ブルーベルだけど

君にはどうでもいいことばかりだね

時の流れに afterword

2016-06-25 05:12:57 | 日記
〝独立開業〟という新たに抱いた夢を叶えるため、I 次長の有難いご配慮とご厚意により何とか入社できた H社を3年で辞め、僕は S社へ転職。 奇跡的に幸運なるキャリアパスを経て、M&A により C社へと社名変更。


そして、お世話になった創業者 Sさんは亡くなった。 M&A を重ね、Sさんとの歴史を知らない人物が多数を占めるようになった C社。 その訃報は僕には届かなかった。

知り合いから「何時に行く?」との連絡があり、偶然にも全てを知るに至ったのは何よりの救い。 父の三回忌直後で礼服を預けていたクリーニング店の担当者 Kさんに事情を説明したところ、翌朝届けてくれた。

遅刻して着席すると旧知の面々が揃ってこちらを向き、その後の席では「あれだけ世話になっておきながら、君が来ないとは何て薄情な、と思っていたが ・・・ 」との苦言も。 申し訳ない、知らなかったのです。

数々のご恩をいただいた Sさんへの感謝、会社への愛着心をベースに頑張ってきた僕は、心の拠所を失うとともに、C社への帰属意識も失せた。


そんな僕に残された唯一のモチベーションは次世代育成。 僕は2013年4月 ~ 2015年3月の間に死にかけた重要部署を蘇生させ2名の後継を育て上げたうえ異動希望を表明。 2015年4月~ 2016年3月の間には異動先の管掌部署で1名の仕上げを済ませる。

もう思い残すことはなくなった。


そして辞意表明。

皮肉にも今春、社長、副社長が下した人事評価は〝A〟。 「参考まで…」と見せられた、役付取締役を除く役員評価の一覧表(これでも個人情報保護に関する研修をしっかり実施している東証一部上場の大手企業)で、A評価は僕だけだった。 この上ない評価が、辞意表明により導かれた。

副社長によるフィードバックで「もっと上を目指すには ・・・ 」との訓話をいただく。 偉くなろうと思ったことなど1度もない僕の性分さえ理解できないでいる元超大手超有名外資社長が披露する見え透いた慰留工作を目前に、ぼくの辞意は確固たるものとなった。

Sさんが興したクレバーでハートフルな会社は今や存在しないのだ。




フォトは今年、英 TVコメディ・ドラマ〝Stella〟における葬儀シーンに、バンドのヴォーカルとしてサプライズ出演した Robert Plant 67歳。 やはりかっこ良い御仁である。







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時の流れに final episode

2016-06-18 00:14:13 | 日記
勿論こんなかっこ良くなかったけど、僕はドタバタの就活で内定を獲得した。 あとは偶然、面接試験の最後に誓約してしまった薬剤師国家試験に合格するのみ。


単位も揃いつつあり、卒業試験のことを考えるようになった。 私立大学薬学部の人気度のバロメーターは国家試験合格率。 故に卒業試験は国家試験の倍程の難易度で構築され、卒業できれば国家試験は大丈夫 ・・・ という図式が出来上がっている。

下位校の中には卒業試験で半数以上を落とし、何とか体面を繕っているところもあるとか。 最終学年まで来て卒業できないなんて、あー恐ろしい。 そんなことを考えながら秋は過ぎ、冬を迎える。


この頃のアパートの様子は 2 年前、9 月 13 日のブログに、こう書いた。

当時住んでいたアパート “ 〇二〇谷〇荘 ” の 3 帖ほどのキッチンには、 親戚からもらった事務机を置いていた。 机上の本棚には、National の “ MAC ” っていうモノラルラジカセを置き、 ここから自作のスピーカーに繋いで、FM 放送を聴いていた。

スピーカーは 2 way で、ウーファーは高校時代に友人から「 買った当時は音の悪いソースばっかりだったんで、壊れてると勘違いしてツイーターは外して捨てちゃった 」との言い訳とともに譲り受けた CORAL 6CX-501 。

ツイーターは Technics SB-440 に使用されていたモデルを 2 年前の 8 月 10 日に書いた〇新電機の二代目にお願いしてパーツとして発注してもらったもの。 ささやかな機器だけど、流し台や冷蔵庫が机と肩を並べるコンパクトな空間には十分だった。

電灯はオレンジのプラスティック傘に 100 W の白熱電球というなかなかの雰囲気で、昼白色のスタンドを点灯しないと本も読めない(笑) そして季節は晩秋から冬へ。 狭い部屋は、秋葉原で買った赤くて小さな電気ストーブでもよく温まり、隣の 6 帖間へのアプローチをよりスリリングなものにした。

サントリー ローハイドの CM が流れていた時代。 付き合っていた女の子はいても、とにかく独りが好きだった。 性格が、吉田拓郎さんの “ 僕ひとり ” って曲の詞そのものなんだろう。

