ぶらぶら人生

心の呟き

可愛い野花 2 (ツリガネニンジン)

2007-08-17 | 散歩道
 偶然、他用で来宅のI・Tさんのおかげで、前回のブログに書いたとおり、山野に咲く可愛い花の名前を知ることができた。植物の本でも確認したが、間違いなく「ツリガネニンジン(釣鐘人参)」である。(写真)
 この紫の花こそ、本来の釣鐘人参で、前回添付した白いツリガネニンジンは、アルビノ現象で、花色が変色したものだそうだ。
 私の見た二色のツリガネニンジンは、隣り合うようにして咲いていた。紫の花の方が、白い花に比べ、少し大きめであったが、たまたま私が見たのがそうだっただけかもしれない。一を以って、決め付けるのはまずいだろう。別な場所で見かけたときに、その大きさを対比してみることにしよう。
 花の形が釣鐘に似ており、根が人参のそれに似ているところから、この名前は付けられたようだ。
 下向きの釣鐘型の花が可愛らしい。中央にピンと突起しているのは、雌花だそうだ。野にさりげなく咲く花のなかでも、色といい形といい、とりわけ捨てがたい味のある花である。
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可愛い野花 1 (ツリガネニンジン)

2007-08-17 | 散歩道

 野に咲く花として、あまりに可愛いので、その名を知りたく思っていた。暇なときには、植物の本を開き、同類の花を探していた。
 午前中、外出の準備をしているところへ、知人のI・Tさんの訪問を受けた。配り物で忙しいらしく、また改めてお邪魔すると、早々に引き上げようとされるI・Tさんを引き止め、この花の名を尋ねたのだった。ちょうど、携帯電話の待ち受け画面に貼っていたので、それを示して。
 「この花はなんでしょう?」
 「えーとねえ、……ツリガネニンジン」
 「これは白だけど、紫色のもあるのですね」
 「もともとは紫の花で、白いのはアルビノ現象で変色したんです。岩国に白蛇がいるでしょう。あれもアルビノ現象でそうなったんです」

 さすが生物学の生き字引!
 最近、石垣島周辺のサンゴに白化現象が見られるとテレビが報じ、問題視されていた。ふとそのことを思い出したが、先を急いでおられるI・Tさんに迷惑をかけてはいけないので、その白化については尋ねなかった。が、あれはアルビノ現象とは異なる、もっと深刻な生死に関わる異変なのだろう。
 地上だけでなく、海中にまで、高温による異常が生じているようだ。

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二組の訪問者

2007-08-17 | 身辺雑記
 お盆の14,15日は、なんとなく慌しかった。
 お盆ゆえの人の出入りがあったためである。しかし、こちらは血縁者で、気が置けない人たちなのだが、それでも日頃とは異なる生活なので、心身に疲れを覚えた。

 16日は日常を取り戻し、ゆっくりパソコンでも開けようとしていたところに、友人から電話があり、訪問を受けた。アワビとサザエのお土産と共に。(写真)
 海の幸を食べて、元気を出せと。
 昨夜は、ありがたく生きのいいアワビをいただいた。こんな鮮度のいいアワビやサザエを口にできるのは、海辺近くに住む者の幸せである。


 午後、受話器の向こうで発せられる声には、全く記憶がなかった。Kだと名のられても、顔も浮かばない。とにかく、今からSと一緒に伺います、という電話だった。
 無理もない。53年ぶりの再会である。私の記憶箱をどう探してみても、KとかSなる人が蘇りそうもない。困惑しているところへ、二人の男性が現れた。
 顔を見ても、なお私とのつながりが思い出せない。
 「無理ないですね。半世紀もお会いしていないのですから……。証拠物件を持参しました」
 そう言いつつ、Kさんの取り出したのは、古めかしい一枚の写真だった。豆粒のような小さな顔が20人あまり並んでいる。私は、老眼鏡をかけ、さらにルーペを取り出して、写真を覗きこんだ。間違いなく、若き日の私がそこにいる。
 「Kさんは?」と聞いて、指差された顔には、確かに現在の面影がある。
 「Sさんは?」と尋ねた途端、美男のSさんの、53年前の顔を探し当てることができた。

