☆☆☆☆☆☆☆ ショパン、モンタン、ピアフらとともに眠る ☆☆☆☆☆☆☆
Jim 「Jimi 、Janis に続く “ 3つ目の J ” 27歳の死」.......。
1971年7月3日、ジム・モリスン(ボーカル・詩人)はパリのアパートのバスタブの中で死体となって発見される。 当時「時代の必読書」となっていたオルダス・ハックスレーの著書そのままに「知覚の扉」を行き来しながら、ぎりぎりのところで踏みとどまり、素晴らしい作品を創出し続けたジムは、ついに扉の向こうへ行ってしまった。
パメラ・カーソンの願い出により死亡証明書にはこう記されている・・・ “詩人 ジェームズ・モリスン” 。 ジムを死に導いたヘロインがパメラの所有物だったため、責任を感じ自分を責め続けた彼女は、ジムの死の3年後にヘロインの自殺的な過剰摂取で死亡した・・・27歳で・・・。
一説によると、ジムはサム・バーネットが経営するナイトクラブ「ロックンロール・サーカス」のトイレで亡くなり、医者に検死してもらった後、二人のドラッグ売人がアパートまで死体を運び、バスタブに入れて生き返らせようとした、とも言われている。
ジムがパリの東にあるペール・ラシェーズ墓地に埋葬されてからは訪れるファンの落書きやゴミがひどく、そのシンボルだった墓石上の胸像さえ盗難に遭い紛失してしまっている。
謎めいたジムの死はファンやマスコミの間で噂を呼び、薬の過剰服用説から果てはアメリカ政府による暗殺説に至るまでのまことしやかな逸話として語り継がれ、更には「にわか伝記作家」を数多く輩出したが、その死因は公式には心臓発作と発表されている。
一方、ジムの死はスポットライトから逃れるための偽装だと推理し、今も生きていると信じて疑わないファンもいる。 「ジムは疲労がひどく病院で療養中」というパメラのコメントが新聞記事となったことが主な原因だが、更にその死が確認される直前にジム自身がバンドのメンバーの前でアフリカへの逃亡をほのめかしていたこと、死体の埋葬に立ち会った人数が極めて少ないこと、ジョン・デンスモアがジムの墓を訪れたとき、「墓の長さが足りない」と話したことも大きく影響している。
“ The End ” ドアーズの終焉.......。
ジム・モリスンを失ったドアーズは、 その後2枚のアルバムをリリースするもヒットしていない。 理由は簡単・・・ボーカルがジムではないから。 ドアーズのメンバーはカリスマ性のあるボーカリストを求めてロンドンへ渡る。 その最有力候補はストゥージズのイギー・ポップだったが実現には至らなかった。
1973年1月、ドアーズは正式に解散を表明した。
ジム・モリスン・・・「生存説」のまま、彼が今も生きているなら・・・やはり片時もノートを手放すことなく、どこかで詩を書き留めているのだろうか・・・。
※ジム そして ドアーズの終焉をもってこの退屈かつ長々としたシリーズは終了とします。
Jim 「Jimi 、Janis に続く “ 3つ目の J ” 27歳の死」.......。
1971年7月3日、ジム・モリスン(ボーカル・詩人)はパリのアパートのバスタブの中で死体となって発見される。 当時「時代の必読書」となっていたオルダス・ハックスレーの著書そのままに「知覚の扉」を行き来しながら、ぎりぎりのところで踏みとどまり、素晴らしい作品を創出し続けたジムは、ついに扉の向こうへ行ってしまった。
パメラ・カーソンの願い出により死亡証明書にはこう記されている・・・ “詩人 ジェームズ・モリスン” 。 ジムを死に導いたヘロインがパメラの所有物だったため、責任を感じ自分を責め続けた彼女は、ジムの死の3年後にヘロインの自殺的な過剰摂取で死亡した・・・27歳で・・・。
一説によると、ジムはサム・バーネットが経営するナイトクラブ「ロックンロール・サーカス」のトイレで亡くなり、医者に検死してもらった後、二人のドラッグ売人がアパートまで死体を運び、バスタブに入れて生き返らせようとした、とも言われている。
ジムがパリの東にあるペール・ラシェーズ墓地に埋葬されてからは訪れるファンの落書きやゴミがひどく、そのシンボルだった墓石上の胸像さえ盗難に遭い紛失してしまっている。
謎めいたジムの死はファンやマスコミの間で噂を呼び、薬の過剰服用説から果てはアメリカ政府による暗殺説に至るまでのまことしやかな逸話として語り継がれ、更には「にわか伝記作家」を数多く輩出したが、その死因は公式には心臓発作と発表されている。
一方、ジムの死はスポットライトから逃れるための偽装だと推理し、今も生きていると信じて疑わないファンもいる。 「ジムは疲労がひどく病院で療養中」というパメラのコメントが新聞記事となったことが主な原因だが、更にその死が確認される直前にジム自身がバンドのメンバーの前でアフリカへの逃亡をほのめかしていたこと、死体の埋葬に立ち会った人数が極めて少ないこと、ジョン・デンスモアがジムの墓を訪れたとき、「墓の長さが足りない」と話したことも大きく影響している。
“ The End ” ドアーズの終焉.......。
ジム・モリスンを失ったドアーズは、 その後2枚のアルバムをリリースするもヒットしていない。 理由は簡単・・・ボーカルがジムではないから。 ドアーズのメンバーはカリスマ性のあるボーカリストを求めてロンドンへ渡る。 その最有力候補はストゥージズのイギー・ポップだったが実現には至らなかった。
1973年1月、ドアーズは正式に解散を表明した。
ジム・モリスン・・・「生存説」のまま、彼が今も生きているなら・・・やはり片時もノートを手放すことなく、どこかで詩を書き留めているのだろうか・・・。
※ジム そして ドアーズの終焉をもってこの退屈かつ長々としたシリーズは終了とします。