今朝、さわさわではなく、ざわざわと形容したい風が吹いた。
台風の小さな余波なのだろう。
昨夜も、吹き荒れた気配はなかった。
その証拠のように、2メートル近く伸びた紫苑の細い茎が、傾きさえしていない。
そして、ひそやかに、花が咲いているのだった。
雨量はどれほどだったのか、昨夜、雨音が気になることもなかった。
ただ、今日は終日、曇り空が重く広がり、折々、霧雨が降った。
裏庭の紫苑を眺めたあと、思わぬ所に台風のいたずらはないかと、家の周りを見てまわった。
台風の狼藉は、全くなかった。小さな鉢の一つも、転がっていなかった。
風水害の被害を受けた土地もあることを思うと、ありがたい。
人からいただいた鉢植えの百日紅を地面に下ろしたのは、10年以上も前である。
一向に大きくならず、存在を忘れていた。
ところが、その小さな木に、紅色の花が点っていた。
頼りなげな花ながら、来年も咲くことを約束してくれているようで、嬉しい。
シロヤマブキの苗木をもらったのは、3年前だった。
今年は、数個の花が咲き、当然の如く、みごとな実が葉陰についていた。
午後は、日高敏隆著『世界を、こんなふうに見てごらん』を読んだ。
常識の枠の中で、悶々と生きている者にとっては、心地よい啓蒙の書だ。
感想は、また日を改めて書きたい。
台風の小さな余波なのだろう。
昨夜も、吹き荒れた気配はなかった。
その証拠のように、2メートル近く伸びた紫苑の細い茎が、傾きさえしていない。
そして、ひそやかに、花が咲いているのだった。
雨量はどれほどだったのか、昨夜、雨音が気になることもなかった。
ただ、今日は終日、曇り空が重く広がり、折々、霧雨が降った。
裏庭の紫苑を眺めたあと、思わぬ所に台風のいたずらはないかと、家の周りを見てまわった。
台風の狼藉は、全くなかった。小さな鉢の一つも、転がっていなかった。
風水害の被害を受けた土地もあることを思うと、ありがたい。
人からいただいた鉢植えの百日紅を地面に下ろしたのは、10年以上も前である。
一向に大きくならず、存在を忘れていた。
ところが、その小さな木に、紅色の花が点っていた。
頼りなげな花ながら、来年も咲くことを約束してくれているようで、嬉しい。
シロヤマブキの苗木をもらったのは、3年前だった。
今年は、数個の花が咲き、当然の如く、みごとな実が葉陰についていた。
午後は、日高敏隆著『世界を、こんなふうに見てごらん』を読んだ。
常識の枠の中で、悶々と生きている者にとっては、心地よい啓蒙の書だ。
感想は、また日を改めて書きたい。