ブルーベルだけど

君にはどうでもいいことばかりだね

MAZDA 626 物語 最終回

2010-12-15 00:02:43 | 日記

(前回 12/12 からの続き)

僕はその旧友を赤色にリペイントして購入した。  輸出用エンブレム “ MAZDA 626 ” を付けたこのクルマは、 どこに行っても外車と勘違いされた。  モモステ、 レカロにグラスサンルーフがついたそのクルマを所有していた日々は、 本当に幸せだった。  東名高速道路上、上の子がこのクルマから、生まれて初めて流れ星を見て興奮していたのを思い出す。

その後、時々エンストするようになった。 但し、僕が運転しているときには異常が見られないので放置していたところ、ある日〇須〇からの帰り道、〇6号から〇倉〇道に右折後、しばらく走った道沿い右手にあるロイヤルホストで夕食をとろうと、駐車場入口に差し掛かったあたりで、突然エンジン音が消え、動かなくなった。

幸い、キーを回すと再び始動した。 初めて経験したオートマ車のエンスト。 買い替えを決意した僕は再び、車を道具と考え、快適で安定した性能を求めるようになった。

ところが、様々な事情で 4代目 GOLF を入手するに至り、スタイルやフィーリングを求める感覚が見事復活。 好きなクルマは煌く宝石のように見えるから不思議だ。

今も、一番好きなクルマは 4~5代目 MAZDA 626 と 4代目 Volkswagen GOLF ・・・ そして、所有したことはないけど、 2代目ジェミニも気になる存在だ。 4~5代目 MAZDA 626 のフォトを見て未だに心ときめく僕は、相当重症かも?(笑)

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MAZDA 626 物語 その4

2010-12-12 00:00:07 | 日記

(前回 12/10 からの続き)

その後、ちょっと大きくなった5代目のホイールを変形させる事故を起こしてしまった。 タイヤは見事にパンク。 心配になった僕はJAFを呼んで見てもらった。 旧〇倉街道〇山付近の酒屋の前、冬の小雨の中、なぜか車外で傘もささず、震えながら到着を待つ。  あいにくJAFでは具合が分からず、スペアタイヤに交換してもらって帰った。

事故の結果は、パンクとホイール変形とバンパーのキズ。 それは、MAZDAがルマン優勝した年。 駆動系に何かあると不安になる僕は、買い替えを決意した。 買い替えたのは小さめの車。 新しい車は寒い日にパワーウインドウが不調だったが、それにも増して硬いくせにグニャグニャと腰のないサスのフィーリングが好きになれなかった。

ある日、〇崎街道を走っていると、上の子が「父ちゃんおしっこ!」と言うので、 偶然右前方に見えるMAZDAに入ることにした。 店員と MAZDA 626 への熱い思いでひとしきり盛り上がると、「ちょうど下取りで入った5ドアハッチバックがありますよ」とのこと。  店の裏、線路沿いにある駐車場に行くと、そこにはあの旧友がいた。 古びた4代目 MAZDA 626 5ドアハッチバック ・・・ その姿は今も忘れられない。

フォトは 5代目。 5代目5ドアハッチバックも、リアがチャームポイントだ。(次回に続く)

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MAZDA 626 物語 その3

2010-12-10 00:00:27 | 日記

(前回 12/7 からの続き)

4代目 MAZDA 626 に5年ほど乗った。 買い替えをするなんて思いもしなかったけど、ある日、東名高速でハンドルに異常な振動を感じ、前輪辺りに異音が響き、車体も揺れた。

心配になってディーラーでチェックしてもらったところ、前輪シャフトのブーツが破損しているとのこと。 修理も考えたが、結局買い替えの道を選んだ。 時代は、かのバブル前夜に突入。