 Kさん、Sさんは、いつか訪問しようと話し合っていたのが、やっと果たせたと嬉しそうであった。私の記憶箱の奥底に眠り続けていた交わりの想い出が、緩やかにほどけていった。
 Kさんは退職後、悠々自適の生活をし、Sさんは再就職をして働いているため、お盆休みの最後の日を選んで、二人で訪れたということだった。話しているうちに、半世紀余の無縁の空白をなんとか埋めることができたのは、快哉であった。しかし、相変わらず朧にかすんだ面もあって、具体的な話になると、どうしても思い出せない事柄もあるのだった。
 
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宍道湖の花火 5

2007-08-17 | 身辺雑記

 宍道湖の花火。(妹の撮った写真 その5)

 複雑な美を計算どおりに打ち上げるのは、至難の技に思える。

 花火といえば、今年は、家のそばから、遠花火を見ただけである。海岸で打ち上げられた花火が、山の端の空に、小さな花を咲かせるのを……。(過日のブログに投稿)
 来年は、と言えば鬼に笑われるかもしれないが、是非見に行きたいと思っている花火大会がある。お盆と重なる場合は出かけるわけにゆかない。が、今年と開催日が同じなら、多分その前に行われるはずである。今からひそかに夢見て、来夏に思いを馳せているのだが……。
 お盆の間は、父母を初めとする、懐かしい故人の霊が、身近なところにあるようで、家を空けることができない。
 家のしきたりとして、特別なことをするわけではないが、ひとりでにお盆の行動は縛られてしまう。
 ずいぶん昔、吉野の叔母(すでに故人)を訪ねたとき、ちょうどお盆の初日だったらしく、庭で迎え火をたき、こうして、亡き人の霊を迎えるのだと、叔母が話してくれたことを思い出す。送り火には立ちあわなかったが、当然、叔母の家では、16日には、送り火がたかれたことだろう。
 わが家には、そのようなしきたりはない。が、昔、父母がした最低のおつとめだけはして、お盆の日を過ごすのだ。

 今日は、やっと普段の生活に帰れた。
 宍道湖の写真を送ってくれた妹が、友人に会うため益田に来たので、その前に会って、お昼を一緒にした。そのあと、街をぶらぶらする元気はなく、すぐ帰宅した。依然として、照りつける濃い日差しを見ていると、お日様恐怖症になってしまうのだ。
 もともと夏嫌いの私だが、今年ほど外出を控えた年はない。

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宍道湖の花火 4

2007-08-17 | 身辺雑記
 宍道湖の花火。(妹の撮った写真 その4)

 金色の球体。整った美しさを生み出すのも、単純なようで、決して簡単なことではないのかもしれない。この手の花火は、昨年、私が撮った写真の中にも、幾枚かあった。
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宍道湖の花火 3

2007-08-17 | 身辺雑記
 宍道湖の花火。(妹の撮った写真 その3)

 空に、湖面に、白光の砕け散る華が二つ。
 これはこれで見ごたえがあっただろう。
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宍道湖の花火 2

2007-08-17 | 身辺雑記
 宍道湖の花火。(妹の撮った写真 その2)
 
 花火師が、一瞬に砕ける美にかける思いは、想像以上のものであろう。思い描いたとおりの華を、天上に咲かせることができるかどうか。
 小さな写真では分かりにくいが、この花火には、かなり手の込んだ工夫が隠されていそうに思える。
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宍道湖の花火 1

2007-08-17 | 身辺雑記
 例年どおり、宍道湖畔で夏の花火大会が行われ、妹夫婦は今年も出かけたと、そのとき撮った写真をメールで送ってくれた。
 昨年は、私も妹に誘われ、湖上に打ち上げられる花火を見に出かけたのだった。
 その折のことを思い出しながら、届いた写真を楽しんだ。
 妹の話では、昨年より座席の位置が悪く、そのせいで花火が小さく見え、少々迫力に欠けたと話していた。見る場所を選ぶことは大事だと。

 写真の花火は、実景に遠く及ばないが、記念に残しておくことにする。(妹の撮った写真 その1)
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