今朝は、目覚めが良く、新聞を読み終えてベッドを出たのが、6時半前であった。
ラジオ体操の時間! と、頭に閃いた。
施設の自室では、ラジオ体操をするように心がけていた。
が、2月末、コロナ禍の問題が生じて以来(施設に患者が出たわけではないのだが、外部からの訪問が禁じられ)、私は施設行きを遠慮し、この際、完全な自立がどこまで可能か試している。一番の問題は食事を自分で用意することであるが、それもなんとかこなしている。(施設で一番ありがたいことは、3食、自室へ運んでもらえることである。)
二月末以来だから、半年以上、施設(私は別荘と呼んでいる)に帰ることはしていない。と同時に、ラジオ体操もサボっている。
今朝、寝室の衣装ダンスの鏡の前で、久々にラジオ体操をした。鏡にうつる自分の体の動きを眺め、見られた様ではないと悲観するほど不格好ではない、と感じた。(自分に甘い?)
手足を動かして、痛みを感じるところもない。
体を動かすと、快適である。(明日からも早起きして、ラジオ体操を続けよう! とは思ったが、意志薄弱な私には、継続の自信はない。起きる元気のある日には…、ということにしておこう。)
先週は、心身の冴えない状態で、かかりつけの医院に三日も出向くことになったし、<24時間心電図>の分析結果はまだ出ていないので、状況が好転したわけではないのだが、とにかく動ける間は、体を動かそうと心を定めると、意外に気分まで軽快なものとなった。
数独一問も、苦労せずに解答できた。
<早起きは三文の得>を実感。いつもだらだらし過ぎて、体調不良を自ら生んでいるのかもしれない。
食事の後、昨夜、ブログに取り上げた外山滋比古著作8冊を書棚に片づけた。
と、その下の棚に、さらに6冊の本の存在に気づいた。
(外山滋比古さんの著作のうち、14冊を読んだことなる。)
見れば、今朝気づいた方こそ、比較的最近読んだ本であった。
以下、書名を追記しておくことにする。(発行年、2017年〜2019年、著者晩年の本。)
① 『知的な老い方』
② 『こうやって、考える。』
③ 『「マコトよりウソ」の法則』
④ 『老いの整理学』
⑤ 『忘れるが勝ち!』
⑥ 『100年人生七転び八転び』<「知的思考錯誤」のすすめ>
⑥は、昨年(2019年)6月9日に上梓されている。
作者95歳のエッセイ集で、先日読んだ『思考の整理学』を除くと、直近に読んだ本ということ。しかし、ブログに、どんな感想を書いたかも思い出せない。
私にとって、書物や活字は、その時々の心のご馳走のようなもの、心に滋味を与えて喜ばしてくれるものである、と言えそうだ。
⑥の内容は、以下の章に分けて書かれている。(章の題名にも、作者の考え方の一端がほの見える。)
1◇反常識の道をゆく 2◇ころがる石あたま 3◇知と独創のおもしろさ
4◇遠くて近い思い出 5◇退屈は人生の大敵 6◇人間の不思議
補遺「100年人生を生きるコツ」(談)
この補遺には、例えば、
「もうトシだから、そろそろ考えるぞ」・おもしろいことがあれば大丈夫・頭を使った生き方=“悪人”になって生きること・「常識的」は無害だから存在感もない・いくつになっても脱線のすすめ・不安は「力」なり
などなどの小見出しがついていて、決して常識的な論法ではなく、その語り口もおもしろい。
老人だからと、周囲に遠慮して、縮こまってばかりでは、生きている楽しみもない。
私は、外山滋比古さんほど 自信をもって自分の意思を貫く勇気はないけれど、志としては外山滋比古風でありたい。
今日手にした本も、一応書棚に戻すけれど、息が詰まりそうな気分になったら、また外山滋比古さんの本を取り出して読み返そうと思う。
今朝、庭歩きをしたとき、頭上に咲いていたノボタンと、その上の秋の空。