ブルーベルだけど

君にはどうでもいいことばかりだね

35 年ぶりにあの場所で <その2>

2014-09-28 13:34:19 | 日記
先週末、35 年前にその下宿が存在した場所の並びにある居酒屋で、以前ブログに書いた Z さんに会い、近況を語り合った。

Z さんは大学同窓による引き抜きで、超大手○○商○へ転職し、管理業務の立て直し中。 組織蘇生がライフワークになっていらっしゃるようだ。

僕はと言うと、現在の業務エリアが得意分野で、昨春に日経の人事欄に掲載された途端、大手ライバル数社から 「 お手柔らかに 」 との牽制電話があった。

ライバル企業で現役時代の僕を知っている旧友も既にその業務から遠ざかっている。 にもかかわらず、未だ関心を持っていてくれた事実に身が引き締まり、燃え上がった。

就任当時、管掌部署は成果が上がっていなかったが、その原因は明らかだった。

データにも情報にも疎く、浅知恵と我流が蔓延し、荒れ果てていた。 20 年前に僕が考案し大きな成果を上げた数々の手法さえ、今や他社に後れを取っていた。

その部署を立て直すべく、打ち出した戦略がいち早く浸透するようキャッチコピーまで定め、成果物そのものやその運用まで見直しを図り、メンバーから理解が得られるよう、部長から新人に近い者まで膝を突き合わせて話し合った。

誤りを徹底的に正した結果、半期で蘇生することができた。

そんな昨秋、牽制電話が入った同業最大手からヘッドハンティングを受け、お断りしている。 親しいコンサルから 「 好調が噂になっている 」 と言われたが、マークはされているようで、妨害行為を受けるようになった。 どんな形であれ、成果が評価されるのは嬉しい。

今春、大変お世話になった S さんが亡くなった。 その報が僕の耳に入らないという不手際も重なり、今の会社には魅力を感じなくなっていった。

いかなる困難があっても、S さんが起業し大切に育まれた会社を愛おしく思い、掛け替えのないメンバーと知恵を絞り達成してきた僕にとって、恩人の死は大きな転機となったようだ。

その会社は最後まで優良企業だった。 そして、最高収益で有終の美を飾ることができた。

その後、経営不振企業の買収に至る。 あろうことか不振企業側のトップが経営全般の実権を握ることとなった。 結果は、予算未達が続き、赤字月さえ見られる粗悪企業へと急降下。

従前の幹部が要職を続け、ステークホルダー無視の理想論を掲げ、口だけ達者な人物さえ評価され、責任 ( 者 ) が不明確で、重要人事は経営トップが垣間見た瞬間の印象で断行。 かくして、絵に描いたような “ 衰退への方程式 ” が成立 ( 苦笑 )

転職後も IR チェックを欠かさない Z さんは、急激な業績悪化をしきりに心配していた。


19 時半頃から始まった酒宴は 22 時頃で終了。 駅改札で Z さんと挨拶を交わして別れ、僕らはそれぞれのホームへと降りていった。



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35 年ぶりにあの場所で <その1>

2014-09-21 14:21:49 | 日記
会社最寄駅から乗車し、途中自宅最寄駅を見送り、50 分程で某地方都市駅に到着した。 ここは僕が大学進学で上京し、最初に暮らした街。

北口を出て右へ。 駅建物とビルの間にある隙間のようなレンガ敷の歩道を抜けたら右折。 そして目前に見える線路沿いの道の左側に、かつてその下宿は存在した。


夕食賄付のその下宿の玄関を入ると右手に食堂、左手に下宿の友人が暮らす部屋、正面には階段。 階段を上がったところにある深緑色の冷たく頑強な廊下の左奥が僕の部屋。

僕の部屋は増設された新館にあり、ドアの前には共同トイレと洗濯機。 ドアを開けると左側がミニキッチン。 7 帖程のちょっと変形がかった部屋へ進むと、左後方に押入れがあった。


窓は 2 箇所。 東側の窓の下には時折近所の子供達が遊ぶ空地があって、深夜 2 時頃になると、細い通りを挟んだだけの距離にある車両基地から 「 ガシャーン ! ガシャーン ! 」 と、列車連結組成の金属音が鳴り響いた。

北側の窓からは夕刻になると丸井の赤いネオンサインが見えた。 いかに通学路線が田園地帯を走っていようが、父に買ってもらった marantz の “ SUPERSCOPE ” というステレオラジカセで聴いた、愛知でも NHK でもない FM 局の “ 丸井 music & more 夜と呼ぶには早すぎて ” や “ 成田フライトインフォメーション ” は、そこが都会であることを主張していた。

時には、歩いて 10 分程のダイエーで買った “ キャプテンクック ” という、お世辞にも美味いとは言えない PB のコーヒーを高校時代に演劇部室から拝借したお気に入りのカップに入れ、安く買った黒ノブの映える銀色の電気コンロ、そして小さな手鍋で沸かした湯を注ぎ、これを片手に FM で丸井提供の番組を聴きながら丸井のネオンサインを眺め、“ 丸井純正組み合わせ ” を楽しんでいた。

その北側の窓下はバス車庫で、朝 4 時頃には一斉にエンジンがかけられ、ディーゼル特有のガラガラ音が一帯に轟いた。 連結音もエンジン音も、3 日で慣れちゃったけど。


街中での独り暮らしは刺激的だった。 下宿仲間と “ カレーの○○ ” でシュリンプカレーを食べたり、新星堂でレコードを買ったり、先輩と居酒屋 “ 天○ ” で飲んだり、長○屋がある石畳の道を歩いたり、先輩の命令で当時はまだ希少だった “ セブンイレブン ” や自販機でビールの買い出しをしたり、某私鉄駅へ続く歩道の途中にある書店でアダルト本を立ち読みしたりといった行為 1 つひとつが楽しかった。

