ブルーベルだけど

君にはどうでもいいことばかりだね

何もない部屋

2012-12-31 08:19:38 | 日記

ガスの開栓立会いで訪れた部屋は業者からの報告通り、リビングに隣接する洋室の壁と床が取り払われ、廃材がまとめて置かれていた。 廃棄予定の食器棚だけが中央に鎮座する殺伐とした風景だけど、陽光で暖かい。

3 LDK を 2 LDK にリフォームしたリビングは思ったよりも広く、躯体の梁はさておき、天井も高く見える。

「 スピーカーとテレビはここかな? 」 「 ソファは? 」 などと悩みながら玄関入ったところの洋室に移り、 「 ベッドはどこに置こうか? 」 などど考えてみる。 今が一番楽しい時期なのかも。

年明けから本格的な工事が始まる。 ちょくちょく立ち寄って、室内の景色が変化していく様子を記録しちゃお ♪

 

何はともあれ、2012 年は今日で終わりである。

 

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終の棲家

2012-12-24 02:14:19 | 日記

条件は、標高が十分ある平坦で安定した地盤であること、 駅・コンビニ至近、 勿論オートロック付き、 SRC、 60㎡以上、 所在階が10階前後、 眺望が良いこと、 全ての部屋に共用廊下に面しない窓があること、 日照が妨げられる心配がないこと。


こいつを探すのに、ネット検索期間を含めて 2 年以上かかってしまった。 そのご褒美か、病院もスーパーも至近というオマケ付きだ。


会社も近くなる。 ドアツードアで片道 1 時間 20 分かかっていた通勤時間は半分に ・・・ もちろん、転勤がなければの話だけど。 駅までの距離は、現在使っているバスの乗車停までと、降車停から駅までとの合算以下である。


壁紙、床を新調し、3 LDK を 2 LDK にリフォーム。 広くなったリビングには大きなウォークインクローゼットを 2 基導入して、フロアに露出させるのはテレビ、ソファ、ローテーブル、スピーカーシステムだけにしよう。


複数の大学を抱えるベッドタウンに不相応なちょっぴり寂しい街並みも僕に似合っている ・・・ 。


 


悩み抜いた末の決断、そして引越し。 いよいよ来月である。


 

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“ 新郎の父 ” を務める日の朝

2012-12-23 14:24:59 | 日記

“ 新郎の父 ” を務める日の朝、新幹線車内から目にした日の出。

「 これで 8 時 22 分には故郷の駅へ降り立つことができる ・・・ 」

徹夜明けで 2 便前への変更乗車を果たした僕にとって、このサンライズは無上のひと時だ。

 

僕には新郎の父を拝命する機会がもう 1 回訪れる予定。 今から楽しみである。 

 

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現地視察という名の旅行 (最終回)

2012-12-18 00:28:47 | 日記

3.11 で被災した中心地は思ったより近い。 そして、それは想像を絶する景色だった。

遠くに見えるいくつもの丘 ・・・ 近づくにつれ、それらが瓦礫の山であることを知る。 金属、木材、車両に分別されたもの、分別さえ進んでいないもの ・・・ 基礎だけになった住宅地、崩れたままの橋、残った家屋も軒並み 1 階部分が空っぽになっている。

皆、言葉を失っていた。 〇巻の繁華街に建設されたマンションのコピーも、通常多用されるそれとは違い、何もかも失った被災者の気持ちを十分配慮したものだった。

変更前の予定より 1 時間遅れて次なる視察先に到着。 気を取り直してプランニングされたコースを回り、最後の地でレンタカーを返却し、帰途に就いた。

某ローカル線の、1 時間に 1 本しかない某駅行列車に飛び込み、バラバラだけど何とか席を確保。 30 分ほど乗車したところでまとまった席が空き、4 人揃って座りながら、それぞれの感想を話し合っているうちに 1 時間半程で新幹線乗り換え駅に到着。

帰りもグリーン車はガラガラだ。 後方で行儀良く座る O さんと M さんをよそに、僕はさっさと目前のシートを回転させ、U さんと足を投げ出しリラックス。

21 時には東京駅へと到着し、かくして現地視察という名の旅行は終了。 僕らは挨拶を交わし、それぞれ自宅へと向かった。 (完)

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父の涙声の真実

2012-12-12 08:19:26 | 日記

大切な日の未明、持ち帰った仕事とブログの更新を済ませ、念のためスマホで検索すると、なぜか目的地へ予定時刻に到着する画面が出ない。 時刻は既に午前 3 時前。 もともと徹夜の予定だったけど ・・・ 。

そのままシャワーを浴びて身支度を整え、徒歩で駅まで出て始発電車に乗る。 15 分程で到着した乗換駅で僕はひたすら走り、何とか 1 本前の電車に飛び乗った。 そして新幹線乗り換え駅へ到着し 2 本早い便に変更して、エスカレーターを駆け上がり、何とか乗り込むことができ、「 ホッ 」 と一安心。 某駅で私鉄に乗り換え、〇野〇へ 8 時 22 分に到着。

