小学6年生のとき、友人のM君の部屋でK君達(あとは忘れた)とギターを弾いていると、M君の父親に怒られた。 「お前ら才能もないのに勉強しないで楽器弾いて・・・」等々。 午後7時頃だったか、 既に暗かったしね。 M君はその後、 「あの日は楽しかった」と言ってたけど、ダメ人間予備軍みたいに言われてちょっとショックだった。
そんな僕も気が付けば大学生になって一人暮らし。 今思うと、 現実逃避も十分可能な環境だったけど、目の前で起こっていること、目の前にいるひとが好きで、相当嫌なことがあっても、相当な劣等感を味わっても、日々現実に身を置いていた。 まー、現実とやらが好きだったのかも知れない。
今はどうだろう。 ネットが生活に欠かせないものとなり、そこでは様々な形で自分を表現することができる。
生活力の源になるのは知識だったり才能だったりコンピテンシーだったりする。 この内どれかがあって、何とか稼げる場を確保できたひとは幸せ ・・・ いやいや、今や入社後も厳しい競争が待っていて、成果を出せないひとは満足な給与が貰えなかったり、やんわりと退職勧奨されたり、そうでなくても後輩からもバカにされたりする。 公務員は別かも知れないけど。
じゃ、元々そのいずれも持たないひとがネットにハマったらどうだろう。 普通は現実とネットとのバランスをとりつつ上手くやっているが、もしも生活力の源になるものを得ようとせず、ネットの中に生活シーンの多くを埋没させてしまったら? この段階で現実逃避が成立する。
社交性のあるひとが、ネットで交流の輪を拡大する。 こういったひとのサイトへ書き込みをするひとは、友人であり仲間だ。 一方、ネットへの書き込みに奇妙かつ重篤な思いを向けているひと達もいる。
かつて人事部時代、面接に来た学生の履歴書には性格の長所として「友人が多い」と書かれていた。 エントリーシートレベルではなかなか面白そうな印象だったけど、目前にいる等身大の彼は思考が稚拙で、現実における交友について何一つ話せない。 案の定、友人とはネットの書き込みのことだった。 訊けば、何十社も受けていて全て不合格だと言う。 残念だけど、僕も不合格にした。
ネットで知り合った “ 優しい ” 男性に殺される女性もいる。 ひとは、目前にし、直に接してしか判断できないものなんだけど、当たり前のことが理解できなくなる程神経が麻痺してしまうところがネットの闇なんだろう。
被災地は瓦礫の山。 引越しを何度も経験した僕でも、目の前に乱雑に置かれた本や雑貨を片付けるのも大変だ。 昨日TVに映ったひとは、大震災当日に新築一戸建てを購入していた。 現実逃避もしたくなるだろうが、今、皆が辛い現実と真正面から向き合っている。
何だか分からないけど、「頑張れ日本!」と言いたい。