ぶらぶら人生

心の呟き

『会津八一』

2020-12-14 | 身辺雑記

   村尾誠一 著

  『会津八一』

   奈良大和を愛し、古寺巡礼の歌を詠う

 

   


 會津八一の歌について、即座に思い出せる作品は少ない。逆に、この歌の作者は? と尋ねられれば、歌の内容や表記の特徴から、會津八一と答えられそうな気がする。それだけ、<らしさ>という個性的な作風である。

 篠田桃紅さんの本で、紹介された會津八一の歌を読んで、書棚に本を探したが見つからなかった。そこで、Amazonへ二冊の本を注文し、入手した。

 上掲の本と、會津八一作『自註鹿鳴集』の2冊。

 昨日、村尾誠一著『會津八一』を読了。

 50作品(短歌49首と俳句1句)について、著者の解説が加えられたものである。


 會津八一については、生没の知識さえ曖昧であった。漠然と、明治から昭和にかけての人であろうくらいに漠然と考えていた。

 1981(明治14)年〜1956(昭和31)年を生きた人。

 私の祖父とほぼ同時代の人だと認識を新たにした。(祖父は昭和36年に、86歳で没している。)


 文中に、<八一の文学活動は俳句からはじまる。>とあり、

 家主に薔薇呉れたる転居哉 家主に薔薇の木を残して転居した様よ。)は、著者訳

 (『ほととぎす』の、明治32<1899>年6月号に掲載されたもの。)

 が、紹介されている。17歳の句。

 この句の発表された前年に、私の父が生まれたことや、祖父も『ほととぎす』に句を投じていたことなどを思い出した。しかし、祖父の俳号も知らないし、自信作があったのかどうかも、孫の私は知らない。

 ふと、生前の祖父から八雲塗りの硯箱をもらい、ひととき、よく使っていたことを思い出した。

 (そうだ、あの硯箱を持参し、書で遊ぶのは、生活に変化をつける意味で面白いかもしれない………などと、思いは枝葉に拡散。)


 話が大きく逸れてしまった。

 人間は時代的背景と無縁には生きられないものと考えている。したがって、私は、著者に限らず、関わりのある人の生没年は、気にする方である。

 會津八一という大きな存在を祖父や父の時代と重ね合わせて考えると、微妙な一面が見えてくる気もして。


 特に、心に残った歌。

 かすがの に おしてる つき の ほがらかに あき の ゆうべ と

 なり に ける かも


 あめつち に われ ひとり ゐて たつ ごとき この さびしさ を

 きみ は ほほゑむ


 あきしの の みてら を いでて かへりみる いこま が たけ に

 ひ は おちむ と す


 おほてら の まろき はしら の つきかげ を つち に ふみ つつ

 もの を こそ おもへ


 すゐえん の あま つ をとめ が ころもで の ひま にも すめる

 あき の そら かな


 くさ に ねて あふげば のき の あおぞら に すずめ かつ とぶ

 やくしじ の たふ


 會津八一さんの歌は、歌に詠み込まれる世界の特異性だけでなく、表記上にも特色がある。ひらがなだけの分かち書きは、読みにくい面もある。が、音の響きを味わいながら、み仏や古都の世界、そして作者の思いに心を馳せるのもいいなと思った。


 かないそうにない夢だが、駆け足の旅ではなく、奈良なら奈良に日を定めず逗留して、その日その日の気分に任せ、ゆったりと旅してみたい。幾度もおとずれた場所ではあっても、いつも人混みのなかの、慌ただしい旅を繰り返してきたような気がする。

 コロナの終息がいつのことか分からない。終息が長引けば長引くほど、老人の余生には少なからぬ影響がありそうだ。

コメント
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