ブルーベルだけど

君にはどうでもいいことばかりだね

恐ろしく不味い明太子

2014-03-29 11:55:10 | 日記

年に 3 ~ 4 回だけ福岡へ出張するんだけど、一番の楽しみは空港のいつもの店で明太子を買うこと。 銘柄を言わなくても “ いつものやつ ” を選んでくれる。 取扱い品の中で一番高いけど、元々あまり好きじゃなかった僕をファンにしてしまった逸品で、本当に美味しい。

ところが、3 月 6 日は時間がなく、いつもの店ではない店へ。 “ 減塩 ” などと余計な宣伝文句を言われたこと、安かったこと等から不安だったけど、まー、たまには他の銘柄も ・・・ などと、安易に購入してしまった。

当日帰宅して、さっそく開封。 何はともあれ、未知との遭遇は楽しい。 期待に胸膨らませながら食べてみたところ、水っぽくてシャバシャバ。 味も化学調味料がかっていて、とても食べられた代物じゃない。 いわゆる “ 有名品 ” はもちろん、コンビニで売っている安物と比べても遥かにレベルの低い、想像を絶する不味さである。

ということで、即刻捨てました ( 笑 )

 

原材料費を抑えた商品で、粗利が大きいんでしょうね。 これからは、やっぱりいつもの店で買わなきゃ。

 

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絶景を後目に仕事、仕事 ・・・

2014-03-22 16:28:47 | 日記

神戸で使った某ビルの会議室。 下見の際、ブラインドを上げてみると、窓外には素晴らしい景色が広がっていた。 こんなところで仕事しちゃあかんでしょ ( 笑 )

でも、ブラインドを下げ、しっかり仕事しちゃって、終了後は大阪へ移動。 そんな自分が大好きだ ・・・ 本当はビールでも飲みたかったんだけどな ( 爆 )

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温かい雨

2014-03-16 19:20:02 | 日記

この駅から何度電車に乗ったろうか? 僕にとって、この駅は全てへの入口であり、祖母、両親、兄弟の待つ家へ帰るための大切な出口だった。

かつて栄えたこの町駅は、朝も夜も大勢の乗降客で賑わっていた。 遅刻ギリギリの始発電車は、高校の最寄り駅まで乗り換え行くと間に合わず、途中の駅から走り歩きしたっけ。

大学受験の際には、ストーブが焚かれた待合室で暖を取った。 大学進学で上京してから、この駅とは疎遠になっていく ・・・ 。 そして祖母も父も、もういない。

帰省時に 「 いいから 」 と断わる僕を、笑顔で駅まで送ってくれた母も、腰が曲がり足も弱る一方だ。 でも、寂れ果て暗い表通りに面した扉から僕が見えなくなるまで見送ってくれる。

向かい側のホームに到着した電車から数名の男女が降り、改札を通っていく。 もちろん、顔見知りは一人もいない。

 

1 ヶ月程前のこの日は雨。 寒い日だったけど、この駅に降る雨はなぜか温かかった。

 

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またまた出張続きの出不精

2014-03-08 19:14:13 | 日記

このところ出張続きで落ち着かない。 福岡、名古屋、神戸等々 ・・・ 国内だからまだいいけど、連泊がどうにも嫌だ。 大阪なんて 6 日間だし、関西人になれとでも言うのか (笑)

たまの休日、前夜にたっぷり飲んで、精一杯部屋でゴロゴロしている自分を健気に思う。

ところで、このところアクセスが増えてるな。 中でも 2 月 22 日へのアクセス数が安定的に多いようだ。

 

圧縮オーディオが圧倒的シェアを占める中、年々需要を落としている CD を今尚使っている、あるいは興味があるといった音楽ファンがいるのは嬉しい。

 

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柴田チコ と 裸足のイサドラ

2014-03-02 23:10:06 | 日記

中学時代に父に買ってもらった FM ・AM ラジオ。  SONY 製の “Action” って名前だった。 モノラルで、カセット(古い!) も付いてなかったけど、嬉しくって包装箱に入れて学校にも持って行ったっけ。 当初は大切にするあまり、ビニール袋を被せたまま聴いてて、高音がこもっちゃって(笑)


そして僕は、同世代の多くがそうなったように、深夜放送の世界へ。


AM では “オールナイトニッポン” や “歌うヘッドライト”、FM では、その少し前の時間に放送していた “ジェットストリーム” や、メニコンがスポンサーの “コンタクト・クラブ” なんかを聴いていた。 城達也 さんもいいけど、やっぱり 柴田チコ さん ・・・ この名前のトーンには、当時のちょっと切ない気持ちやワクワク感が伴う。 受信することができた FM 局は FM 愛知と NHK FM だけだった。


綺麗な声で語りかける、実は少年のような顔立ちの 柴田チコ さんに、青春真っ只中の僕は恋心にも似た憧れを抱いていたのかも知れない。


夕刻、( ステレオで聴くと ) ボーリングのボールが右から左へと転がりピンが倒れ、「名古屋スポーツガーデン!」 という呼び声とともに D'yer Mak'er が流れて始まる “イブニング・スペシャル(通称 : イブ ・スぺ )” も好きだったけど、深夜の静けさの中、もの悲しげな曲で始まる “コンタクト・クラブ” は別格だった。


その、もの悲しげな曲は、映画 Isadora / The Loves Of Isadora のテーマ曲をアレンジした Paul Mauriat の “Isadora” 。


映画は、アメリカの創作ダンサー “Isadora Duncan(1878年5月27日- 1927年9月14日)” の伝記だ。 彼女は靴を履かず裸足で踊った。 様々なテイストを取り入れた斬新なダンスで人々を魅了した Isadora 。


あるパーティーの帰り、心惹かれていた男性が運転するオープンカーから立ち上がり、パーティのメンバーに 「 さよなら 」 と呼びかけた瞬間、赤いスカーフが車輪に巻き込まれ、彼女の首を絞めていき、車の脇から放り出されて首の骨を折り死亡した。


 


今もその曲を聴くと、 “Action” を、リポビタン D の段ボール箱に 16㎝ フルレンジと、2.7μF のコンデンサを通した 5㎝ ツイーターを取り付けただけの簡易なスピーカーシステムに繋いで、陽光の入らない西向きの窓下に置いたベッドで聴いた、あの深夜を思い出す。


 

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