部屋付きのバルコニーから。
ここに立つと、戸外同様、寒風にさらされる。
自然の音も、ひとりでに聞こえてくる。
白波の砕ける音や松韻も。
持参した双眼鏡で眺める。
レストラン<とみ>も、大浜海岸のあたりも、よく見える。
昼過ぎ、河口の部屋にやってきた。
次第に晴れ間が広がってきた。
今日は、施設の担当者に話を聞いていただくことになっている。
散歩は諦め、部屋にいて、太宰治の「ロマネスク」(<仙術太郎><喧嘩次郎兵衞><嘘の三郎>)を読みながら待つ。
「ロマネスク」の主人公は、三人三様、数奇な生き方をしている。
題名のつけ方からして、太宰治らしい。
読み終えたところへ、担当者のOさんが来室。
あらかじめ、尋ねたいことをメモしていた。
それを見ながら、入室以来、気になっている点について相談する。
朝夕、お世話になっている勤務者のお名前、年間行事と参加義務の有無など。
特に聞きたかったのは、各部屋の人たちとのつき合い方についてであった。
<高齢の方々なので、多かれ少なかれ認知症が入っているので、それを頭において……>
と言われ、納得できることがいろいろあった。
蟠りが、次第に解けていった。
内心、人間関係の大変なところに入居したものだ、と憂いつつ、しかし、老いの身にとっては慣れてゆくしかないのだろう、とも考えていた。
施設の担当者に、相談してよかった。
<認知症>というのは、少々話したくらいで、そう簡単に分かるものではないらしい。
新参者の私は、それぞれの話を真に受けて、これからの付き合い方を憂慮していたのだ。
気持ちが、少し楽になった。
そんなことを言っている私自身が、すこぶる怪しい。
先日、友人から、
「この問題できる?」
と、尋ねられた。
その一つは、鏡に映る時計の絵(しかも、6時と12時が逆さまになったもの)を見て、時間を答える問題であった。
私は、すぐに時間が言えなかった。
「こんなの、問題が悪いの!」
と、私は、出題に難癖をつけた。
しかし、謙虚に考えてみると、私も、認知症の初期段階にあるのだろう。
<多かれ少なかれ>の仲間なのだ。
怖いことだが、認知症の認知度は、自分自身には、分かりにくいのでは?