そして、ちょっと大きくなった5代目を購入。 内装はベージュ系で、広く豪華になり、性能も乗り心地も格段に良くなり、子供も後席で楽しそうにゴロゴロしていた。 300キロ程離れた故郷に帰った際に、珍しく「乗せてくれ」と言い出し、僕が通った高校の辺りまで足を延ばした助手席の父も、終始笑顔で嬉しそうだった。

休日は、当時暮らしていたテラスハウスの庭でエンジンをかけ、ドアを開けてカーステで好きな曲を流しながら、庭に置いたガラステーブルでビールを飲むのが日課。 今思えば環境に良くないし、近所迷惑だ。(爆) この頃、輸出用エンブレム “ MAZDA 626 ” を入手したっけ。

ちなみに、この “ ちょっと大きくなった5代目 ” は、西ドイツのオートモーター・ウント・スポルト誌「読者が選ぶインポート・カー・オブ・ザイヤー」に連続選出されている。 MAZDA は、この結果に驚いた日本の関係者を現地見学ツアーへ招待した。 参加者は、ドイツの街を走る MAZDA 626 の多さに改めて驚いたとか。(次回に続く)

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MAZDA 626 物語 その2

2010-12-07 00:51:08 | 日記

(前回 12/5 からの続き)

ところが、いざ取り付け作業に入ると、輸出仕様はネジ穴や取り付け金具が特殊とのことで、そのままでは装着できず、最後は店員さん3人がかりで悪戦苦闘。 4時間ほどかかって完成したときには午後7時をまわり、既に辺りは暗くなっていた。(爆) 

このカーオーディオは本当に音が良く、その上デザインも良かった。 何よりもクルマのダッシュとほぼ同色で、違和感なく純正のように納まったことに大感激! この一件からイエローハットには特別なイメージを持ち続けながら、今も感謝している。

トランクスルーやフルフラットシート、高速で時速70kmを超えたあたりで自動的にサスがハードに切り替わる機能もお気に入り。

ノーマル状態でも程よく引き締まったサスは心地よく、途中、立ち寄ったレストランで夕食(ハンバーグステーキだったかな?)をとり、向かった高〇〇音からの帰り、夜の国道〇7号を路面の凸をいい感じでインフォメーションしながら快走している車内が、今も鮮明に思い出されるほど。

4代目 MAZDA 626 ・・・ 本当に良いクルマだったな。(次回に続く)

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MAZDA 626 物語 その1

2010-12-05 17:16:05 | 日記

過去に乗っていた愛車で一番好きなクルマは、4~5代目 MAZDA 626 (日本名:CAPELLA) 。 FFになり、Alain Delon の CM により国内でも結構売れ、第3回カーオブザイヤーを受賞する。  モデル末期の特別仕様車 “ LIMITED EDITION ” はモモステ、レカロが標準装備だった。

偶然、雑誌で見かけたこのクルマに惚れ込んだ。 それまで見てきた車とは全く異なる魅力的なフォルム。車を道具と考え、高い動力性能や快適装備に憧れていた僕は、このとき初めて、デザインでクルマが好きになった。 やや間を置いた後、僕はこのクルマを購入する。

購入後に読み出した “ 間違いだらけのクルマ選び ” で、 「スタイルがウケて、欧州で大人気。  安い割りに性能が良いからと海外で売れている日本車が、 スタイルで売れるのは嬉しいじゃないか」といった筆者のコメントを見て、 自身のセンスが正常(笑)であることも確認できた。 その後、当時住んでいたエリアにあるイエローハットに行き、カーオーディオを奮発することに。

たまたま売っていたパイオニア ロンサムカーボーイの輸出用(USA仕様)チューナー&カセット(古い!)が気に入ると、なぜか「良い音のセットを安く組むことに挑戦しよう!」と、店員さんが何人も集まり、「あーでもないこーでもない」と意見が交わされ、瞬く間にアンプとスピーカーが選定された。 なぜこの展開になったのか今も分からない。 金欠状態を見破られたか?(笑 ・・・ 次回に続く)

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