一帯が寝静まる深夜であっても FM は、イブで華やかな街の様子を伝える。 時々ぶらっと渋谷に出かけたり、〇中 という隣町の駅前通りを歩いたり。


そして大晦日に至る。


「1月3日は彼女を誘って明治神宮へ初詣に行く約束があるし、卒業試験の勉強は、初詣後にスタートするつもり」などと考えながら、「まだ早いが、どんなもんか見てみよ」ということで、薬剤師国家試験 過去問・例題集を開けてみた。

薬剤学 ・・・ まー苦手な科目だし。 生理学 ・・・ あれ、分かる問題がないぞ? なら得意な薬理だ。 薬理学 ・・・ こりゃヤバい。 僕は暫しトイレに籠り、汗を流しながら考えた。

死に物狂いで勉強して、春の卒業試験と国家試験で通すか? これを諦め、秋の卒業試験と国家試験に賭けるか? 僕は前者を選んだ。 だって、後者じゃ入社できないもん。

明明後日、待ち合わせ場所で彼女と会い、初詣に向かった。 初詣を済ませると、ALTEC A7 が設置された喫茶店でランチに付いた小さなゼリーを食べながら、僕は昨夜の決意を伝えた。 彼女も勿論、その方が良いと言う。


この日、帰宅と同時に思い切った改革を断行。 市境にある “ 〇二〇谷〇荘 ” 周辺は戸建か畑で、棟は吹きっ曝しで冷えた。 特にその冬は寒く、降雪が氷になって残り、午後 2 時頃まで水道管が凍って、水が出なかった。 なら、昼夜を逆転させよう! それは、午後 2 時に起きて勉強に注力し、翌朝 6 時に寝る、というもの。

当時のアルバムには卒業試験日へのカウントダウンや、やるべき科目、徹底すべき生活習慣(禁酒(笑))、そして卒業試験の 2 週間前には 「そろそろ昼と夜を逆にすること(夜寝て朝起きる生活に戻すこと)」、卒業試験の前日には「生死を決する前日」などと、スケジュールがカラフルに書かれた卓上カレンダーが今もスクラップされている。


もう一つ ・・・ 僕は本当の勉強をしたことがない。 勉強とはどうしたら良いのか分らない。 なら、 薬剤師国家試験 過去問・例題集を読み上げて、 聴覚で覚えてしまおう! 角部屋で遮音が不十分なアパートゆえ、僕の声は間違いなく外通路に漏れるだろう。

ということで、羞恥心を吹き飛ばすため、勉強開始時には「よし、今日もいくぞ!」と、先ず大きな声を上げることにした。

案の定、大家に家賃を払いに行くと「夜中に大声出してて気味が悪いって言ってるわよ」と注意された。 幸いにも「煩い」ではなく「気味が悪い」だったので、「勉強しているだけ、と伝えてください」とお願いし、難なきを得た。

聴覚による記憶力は想像以上に強力だ。 僕は A4 ほどの大きさの分厚く重い薬剤師国家試験 過去問・例題集 全 7 冊にびっしり書かれた恐ろしく多くの式や知識を隅から隅まで恐ろしいスピードで覚えていった。 ろくに勉強してこなかったから、脳が餓えていたのかも知れない。


たまに学校へ行くと、未だ研究を続けている後輩 (僕は1年留年している) の姿が。 「卒試の勉強してないの?」と訊くと笑顔で「やってません」と言う。 「なら」と、俄仕込みの知識を披露するため質問をしたところ、何と模範解答の他、「最近の研究では異なった説もあるので、一概には言えませんが」との注釈付きだ。

8 浪の同期もいれば、講義を聴いただけですべてを記憶し理解するひともいる。 入学当時に住んだ下宿を拠点に、友人の HBくんと一緒に飲んで遊んだ後、一緒に受けた試験で HBくんは合格点である一方、僕は赤点、という出来事を、このとき思い出していた。


ごくたまの外出は食材等生活必需品購入目的オンリー。 駅近のスーパーで見つけた冷凍ミニハンバーグは安くて美味しく、定番化してこの時期の僕を支えてくれた。 ついでに少々遠出し、入社後に住むエリアにおいて一番の繁華街となる 〇川駅周辺を流してくることも。


その年は春まで雪深かった。 訪ねてきた彼女を車で送る際、お気に入りの毛糸の手袋(大学のロッカー上に置き忘れられ、そのまま長期放置されていたもので、黒地に緑とピンクの模様が綺麗だった)を紛失した。 どうしても見つからなかったが、転居の際、車のドア下辺りで融けずに残る雪が凍った氷の中に閉じ込められている姿を発見した。


僕は卒業試験に合格した。 所属する研究室では僕の合格を、助手連中がダービーの如く「大穴が当たった!」と騒いでいた。

父親が地方市議で、JBL 4311 を左右逆相にして誇らしげに鳴らしていた同期は、まさかの不合格。 「電話したい」と言うと、助手連中は「なぜか君のこと嫌ってるみたいだったから、止めてあげて」と言われた。 「あれだけの恥を晒したのだから仕方ないな」と思った。


そして、いよいよ国家試験に臨む。 H社入社後に、研修を休んでの受験となった。

自己採点では 9 割以上できていたものの、苦手な薬事関係法規が毎年、足切り問題として活用されており、これが 3 問しかできておらず、何問で切られるのか心配だった僕は、合格発表日の早朝、発表エリアにある父母に電話をかけた。

受電した母親に新聞紙面で確認して欲しいとお願いすると、眠そうに「なに~、朝から ・・・(暫しの沈黙)・・・ 載ってるわ、〇〇の名前(方言修正)」との怠そうな声。 思わずガッツポーズをとった!

