ぶらぶら人生

心の呟き

大塚の海

2017-01-04 | 散歩道
<1月 3日>

箱根駅伝(復路)の放映を見終わり、散歩に出かけた。

バス停の位置を確かめたあと、大塚海岸に行ってみた。
やや殺風景ではあるが、大きく開けた海岸である。





カラスの飛び交う河口の景


今日は春めく天気で、風景が霞んでいた。
東方を望むと、昔のK村とT村の村境(むらざかい)に当たる<城ケ浦>に、白い建物が見える。
個人の別荘であろうか? と思いながら、初めてその建物を見たのは、昨春のことだった。

思い出してみると、1年前は、現在よりはるかに元気だった。
津田海岸の、長い渚を歩き、さらに昔の通学路を3キロばかりも歩けたのだ。

<じょうぐら>ほど寂しいところはないと思っていた場所を通って驚いた。
60余年を閲して、風景はすっかり変わっていた。
(昔の村境は、松風の寂寥感を伴う音と、海の轟音が轟くだけの怖い場所だったのだが…。)

そのことをブログに書きつつ、<じょうぐら>とは、どんな漢字を当てるのだろう?
と、不審に思ったのも、その時であった。

郷土史家として今も活躍中のYさん(10代からの友達)に電話して、正しい地名を教えてもらった。
<じょうぐら>ではなく、<城ケ浦>(じょうがうら)である、と。
ウグイスの初音を聞いたのも、その日だった。

その城ヶ浦にある白い建物が、大塚海岸から、はるか彼方に見える。
生涯、ご縁があろうなど想像もしなかった大塚海岸に佇んで、昨年の早春を思い出したのだった。


海岸への道を歩いていると、猫が3匹も寄ってきた。
ここは、猫にとって、住み心地がいいのだろう。
近くに、漁船の係留場所もある。
食べ物には、事欠かないということらしい。

動物写真家として有名な岩合光昭さんの写真にも、海辺に住む猫が、よく登場する。

 

 

食欲だけは満点なのだが、昨夜来(正確には、昨年末以来)体調に不安感がある。
特に昨夜は、入浴後から就寝まで、不整脈が多いだけでなく脈が弱く、おまけに立ちくらみがした。
座っていても浮遊感があり、瞬間的に周囲のものが見えなくなる状態が、繰り返し起こった。

昨年の12月中旬以来、不整脈が多くなった。
かつて若い日に経験した自律神経失調症であろうと自己診断していた。

が、年末来の異常は、新年を迎えて、度合いが増した。
ナースコールを押し、相談すべきかどうか、迷っているのは、私がまだ正気であることの証拠でもあった。

気分が悪いので、ベッドに横臥した。
と、今度は、両足がしびれ始めた。
これはいったい何事だろう!?
と、不安が増幅する。

起き上がって歩こうとしても、力が入らない。
部屋のどこかに、私をいじめる小悪魔が潜んでいるのではあるまいかと、非科学的な妄想まで湧いてきた。

脹脛をもみほぐしているうちに、立てるようになった。
眠るに如(し)くなし。
睡眠薬を飲んで就寝。


新しい朝は来ないかもしれないと思っていいたのに、3日の朝がやってきた。
そう簡単に、命を終えることはできないものらしい。

(ここまで書いたところへ、<A福祉センターN>への入居に際して、初めてお会いしお世話になったOさんが、様子を見に来てくださった。
 3日から、勤務が始まったのだろう。
 早速、昨夜のことを話す。
 親身になって聞いてくださる。
 ありがたいことだ。)

相談できる人の存在は、ありがたい。

<A福祉センターN>の居心地は、よさそうである。
自分の家にいるとき同様、何の拘束もなく自由に過ごせるうえ、上げ膳据え膳である。
接する人は皆、親切である。

ただ、楽なことに甘え過ぎないようにしょう、と現在は考えている。
コメント
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