昨日見たツバメの巣を、今日(6月3日)も、訪ねてみた。散歩がてらに。
想像していたとおり、巣は空っぽだった。三羽とも、無事に巣立ったのだろうか。
昨日、親ツバメが、餌を与えることもせず、巣の周りを旋回して、そのまま行ってしまったのは、子ツバメに巣立ちを促したのかもしれない。
「もう あんたたち、自分で餌を探すのよ。飛びたてるから、 さあ 頑張って!」
親ツバメのそんな激励の言葉を受けて、巣の中が騒然となったのではあるまいか。それまで、お行儀よく、巣の中で体をくっつけあっていた三羽の子ツバメが、急に慌しく動き始めた。狭い巣の中で、バタバタするから、落っこちるのではあるまいかと、私は心配した。が、ツバメにはツバメの習性が、幼いながら身についているのだろう。
まず一羽が、巣から出て、テントの支えの、細い突っ張りの線に止まり、次いで二羽目が同じように、やや危なっかしい様子で、巣を出ると、すぐ傍の線に並んで止まった。見るからにたどたどしげな様子で、方向を変えたと思うと、また元の方向に向きを変え、二羽が頭を揃えて並んで止まった。
一羽だけが、巣の中で気後れしたように、落ち着かぬふうであった。
「僕も、飛べるかなあ」
といった心境のように見えた。
昨日のツベメとのお付き合いは、そこまでだった。
その後を見届けないで、私は帰途についた。道々、<あれは、巣立ち直前の姿だったのではあるまいか>、そんなふうに思いながら……。今頃、すでに巣は空っぽになっているのかも知れない……とも、考えながら。
予想通り、今日、巣にツバメの姿はなかった。無事巣立ったのだろう。なんの確証もないが、そんなふうに思った。巣の中で、気後れしていた最後の一羽も、他のツバメに促されるようにして、巣を離れたに違いない。
今日は、晴たり曇ったりのお天気だが、六月にしては、風が冷たい。ぬくぬくと体を寄せ合っていた子ツバメにとって、この冷たさはこたえないだろうか。
親の、そして兄弟の絆は、巣立ちの後も、続くのだろうか。それとも、一旦巣を離れると同時に、完全なひとり旅が始まるのだろうか。
「お父さん、こんにちは!」
「おお、元気かい?」
「お母さん、ぼく頑張ってるよ!」
「いい子だね。お母さんが見守ってるからね」
ツバメ語で、そんな親子の会話がなされるのかどうか。
「おまえ、虫捕れたか」
「ダメダメ、また失敗しちゃったよ」
「頑張ろうぜ!」
兄弟のツバメ同士の間では、そんな微笑ましい会話が交わされるのかどうか。
私は空を見上げる。
巣のあるテントの上空を、幾羽かのツバメが滑空している。電線に止まったのもいる。昨日まで巣に居たツバメかどうかの見分けはつかない。が、きっと私の眼にとまった幾羽かのツバメの中に、巣立ちしたばかりの子ツバメもいるに違いない、そう信じたい思いだ。
生涯のスタート点に立ったばかりの子ツバメに、「前途,平安!」と、中国語の、たどたどしい発音で言ってみる。生涯の無事を祈り、巣立ちのツバメを眺める、そんなお節介で暇な老女が佇んでいることなど、ツバメには無関係なことかもしれない。
嗚呼!
想像していたとおり、巣は空っぽだった。三羽とも、無事に巣立ったのだろうか。
昨日、親ツバメが、餌を与えることもせず、巣の周りを旋回して、そのまま行ってしまったのは、子ツバメに巣立ちを促したのかもしれない。
「もう あんたたち、自分で餌を探すのよ。飛びたてるから、 さあ 頑張って!」
親ツバメのそんな激励の言葉を受けて、巣の中が騒然となったのではあるまいか。それまで、お行儀よく、巣の中で体をくっつけあっていた三羽の子ツバメが、急に慌しく動き始めた。狭い巣の中で、バタバタするから、落っこちるのではあるまいかと、私は心配した。が、ツバメにはツバメの習性が、幼いながら身についているのだろう。
まず一羽が、巣から出て、テントの支えの、細い突っ張りの線に止まり、次いで二羽目が同じように、やや危なっかしい様子で、巣を出ると、すぐ傍の線に並んで止まった。見るからにたどたどしげな様子で、方向を変えたと思うと、また元の方向に向きを変え、二羽が頭を揃えて並んで止まった。
一羽だけが、巣の中で気後れしたように、落ち着かぬふうであった。
「僕も、飛べるかなあ」
といった心境のように見えた。
昨日のツベメとのお付き合いは、そこまでだった。
その後を見届けないで、私は帰途についた。道々、<あれは、巣立ち直前の姿だったのではあるまいか>、そんなふうに思いながら……。今頃、すでに巣は空っぽになっているのかも知れない……とも、考えながら。
予想通り、今日、巣にツバメの姿はなかった。無事巣立ったのだろう。なんの確証もないが、そんなふうに思った。巣の中で、気後れしていた最後の一羽も、他のツバメに促されるようにして、巣を離れたに違いない。
今日は、晴たり曇ったりのお天気だが、六月にしては、風が冷たい。ぬくぬくと体を寄せ合っていた子ツバメにとって、この冷たさはこたえないだろうか。
親の、そして兄弟の絆は、巣立ちの後も、続くのだろうか。それとも、一旦巣を離れると同時に、完全なひとり旅が始まるのだろうか。
「お父さん、こんにちは!」
「おお、元気かい?」
「お母さん、ぼく頑張ってるよ!」
「いい子だね。お母さんが見守ってるからね」
ツバメ語で、そんな親子の会話がなされるのかどうか。
「おまえ、虫捕れたか」
「ダメダメ、また失敗しちゃったよ」
「頑張ろうぜ!」
兄弟のツバメ同士の間では、そんな微笑ましい会話が交わされるのかどうか。
私は空を見上げる。
巣のあるテントの上空を、幾羽かのツバメが滑空している。電線に止まったのもいる。昨日まで巣に居たツバメかどうかの見分けはつかない。が、きっと私の眼にとまった幾羽かのツバメの中に、巣立ちしたばかりの子ツバメもいるに違いない、そう信じたい思いだ。
生涯のスタート点に立ったばかりの子ツバメに、「前途,平安!」と、中国語の、たどたどしい発音で言ってみる。生涯の無事を祈り、巣立ちのツバメを眺める、そんなお節介で暇な老女が佇んでいることなど、ツバメには無関係なことかもしれない。
嗚呼!