ぶらぶら人生

心の呟き

そうだった! 「伸子張り」

2010-10-03 | 身辺雑記
 今朝、日曜美術館で上村松園を観ているとき、「伸子張り」という言葉が出てきた。
 ああ、そうだった! と、深く立ち込めた霧が、一挙に晴れる思いであった。

 「伸子張り」の光景を、何かの折に思い出しながら、その言葉が出てこなかった。
 深夜、梟の声を聞くとき、あるいは母のある日や幼い日の一ページを思い出すとき、「伸子張り」という言葉を思い出したいのに、記憶箱の深くに閉じ込められて、容易に出てきてくれなかったのだ。
 その一瞬は、非常にもどかしい思いをしながらも、日々の生活に必要な言葉ではないので、やがては思い出せないことも忘れていた。

 梟が鳴くと、
 「ノリツケ ホーセが、鳴いてるよ。明日はいいお天気!」
 と、母は言った。
 それが、洗濯や伸子張りとも結びついた記憶なのに、「伸子張り」という言葉が思い出せなかったというわけである。
 伸子張りは、今では全く見られなくなったが、私には懐かしい光景である。

 当時、私は幼く、伸子を張る母の仕事を手伝っていたのか、邪魔をしているだけだったのか、分からない。
 ただ、暖かい陽だまりにいるような懐かしい思い出であり、前庭の木から木へ張られた長い布の紋様が色々であったことなどを、折に思い出すのだ。
 
 そうだ、そうだ、「伸子張り」だった! と納得すると同時に、あの風習は、いつ頃、終止符が打たれたのだろう? と考えた。
 早速、5歳違いの妹に、「伸子張り」を知っているかと電話で尋ねた。
 知っている、伸子張りの手伝いをしたこともある、との返事だった。

 私は女学校に入ってからは、片道1時間をかけて汽車通学をしたので、昭和20年以後は、母の手伝いをすることもなかった。
 当時は、煙をもくもくと吐く機関車が長蛇の列車を引っ張って、轟音を立てながら、日本海沿いの山陰本線をのろのろと走っていた。
 朝は暗いうちに出かけて、日暮れて帰る日々であった。

 妹が記憶しているということは、「伸子張り」が、戦後、暫くは各家で行われていたのだろう。
 和服が洋服に変わる歴史に呼応して、次第に消えた文化なのであろうけれど…。


 私は今まで、上村松園の美人画を、何となく好きになれなかった。
 が、今朝、解説つきで松園の日本画を観、そこに込められた精神性に気づかされた。
 今後、上村松園の絵画に接する機会があったら、新しい見方ができそうである。


 (添付写真は、秋明菊の蕾。白色がのぞき始めて久しくなる。開花に時間をかける花のようだ。)

        
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秋の香 秋の実

2010-10-03 | 身辺雑記
 雨の止み間、庭を歩いていると、花の香が漂ってきた。
 金木犀? と思いながら、その木の下に行ってみた。
 果たして、黄色の小さな花が咲いていた。(写真)
 彼岸花のように、咲き時についての記憶が定かでない。
 異常な暑さが続いたため、金木犀も、例年に比べ咲き遅れているのかどうか?

 金木犀は、香で秋を告げる花である。

        金木犀の花

 午後、近所のOさんから在宅を確かめる電話があり、栗を持って来てくださった。
 私が皮むきを億劫がることを知っていて、剥き栗と皮付きの両方を持って。(写真)
 今年の栗は、甘くておいしいそうだ。
 新米で栗ご飯を炊いて、季節を味わいたい。

 Oさんはやがて90歳。杖もいらない達者ぶりである。
 コーヒーを飲みながら、近況を語り合う。

        いただいた栗

        いただいた剥き栗
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