶えやすい


昼食 
チーズと野菜をのせたパンとコーヒー
食して美味 彩も美しく
愛らしい紫蘇の花も添えられ…



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数字で遊ぶ

2016-09-21 | 身辺雑記

数字は、一見、無味乾燥である。
でも、数字遊びは、結構楽しい。
今でも、ほとんど毎日、解いて愉しむのが数独である。

外出したときには、走り去る車のナンバーで、数字遊びをする。
単純に足し算したり、掛け算をして、その数を足し算したり…。

先日、「おっ!」と思い、確認したトラック・ナンバーがあった。



<1933>である。
私の生まれ年と同じ数字なのだ。

<8122>という4字並びのナンバーには、まだ出合っていない。
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「敬老者」?

2016-09-20 | 寸感
昨日は、<敬老の日>であった。
地区で催される祝賀会には、出席しなかった。

夕方、町内会の班長が、祝いの品と、小学生の書いた手紙を届けてくださった。
封筒には、<敬老者の方へ   〇〇小学校>と、記されていた。

しっかりした文字! と感心した後、頭を傾げた。
「敬老者」というのは、おかしくないかしら? と。
「高齢者」の間違い?

若者の造語?
それにしても、意味上、納得しがたい言葉である。
(<高齢者のみな様へ>のつもりだったのだろうか?
 それも、あまり嬉しくはないけれど…。
 形式的に送られてくる便りを、心底喜べない老男老女は、意外に多いのでは?)

語の成り立ちから考えると、<敬老-者>となる。
そして、意味は、<老人を敬う人>である。
どう考えても、老人に宛てて書く言葉ではない。

手紙は、2年生の少女からであった。
が、宛名は、多分上級生の書いた文字なのだろう、バランスもよく、しっかりしている。

<高齢者>など、<〇〇‐者>という形式の語(複合語)は、いくらでも例がある。
    <能力者><権力者><労働者><加害者>
    <被害者><技術者> <為政者><案内者>
    ………と、挙げれば、きりがない。

だが、<敬老者>を、上記の例と同等に扱うことはできない。(意味としても無理がある。)
<おじいさん・おばあさん>(老人)に宛てて書く言葉ではない。

あくまでも想像だが、<〇〇‐者>という形式の表現を応用し、<敬老者>という造語を思いついたのでは……?
<高齢者>より、ていねいな言い方に思えたのかもしれない。
そんなふうに思いを巡らすと、子どもの発想として、微笑ましい。(!?)

(先生は、目を通されなかったのだろう。
<敬老者>の後へ<方>と続けるのも、表現として気になる。)

成長の過程では、誰でも、数多くの思い違いをする。
私も、言葉遣いの上で、たくさんの恥ずかしい思いをしてきた。
が、その都度、「その遣い方は間違ってるよ」と、指摘してくださる年長者に恵まれた。
言われた瞬間は恥ずかしかったが、それらを肥やしにして、少しずつ成長したのだろう。


老いた今は、ミスだらけである。
気づいても、指摘してくれる人は少ない。
ブログを投稿した後、しばらく経って、脱字や変換の誤りなど、様々なミスに自分で気づくことが多い。
うっかりミスは、老いてますます多くなった。




強風の中、裏庭に咲いた曼珠沙華

台風16号が東進中。
またまた、各地に多大な被害を残して。

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檀特(ダンドク)とカンナ

2016-09-19 | 身辺雑記
檀特(だんどく) という花があると、草花舎のYさんに教えていただいた。
写真入りの紹介記事(新聞の切り抜き)も、読ませてもらった。

<この花は、コロンブスがアメリカからヨーロッパに持ち帰った花だそうです。>
と紹介されていた。(花の写真を添えて)

私が、<カンナ>と呼んでいる花に似ていた。

「檀特」と「カンナ」について、帰宅後、いろいろ調べた。
まず、初めて耳にした 「檀特(だんどく)」 について。

知らなかったのは、私だけだったのだろうか。
花の名前「檀特」は、大方の辞書に載っていた。


<以下は、各辞書の説明を引用したものである。
   ただし、色文字やアンダーラインは、私の付したもの。>

『広辞苑』 (第六版)より。
 
カンナ科の多年草。インド原産で古くから観賞用に栽培。茎は緑色平滑で高さ二㍍内外。夏から秋、葉間から花茎を出し、鮮紅色の花弁様の雄しべを有する花を総状につける。漢名、曇華。」(注 イラスト入り)
※ 次項に、「檀特山 (だんどくせん)の説明あり。

