草花舎で開催中の、<海田曲巷『こころうた展』>に出かけたのは、5月30日だった。
作家の海田曲巷さんにも、お会いすることができた。
作家の在廊は、28、29日と記してあったので、お会いできるとは思わなかった。
「常に自然体で茶の湯を楽しむ茶杓師、海田曲巷さん」と、草花舎からの案内状に記されていた。
初めてお会いする方であったが、昔からの知己であるかのような印象を受けた。
私は、常識や形にとらわれることが嫌いで、自己流を貫いて生きてきた。
作法や流儀が性に合わず、概して、<○道>と名のつくものを好まない。
したがって、「茶杓展」というのも、初めてであった。
が、今回の『こころうた展』では、茶杓の一つずつに、作家の感性の豊かさ、心眼の奥深さが感じられて、鑑賞を楽しむことができた。
それは、他の作品にも、同じことがいえる。
また、<書>の、飄飄乎とした味わいがいい。
<今回は「恩送り」という茶杓ヲ削りました>
と、ご本にからの案内状にあった作品
「恩返し」ではなく「恩送り」という発想が面白い。
その他の命名も、文学的。
尺八で、自作の「ほたる」を演奏してくださった。
その曲調は、少々もの哀しげであった。
父が若いころ(私の子ども時代)、尺八を吹いていた。
尺八で音を奏でるのは難しそうだ、と感じた記憶がある。
草花舎の庭には、色とりどりの花が咲いていた。
(以下は、その一部)
作家の海田曲巷さんにも、お会いすることができた。
作家の在廊は、28、29日と記してあったので、お会いできるとは思わなかった。
「常に自然体で茶の湯を楽しむ茶杓師、海田曲巷さん」と、草花舎からの案内状に記されていた。
初めてお会いする方であったが、昔からの知己であるかのような印象を受けた。
私は、常識や形にとらわれることが嫌いで、自己流を貫いて生きてきた。
作法や流儀が性に合わず、概して、<○道>と名のつくものを好まない。
したがって、「茶杓展」というのも、初めてであった。
が、今回の『こころうた展』では、茶杓の一つずつに、作家の感性の豊かさ、心眼の奥深さが感じられて、鑑賞を楽しむことができた。
それは、他の作品にも、同じことがいえる。
また、<書>の、飄飄乎とした味わいがいい。
<今回は「恩送り」という茶杓ヲ削りました>
と、ご本にからの案内状にあった作品
「恩返し」ではなく「恩送り」という発想が面白い。
その他の命名も、文学的。
尺八で、自作の「ほたる」を演奏してくださった。
その曲調は、少々もの哀しげであった。
父が若いころ(私の子ども時代)、尺八を吹いていた。
尺八で音を奏でるのは難しそうだ、と感じた記憶がある。
草花舎の庭には、色とりどりの花が咲いていた。
(以下は、その一部)
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