昨日は、<敬老の日>であった。
地区で催される祝賀会には、出席しなかった。
夕方、町内会の班長が、祝いの品と、小学生の書いた手紙を届けてくださった。
封筒には、<敬老者の方へ 〇〇小学校>と、記されていた。
しっかりした文字! と感心した後、頭を傾げた。
「敬老者」というのは、おかしくないかしら? と。
「高齢者」の間違い?
若者の造語?
それにしても、意味上、納得しがたい言葉である。
(<高齢者のみな様へ>のつもりだったのだろうか?
それも、あまり嬉しくはないけれど…。
形式的に送られてくる便りを、心底喜べない老男老女は、意外に多いのでは?)
語の成り立ちから考えると、<敬老-者>となる。
そして、意味は、<老人を敬う人>である。
どう考えても、老人に宛てて書く言葉ではない。
手紙は、2年生の少女からであった。
が、宛名は、多分上級生の書いた文字なのだろう、バランスもよく、しっかりしている。
<高齢者>など、<〇〇‐者>という形式の語(複合語)は、いくらでも例がある。
<能力者><権力者><労働者><加害者>
<被害者><技術者> <為政者><案内者>
………と、挙げれば、きりがない。
だが、<敬老者>を、上記の例と同等に扱うことはできない。(意味としても無理がある。)
<おじいさん・おばあさん>(老人)に宛てて書く言葉ではない。
あくまでも想像だが、<〇〇‐者>という形式の表現を応用し、<敬老者>という造語を思いついたのでは……?
<高齢者>より、ていねいな言い方に思えたのかもしれない。
そんなふうに思いを巡らすと、子どもの発想として、微笑ましい。(!?)
(先生は、目を通されなかったのだろう。
<敬老者>の後へ<方>と続けるのも、表現として気になる。)
成長の過程では、誰でも、数多くの思い違いをする。
私も、言葉遣いの上で、たくさんの恥ずかしい思いをしてきた。
が、その都度、「その遣い方は間違ってるよ」と、指摘してくださる年長者に恵まれた。
言われた瞬間は恥ずかしかったが、それらを肥やしにして、少しずつ成長したのだろう。
老いた今は、ミスだらけである。
気づいても、指摘してくれる人は少ない。
ブログを投稿した後、しばらく経って、脱字や変換の誤りなど、様々なミスに自分で気づくことが多い。
うっかりミスは、老いてますます多くなった。
強風の中、裏庭に咲いた曼珠沙華
台風16号が東進中。
またまた、各地に多大な被害を残して。
地区で催される祝賀会には、出席しなかった。
夕方、町内会の班長が、祝いの品と、小学生の書いた手紙を届けてくださった。
封筒には、<敬老者の方へ 〇〇小学校>と、記されていた。
しっかりした文字! と感心した後、頭を傾げた。
「敬老者」というのは、おかしくないかしら? と。
「高齢者」の間違い?
若者の造語?
それにしても、意味上、納得しがたい言葉である。
(<高齢者のみな様へ>のつもりだったのだろうか?
それも、あまり嬉しくはないけれど…。
形式的に送られてくる便りを、心底喜べない老男老女は、意外に多いのでは?)
語の成り立ちから考えると、<敬老-者>となる。
そして、意味は、<老人を敬う人>である。
どう考えても、老人に宛てて書く言葉ではない。
手紙は、2年生の少女からであった。
が、宛名は、多分上級生の書いた文字なのだろう、バランスもよく、しっかりしている。
<高齢者>など、<〇〇‐者>という形式の語(複合語)は、いくらでも例がある。
<能力者><権力者><労働者><加害者>
<被害者><技術者> <為政者><案内者>
………と、挙げれば、きりがない。
だが、<敬老者>を、上記の例と同等に扱うことはできない。(意味としても無理がある。)
<おじいさん・おばあさん>(老人)に宛てて書く言葉ではない。
あくまでも想像だが、<〇〇‐者>という形式の表現を応用し、<敬老者>という造語を思いついたのでは……?
<高齢者>より、ていねいな言い方に思えたのかもしれない。
そんなふうに思いを巡らすと、子どもの発想として、微笑ましい。(!?)
(先生は、目を通されなかったのだろう。
<敬老者>の後へ<方>と続けるのも、表現として気になる。)
成長の過程では、誰でも、数多くの思い違いをする。
私も、言葉遣いの上で、たくさんの恥ずかしい思いをしてきた。
が、その都度、「その遣い方は間違ってるよ」と、指摘してくださる年長者に恵まれた。
言われた瞬間は恥ずかしかったが、それらを肥やしにして、少しずつ成長したのだろう。
老いた今は、ミスだらけである。
気づいても、指摘してくれる人は少ない。
ブログを投稿した後、しばらく経って、脱字や変換の誤りなど、様々なミスに自分で気づくことが多い。
うっかりミスは、老いてますます多くなった。
強風の中、裏庭に咲いた曼珠沙華
台風16号が東進中。
またまた、各地に多大な被害を残して。