『日本語大辞典』 (講談社・カラー版)より。

カンナ科の多年草。江戸時代に鑑賞用として渡来したが、現在はほとんど栽培されない。芭蕉に似た大型の葉。夏、茎の先端に真紅色の花を総状につける。インド原産。」

『大辞林』 (三省堂)より。

カンナ科の多年草。インド原産。カンナの原種の一。江戸時代に渡来。丈が高く、花は紅色、まれに黄色で小さい。漢名、曇華。」

※ 次項に、「檀特山」(だんどくせん)の説明あり。

『大辞泉』 (小学館)より。
カンナ科の多年草。カンナに似て、花は真紅色で小型。熱帯地方の原産で、日本へは江戸時代に渡来。〔季 秋〕

※ 次項に、「檀特山」の説明あり。

『国語大辞典 言泉』 (小学館)より。

「<檀特・曇花>(「檀特」は梵Danda-ka〈表記不正確〉の音訳)カンナ科の多年草インド・マライ原産で、、日本へは江戸時代に渡来。高さ一~二㍍。葉は卵状長楕円形。夏、茎頂に真紅色の花がむらがって咲く。漢名、曇華。ー‐せん【檀特山】(※ 説明あり)

『日本国語大辞典』 (第13巻)(小学館)より。

「【檀特・曇華】①カンナ科の多年草インド・マレー原産で、カンナの原種の一つとされ、日本へは江戸時代に渡来し、観賞用に栽培されたが、現在はあまり見られない。高さ一~二㍍。葉は互生し、卵状長楕円形で長さ三〇~七〇センチ㍍。全緑で先端は尖り、基部は長い葉鞘となる。夏、茎頂にカンナに似た真紅色の花がむらがって咲く。花弁は長披針形。三本の雄しべは倒披針形の花弁状に変化し、そのうちの一枚に一個の葯がある。漢名、曇花。檀特山(だんどくせん)。《季・秋》
…(使用例、略)…②植物「カンナ」の異名。…(使用例、略)…

※ 数語、後方の項に、「檀特山」(だんどくせん)の説明あり。

『歳時記』には、「カンナ」の項に、<花カンナ・檀特の花>と出ている。(秋の季語)
カンナ科の多年草。 …略…(カンナは、)日本へは明治時代に、欧州で品種改良されたものが、観賞用としてもたらされた。和名は花カンナ。檀特は、カンナの原種の一つ。カンナより早く江戸時代に東南アジアから渡来したが、今はほとんど栽培されていない。

辞書や歳時記での説明の仕方は、様々である。
(特に、花色の説明など、いろいろである。)
ただ、「カンナ科の多年草」という表現だけは、全て共通している。

ついでに、花に関する手持ちの本も調べてみた。

『花の名前 ポケット事典』 (NHK出版)には、
カンナ カンナ科/カンナ属
●和名 ダンドク 別名 ハナカンナ
●原産地 園芸品種(熱帯アメリカ)
●花色 白、クリーム、黄、桃、緋、赤、黄に赤点など

『花の事典 洋花』(講談社編)には、
●カンナ科カンナ(ダンドク)属
●原産地 熱帯アメリカ
●和名 ダンドク(檀特)

と、記されていた。
「檀特(だんどく)」というカンナの原種が、インドから江戸時代に渡来したというのも、ほぼ共通している。
が、その原種の数は、少なくなっているらしい。(アンダーラインを入れたセンテンス参照。)

タブレットでも調べてみた。
<鹿児島県など暖地に多少残っている>という一文を見つけた。

「カンナ」と「檀特」の大きな違いは、
  前者は、明治になって渡来、原産地が熱帯アメリカ  
  後者は、江戸時代に渡来、原産地はインド
という点であろう。

<コロンブス(1446~1506)とカンナ>についても、タブレットで調べてみた。

「カンナはコロンブスの新大陸発見後、マリーゴールド、ヒマワリ、タバコとともに最初にヨーロッパにもたらされた植物である」

と紹介されている文章は、いくつかあった。

(コロンブスが持ち帰ったカンナが、インド原産の「檀特」と同じものであったかどうかは、依然として分からない。)
いずれにしても、「カンナ」と呼ばれる植物は、さらに品種改良され、今では60種くらいあるという。

以上から判断し、ダンドク=カンナと、考えてよいのではなかろうか?
(あくまでも、私見である。)


余禄

なお、「檀特」の読みは、<ダントク>ではなくダンドク>となっている。
」の音には、トク(漢音)・ドク(呉音)の二つがある。
「檀特」には、仏教用語に多く用いられる呉音のドクが、使われている。

