ぶらぶら人生

心の呟き

立秋とか

2019-08-08 | 身辺雑記
 昨日、食料品の買い物に出かけたところ、ひどく疲れた。
 その疲れは、今日に持ち越された感じだ。
 どうして、こう疲れるのだろう?
 食欲が今ひとつ、食が細すぎるからだろうか?
 こんな日は、当然、気力も意欲も萎えている。

 今日は、すぐ下の妹の誕生日である。
 お祝いの電話を忘れないように、先日来、<8・8・8>と、心に刻んでいた。
 <8・8・8>とは、<8月8日朝8時>の意で、お祝いの電話を忘れないように………という意味であった。

 「体の方は、まだ大丈夫そう」
 と妹。

 妹は四捨五入すれば80であり、私は四捨五入すれば90である。
 そのあたりに、老いの実態の微妙な差があるのかもしれない。
 私は、このところ、自分の老いをややもて余し気味で、老いそのものが、ストレスでもあると思う。

 午後は、コーヒーを入れて洋間にきた。
 私の好不調は、すぐ読書量量に現れる。
 今、藤原正彦さんの『失われた美風』をボツボツ読んでいる。
 一つのエッセイは、3ページである。

 今日読んだのは、「忖度と惻隠」。(2018年3月29日号)
 「忖度」が、森友・加計問題で、専らの話題となったの日から月日を閲して、問題は未解決要素を残したまま、過去のこととなりつつある。
 藤原正彦さんは、日露戦争における「広瀬中佐」の例を挙げ、

 <かつて我が国では忖度と惻隠は表裏一体となって社会を動かしていた。下の者が上の者の気持ちを忖度して行動し、上は下に情をかける。どこの国にも忖度と惻隠はあろうが、我が国ほどそれが濃密な国を知らない。>

 と書いておられる。また、

 <………上司の意向を下が忖度するというのは、日本の組織では当たり前で必要不可欠なことでもある。社長の意向を役員が忖度し、その意向を部長が………という順に進む。
 ただ公僕の場合は、政治家の意向に対し慎重に接する必要がある。個人間では美徳である忖度が、国民に対する不公平を生む恐れがあるからである。>


 と。さらに、

 <………今度の事件では、一番下の者が責任をとり自殺するという、あってはならない痛ましい事態となった。忖度と惻隠は表裏をなしていて、忖度をしてくれた部下をどんなことがあっても守るのは上の者の厳粛なる義務である。
 今回のような不祥事については、省のトップが部下に災禍が及ばぬよう全責任を一身に負うべきであろう。広瀬中佐がいなくなったのが残念である。>

 と。

 確かに、現代の社会には、惻隠の情が廃れているように思う。


 いつもなら、次のエッセイを読み継ぐのだが、今日はタブレットのYouTubeで『広瀬中佐』聞きながら唱和した。戦時下、小学校唱歌として習った歌である。
 歌詞を完全には覚えていないが、画面に紹介される歌詞を追いながらなら歌える。

 誰も、時代を選んでこの世を生きることはできない。
 YouTubeでいくつかの軍歌を歌い、戦時下を生きざるを得なかった幼い日を思い出し、妙に悲しい気分に浸った。
 当時、歌わされた歌に「佐々木少尉を讃えずや」という部分だけ覚えている歌がある。
 タブレットに、歌詞の全体が出ているか調べたが、見つからなかった。
 
 佐々木少尉は、九軍神の一人で、浜田市の出身であることがわかった。
 浜田市の下府には顕彰碑も造られている、と。
 佐々木少尉を讃える歌は、戦時下、石見の、ごく限られた地域で歌われた歌なのだろうか?
 


 時折、目をあげて、カーテン越しに庭を眺めた。
 今日は立秋
 だが、相変わらずの猛暑で、一歩も外歩きをする気になれない。

 ぼんやり庭を眺めていると、モミジの葉がかすかに揺れ、同時にモミジ葉の影も揺れる。
 ふと、秋が潜んでいるような気がする。
 大きな黒揚羽が、限られた窓辺の空間をよぎって行ったり……。

 猛暑という気象現象は世界的なものらしい。
 夏嫌いの老いの身には、猛暑がひときわこたえるが、もうしばらくの辛抱と思うことにしている。
 
 
     
    ソファに座して、本を読み、カーテン越しに庭を眺める。

     
    書斎の窓から、ノボタンの数を数える。10個の花。


     
       昨日のノボタン。7つの花が咲いていた。
コメント
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