一枚の猫の絵がある。(芥川喜好著『画家たちの四季』より)
無防備とも思えるほど、安心しきった姿で寝そべる一匹の猫!
五月末の、NHKの日曜美術館で、長谷川潾二郎(1904~1988)という画家の一生と、その画業が紹介され、興味を抱いた。
テレビ画面で、<猫>の絵を見たとき、初めての出合いではないように思った。が、画家の名前には聞き覚えがなかったし、猫以外の自然景や日常の身辺にある静物を描いた絵などは、初めて見るものばかりであった。
まさに、その絵画は平明にして静謐、孤高な雰囲気を漂わせている。それは、絵の特質であり、画家の生き方でもあった。
画壇に認められようとする、通俗的な野心など持たず、あくまでも自らの心眼を通して、<目前の美>(感動)を追求し続けた画家。
日曜美術館で紹介された作品を通して、長谷川画伯の絵画に驚きと感動を覚えたのだった。
私は、こうした芸術家を好む傾向がある。
画壇に迎合せず、独自の創作態度で、孤高な生き方を貫いた画家、例えば、高島野十郎や犬塚勉など…。
現在、平塚美術館で、「長谷川潾二郎展」が催されている。
公立美術館では、初めての回顧展だという。
嬉しいことに、次いで下関市立美術館に巡回(7月1日~8月15日)するという。
作品に接する機会が得られそうだ。
ぜひ、出かけたいと思っている。
<猫>の絵は、画集を探していたら、『画家たちの四季』に掲載されていた。
この<猫>の絵は、芥川喜好氏の目に止まり、読売新聞で紹介され、後に、上記の本にも選ばれたのだった。
その中には、次のような文章があった。
<愛猫太郎を描いたこの絵には右の髭が描かれていない。あとは髭だけというところで彼の筆は止まった。
「猫がこういう気持ちのいい格好をするのは春と秋だけだからすぐには描けぬ、といって延び延びにしていました。自分の経験としていったんモノを通さないと、描けなかったんですね」。夫人の鎮さんも、妹さんの玉江さんも言う。>
長谷川潾二郎氏の、モノを描くときの、その対象に向かう姿勢が、よくうかがえる文章である。