そうそう、深夜にセブンイレブンへ行く途中に通る駅前通りのメガネ店は、ショーウインドウに青白く浮かび上がった、目も胴体もなく妙に首の長いマネキンが結構不気味だったっけ。


火力が貧弱なミニキッチンでは、前述の手鍋でパスタをだましだまし折り曲げながら茹でて、缶入ミートソースをかけて食べたり、生タイプのカップうどんを湯掻いた後の湯切りで力加減を誤りシンクにぶちまけ、しばし呆然となったりと、楽しい “ 料理の真似事 ” をした。

朝は、田舎から送られてきたり自分で買ったりしていたクノールのポタージュカップスープを飲むことが多かった。


唯一、この下宿には共同風呂がなくって、下宿仲間と声を掛け合い、一緒に銭湯へ行った。 近隣には 2 つの銭湯があり、どちらも歩いて 7 分程。 春、夏、秋はいいが、冬は沁みた。 凍える身体をタバコの赤い灯で紛らわしながら歩くと、“ 神田川 ” の歌詞じゃないが、石鹸やシャンプー、リンス、タオルを入れた洗面器がカタカタ鳴った。




そんな下宿も、時々大学の友人や女の子を泊めてしまい、1 年足らずで転居。 転居間近の冬の朝、あまり温まらない電気ストーブの湯沸し缶式スチームで加湿した部屋の窓ガラスの結露がカーテンを貫く氷となり、開けようとして破りそうになったことも、今は良き思い出だ。
( 次回に続く )







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最近買った CD ( 一部 DVD ) は

2014-09-13 14:58:43 | 日記
新旧いろいろ。 実はそれぞれに思い出がある。 思春期の頃だったり、真夏の GOLF 車内だったり。 特に中央上段は強烈だ。

大学 3 年。 当時住んでいたアパート “ ○二○谷○荘 ” の 3 帖ほどのキッチンには、親戚からもらった事務机を置いていた。 机上の本棚には National の “ MAC ” っていうモノラルラジカセを置き、ここから自作のスピーカーに繋いで、FM 放送を聴いていた。

スピーカーは 2 way で、ウーファーは高校時代に友人から 「 買った当時は音の悪いソースばっかりだったんで、壊れてると勘違いしてツイーターは外して捨てちゃった 」 との言い訳とともに譲り受けた CORAL 6CX-501 。

ツイーターは Technics SB-440 に使用されていたモデルを 8 月 10 日にも書いた〇新電機の二代目にお願いしてパーツとして発注してもらったもの。 ささやかな機器だけど、流し台や冷蔵庫が机と肩を並べるコンパクトな空間には十分だった。

電灯はオレンジのプラスティック傘に 100 W の白熱電球というなかなかの雰囲気で、昼白色のスタンドを点灯しないと本も読めない ( 笑 ) そして季節は晩秋から冬へ。 狭い部屋は、秋葉原で買った赤くて小さな電気ストーブでもよく温まり、隣の 6 帖間へのアプローチをよりスリリングなものにした。

サントリー ローハイドの CM が流れていた時代。 付き合っていた女の子はいても、とにかく独りが好きだった。 性格が、吉田拓郎さんの “ 僕ひとり ” って曲の詞そのものなんだろう。

一帯が寝静まる深夜であっても FM は、イブで華やかな街の様子を伝える。 時々ぶらっと渋谷に出かけたり、○中 という隣町の駅前通りを歩いたり。 そんな大学時代に耳に入ってきた曲がたっぷりと収録されたこの CD は、僕をあの小さな場所に引き戻す。


今も酔っ払うとたまに寝室のドアを開放し、隣接する玄関のフローリングに座って、リビングへと続く扉から目を背けながら飲んでいたりする。 理由は、玄関と寝室だけを切り取ると “ ○二○谷○荘 ” の間取りと似てるから。


おやおや、撮影中の僕も写り込んでるな ・・・



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反省

2014-09-07 22:22:54 | 日記
以前、社長が 「 営業所訪問に行く 」 と言って外出した後、急用で電話を入れた際に、受電した声に付帯するエコーのディレイタイムは、いかにも住宅らしい広さの部屋のそれであることがしばしばだった。 「 ほとんど休みもなく精力的に事業を推進しているのだから 」 と、側近の立場として許容したものだ。

ところで、上の子の新居は天井が高い。 そして、リビングは 24 帖。 転居前の 8 帖ワンルームなら、「 あー、自宅だな 」 と的確な判断ができたが、こうなるとオフィスなのか自宅なのか、判別するのがなかなか難しい。

僕は元々おっとりしたタチだけど、これに似たのか、上の子はどこにいてもゆったりと電話に出る。 先日などは、電話で普通に話し、最後に訊いたら 「 今まだ会社にいて、予算修正で連日夜遅くまで仕事が続き、睡眠不足状態 」 とのこと。 あーーーーー、申し訳ないっ! 今日なんて、研修施設にいるところを直撃してしまっている、という事態に気付かない ・・・ 反省の日々である。


以前テレビ番組で 「 リビングが 20 帖以上であることが、裕福と認められる条件の 1 つ 」 と言った輩がいた。 この発言に、「 じゃ、20 帖クラブ入会ってことね 」 などとつっこむタレントがいたが、庶民的な戸建てでリビングが 20 帖以上の物件は確かに少ない。


一方、独り身の僕の終の棲家は、某有名不動産の親切な担当者からのアドバイスに従い、利便性とメンテナンスのし易さを重視して選んだのだが、リビングは 16 帖で、“ 20 帖クラブ入会 ” を逃している ( 笑 )  それでも掃除は大変だ ( 爆 )



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