焦った ! 母がいない !! 電話をしたところ、30 分前には家を出たと言う父。 駅までの道で倒れていないだろうか ??? そんな不安を胸に、間もなく到着した 8 時 31 分の電車で逆戻りを開始。

実は、迎えに行くと言ったら、うんざりした声で強く断られたので、故郷の駅まで迎えに行くことは内緒にしていた。

乗車後には、母の携帯にさんざんメールを送り電話をかけたけど音沙汰なし。 そうこうするうちに電車は乗り換え駅に到着。 慌てて乗り換え改札に行き待ったけど来ない。 仕方なくその地の新幹線乗り換え駅へ向かい、待合室を隅々まで睨み見たけど姿はなし。 仕方なく、ホームへ上がる。

ホーム上の待合室へ入ると、左傍に座った母が僕の姿を見て驚いていた。 僕はその隣の荷置きテーブルに座った。 何と、事前に乗り換えのリハーサルをしていた母は、僕と同じ電車の別車両に乗り、僕よりも早く乗り換えていたのだった。

少し見ない間に、母はまた小さくなった。 歯も悪くなっていた。 僕を見上げ気丈に笑う、小さくて前歯が飛び出してしまったこの方が僕を生んで育ててくれたと思うと、有難くて泣きそうになった。 僕は涙をこらえて楽しく話をし、10 分ほど遅れて到着した列車で東京へ向かった。

式場で試着時のフォトを頼りに着替え、控え室に。 お互いの親族と丁寧に挨拶を交わし、いよいよ挙式そして披露宴。 新郎の父として臨席する宴は、想像していたよりも間延びしていて長く感じる。 再入場に際し、新郎を出口までエスコートした母はご満悦だ。 その後、新郎の友人一同が作成したビデオ上映時間にトイレへと中座し、席に戻ると程なく声が掛かった。

入口に背を向け、両家両親が一列に立ち並ぶ。 新婦の涙声に、既に相手の両親はボロボロ。 E さんらしい心のこもった、とても良い話なんだけど ・・・ 。 その時、僕は自分の披露宴を思い出していた。

父は、僕の披露宴での挨拶で泣いてヨレヨレだった。 本人は 「 入れ歯の噛み合わせが悪くて ・・・ 」 なんて言っていたけど、明らかに泣いていた。 僕はそんな父のことが理解できず、「 馬鹿馬鹿しい 」 などと思っていた。 そんな父は高齢で体調が悪く、残念ながら欠席。 申し訳ないことに、詫び状まで送ってくれた。

そして、両家代表としての挨拶。 僕の左手には新郎から渡されたテディベアがずっしり。 そう、この重みはあの日の重みそのもの。 左を向いたら、泣いていないのは僕だけだった。 3 対 1 は分が悪い。 左手の感覚は、新郎が小児喘息を発症する前の姿を思い出させる。 思わずマイクを口から離し、「 泣きそうだ 」 と漏らしてしまった。

正直、僕は 「 この子は長く生きられるのだろうか ? 」 などと考えていたのかも知れない。 低気圧が近付くと、深夜の小児救急には馴染みの子達が点滴に集まった。 そんな我が子が新郎として左方にいる。

出だしはスムーズだった僕も、その後、父と同様 “ ヨレヨレ ” に。 後半持ち直したけど、胸にこみ上げるものは尽きなかった。 僕は今、正しくあの日のこの子を抱き上げている。 列を作って幼稚園から帰ってくるこの子を消防車庫の前で待ったあの日。 金はなかったけど、ごく些細なことに一喜一憂していたあの頃。

出口で出席された方の見送りを終えると、相手の両親と挨拶を済ませ、母を宿泊予定の場所へと送るため、着替え室に向かった。

ほぼ着替え終わった頃、新婦の父が入場。 モーニングのズボンを脱ぎ、ステテコ姿になった父親は、僕に 「 これからも会って飲むことができますか ? 」 と何度も迫った。 嬉しくてたまらない反面、ビジュアルとのアンバランスさはなかなかのものである。 着替え終わった僕は丁寧に挨拶し、母を迎えに走った。

待っていた母は、僕の顔を見上げながらニコニコと笑った。 タクシーで駅へ行き、宿泊地の最寄駅である大〇へ向かうべく、悲運にも指定席の存在しない列車の空席を物色。 幸運にもトイレ至近の席が確保でき、そのまま発車を待った。

たわいもない会話をしているうちに 1 時間強で目的地へ到着。 乗車した際に “ 11 号車 ” とメールしたおいたことで、停車した窓外には妹の笑顔が見えた。 僕は母を妹に譲り渡すと、挨拶を交わして帰途に就いた。

 

時は確実に流れている。 今日、僕の想い、人生は新郎、新婦に引き継がれたのだ。

 

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