ぶらぶら人生

心の呟き

自堕落な生活(嵐の日)

2018-03-05 | 身辺雑記
3月5日

4時、雷鳴で目覚めた。
強い雨も降っている。
強風も吹き荒れているらしい。
昨日と一変して、春の嵐。

ゴミ出し日だが、
雨の弱まるのを待つことにして、再びベッドに入る。

家でなくてはできない自堕落な生活。
6時過ぎ目覚めたが、ベッドに仰向けになったまま、
不在中に溜まった新聞を読む。
いわゆる<ニュース>は、古びているが、
そのニュースも、追認の意義はあるし、
朝日新聞には、あらゆる種の読み物が豊富である。
立ち止まって考えたり、
味わったりして、
活字文化を楽しめる。
11時まで、寝室で過ごす。

途中、9時には、ゴミ出しに出かけた。
夜着に、上衣を纏って。



その時、風景は霞んでいた。
前方の風景が見えないほどだ。
明け方ほどの大降りではないが、雨が続いていた。

木々の枝には水滴が光っていた。



新聞も、あともう少しというとき、
妹から電話があった。
様子伺いの電話である。

道のべに、土筆がたくさん出ているし、
庭には、黄色い水仙が咲き始めたとのこと。
11日に会う約束をする。

電話中に、昨日宅配を頼んだ品物が、スーパーから届いた。

数日分の新聞を読み終わり、
起床したのは、11時過ぎ。

朝食と昼食を兼ねた食事。
この自堕落な生活のひと時が、
家での、至福の時間である。

河口の部屋では、
万事恵まれているが、
こうした自堕落な生活は
得られない。


※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※


記憶に残った新聞記事(2018年・2・26)より

その1)
『折々のことば』
登山家・田部井淳子さんの言葉。
「病気になっても病人にはならない。」
「すり足でも一歩一歩でも前に進め」と。

その2)
『俳句時評』
「土の人 金子兜太」恩田侑布子
「兜太は洗練とは無縁。ごつごつと人間臭い。土の匂いに憧れた人だった。」

その3)
『日曜に想う』編集委員・福島申二
「明治はそんなによかったか」
冒頭は、中村草田男の名句「降る雪や明治は遠くなりにけり」の引用に始まる。
この文章の終わりの3段落は、以下のように記されている。

「そういえば、冒頭の中村草田男は、首相の母校の成蹊学園で長く教壇に立った。キャンバスには<空は太初の青さ妻より林檎受く>の句碑も立つ。
敗戦翌年の句である。まぶしい空の青と、手に受ける果実。明治以来の国家主義と対外膨張のはての戦火がやみ、平和がもたらされたときの、庶民の心の明朗を映していると読むこともできる。
「明治150年」を言うなら、礼賛より歴史の井戸に深くつるべを下ろしたいものだ。正と負の二つの顔から学ぶものは、汲めども尽きないはずである。」
と。
コメント
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