カンナの原種「檀特」(だんどく)は、 「檀特山」(だんどくせん)<インドのガンダーラ地方にあり、釈迦の前身、須大拏(しゅたぬ)太子が菩薩の修業をした山>に関連した呼び名だという。

今回は、私の書棚に並ぶすべての国語辞典を取り出して調べた。
昔から、辞書(という本!)が大好きで、新しいものが出ると、すぐ求めた。
日常的には、電子辞書、スマホやタブレットなど、手軽なものを使用するようになった。
今や、持ち重りする辞書は、特別な時だけに役立つ、参考資料化している。

この度は、久々にたくさんの辞書を活用し、多少勉強した気分になった。
それらの辞書・歳時記・花の本など、それぞれの書棚に収め、今は、清々した気分である。




草花舎からの帰途(13日)、路傍で見た花。
(私は、これに似た花は、みな「カンナ」と呼んできた。)







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連日の雨

2016-09-18 | 小庭の四季
昨夕来、雨がよく降る。
市道脇の水路は水嵩を増して、勢いよく流れている。
家の三方にある溝(排水路)も、珍しく音を立てている。

今年は(というより、今年も)、各地の豪雨災害が多い。
あまり降り過ぎると、当地だって被災地にならないとは限らない。
昭和58年に経験した、未曽有の水害を思い出す。

当時、私の家は、国道や山陰本線、中学校の校庭などを見下ろせる高手にあった。
視界がかき消されるような激しい雨を眺めていると、あっという間に、すべての風景は、大きな湖のなかに消えた。
たちまち停電し、電話は不通となり、水道も使用不可となった。
その激変に、時間はかからなかった。(復旧には、相当時間がかかり、不便を余儀なくされた。)

川があるわけでもないのに、あの時の水は、どこから出てきたのだろう?
と、最近は、不思議な出来事として思い出す。
とにかく、湧水・増水の勢いは、想像を絶するものであった。

現在の家に住み始めたのは、昭和60年である。
大洪水のあった当時、今住む団地の造成は完成していたのかどうか?

小山を削って造成された場所だけに、当地は湿気が多い。
雨が降ると、山から流れ出る水量は、かなりなものである。
したがって、大雨になると、心が落ち着かない。

昨夜は、「大雨洪水警報」が出ていた。
激しい雨は30分程度だったが、その後も、強まったり弱まったりを繰り返した。
遠雷も不気味であった。
夜に降る雨は、不安をいっそう募らせる。

ライトを手の届く位置に用意し、万一の時に持ち出すバッグを、ベッドのそばに置いた。
スマホも、枕元に置いて。
平素は履くこともない雨靴を、裏口の床に準備したり…。

毎夜常用の眠剤は、とてもよく効く。
朝5時ころまで、ぐっすり眠ることが多い。
特に、入眠後3時間くらいは、前後不覚の状態らしい。
時折、自分で気味悪く思うことさえある。
そこで、昨夜は万一に備え、眠剤の量を半分にし、早めに休んだ。

深夜目覚めたのは、1時過ぎだった。
その際、左手に、スマホを持っていた。

これは? と不審に思いつつスマホを開けてみると、二件のメールが届いていた。
いずれも、市からの伝達であった。
一つは、「竜巻注意情報第2号」(23時20分)、もう一つは、「大雨洪水警報解除」(0時41分)。
(着信音を耳にし、無意識にスマホを手にしたらしい。内容を確認することはせず…。)

雨は、相変わらず降り続いていたが、警報が解除されたこと知って安堵し、再び眠った。
が、心安らぐことのない夜であった。

今晩は、ぐっすり休めるといいのだが…。
(しかし、台風16号が接近中、要警戒の日がしばらく続きそうである。)



昨日、花壇に咲いていたタマスダレ。
(今日は、雨の中で、萎んだまま。)


ベニアオイの蕾。(4ッつ目・昨日)

 
ベニアオイ、雨の今朝、開花。


午後2時のベニアオイ。(早くも凋んで)


昨日半開きだった曼珠沙華は、雨の今朝、完全に開花。



今夕、人の訪れがあり、慌てて玄関に行こうとして、廊下で見事に転んだ。
柱に頭をぶっつけることなく、横転した。
左肘、左肩を存分打って痛かったが、幸運にも怪我はしなかった。(打撲程度)

時折、老いを忘れて行動する。
もう少し慎重に‼ と、そそっかしい自分に説教する。
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