僕は ・・・ 国家試験に合格した。




フォトは Robert Plant 61歳。 〝おじいちゃん〟と言っても良い風貌に、驚く御方は少なくないかも。 これを〝老い〟と言うか〝円熟〟と捉えるか? ・・・ 僕は後者である。

あの、王子様の頃には表現できなかった曲が唄え、王子様時代の曲もなお味わいを増す。 衰えなど全く感じさせず〝進化〟を遂げる Robert Plant は、今後も目が離せない存在だ。







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時の流れに penultimate episode

2016-06-11 12:53:04 | 日記
勿論こんなかっこ良くなかったけど、僕は大学4年に進級した。


春過ぎまで ぷらぷらしていると、僕より先に留年した友人 THくんが「まだ就職部に顔出してないの?」と言う。 「なんだ、それ?」と返すと「皆、就職活動してるぜ」とのこと。 「あっそう ・・・ じゃ、俺も」と、その就職部とやらに行ってみた。

そこにはその後、Y先生とともに人生の恩師となる N先生がいた。 N先生は某ビール会社社長のような顔立ちで眼鏡をかけ、奥の窓を背に座っていた。 当時の薬学生の就職先は就職部によって、1人につき1社ずつ(!)手配されていた。

「はいどうぞ、おかけください」と促され正面に座る。 N先生は、真っ赤な髪の僕をしげしげと眺め、「ここはどうですか?」と、コンピューター会社を勧めてきた。 どうも、薬剤師としての就職から縁遠いと判断し、当時の急成長業界を勧めてきたようだ。

N先生は正しく天才で、目前に座っただけで「君は〇〇くん。 前回は〇〇まで話が進んでいたね。 さっそく先方に電話をしてあげる」と、メモも見ずに学生の氏名、志望企業、就活進捗を即座に言い当て、瞬間的に前回の面談との連続性を生み出すという凄腕の持ち主。

戸惑いながら「薬の業界がいいんです。できれば営業ではない内勤が」と伝えたところ、「それじゃ今の恰好はダメだよー」と優しく指摘され、その場は終了。

翌日、N先生と対面した僕は、髪を切り、黒く染めていた。 別人のようになった僕が誰だか分らない様子だったが、名前を言うと驚きつつも嬉しそうな表情となり「それじゃ、ここは?」と紹介されたのは、某業界最大手の H社だった。

業界研究など全くしていなかった僕は、「TVでCMしているあの会社か」位にしか思わず、最大手の難関企業などという意識さえもなく受験の意思を告げた。 「それなら」 と、その場で当時 H社 採用担当責任者の I次長に電話を入れた。

H社は目前の統合を機に、製薬業界への参入を目論んでいた。 その募集職種は、何と〝研究開発〟!  不勉強な僕は、院生の中でもトップクラスの人材採用が当たり前の最難関に、 1年留年という重荷を背負いながら、無謀にも挑もうとしていた。 採用人数は2名。


ネットのない当時、TVCMの効果は絶大だ。 僕はTVCMに倣い、新宿の丸井で29,800円のスーツを買った。


初夏の頃、僕はN先生から指示された日時、指示された場所へと向かった。 そこで初めて I次長と出会う。 髪の薄い年配の方。

部屋に入ると、丸顔の女の子が座る隣の席に会社案内、採用案内、募集要項、封筒が綺麗に配置されていた。 そこで企業説明を受け、研究施設を見学し、終了後には今後の流れが書かれた用紙を渡され、帰途に就いた。

その女の子の大学を訊くと「東大」とのこと。 「へー、東大生も受けるんだ」などと、自分の方が異端児であることすら理解できないでいた僕は、全くもって馬鹿だった。 翌日、就職部を尋ねると「すごく印象が良かったって、I次長が言っておられたよ」と褒められた。


その後も何度か N先生を訪ねた。 順番を待つ僕の耳に「いつも『大丈夫』って言うけど、全部落ちたじゃないですか!」といった、先生に非があるかのような暴言も入ってくる。 身の程知らずな僕は「悪いのは自分の方なのに、何て馬鹿なヤツだ」などと思っていた。


そして筆記試験の日 ・・・ 製薬メーカーの試験は同日に集中しており、ハガキで届いていた日程を一瞥しただけで「皆と同じ日だろう」と、信じられないような勘違いをしてしまっていた僕は、アパートで彼女とゴロゴロしていた。 その夕刻、I次長から厳しい口調で電話が入る。

「〇〇くん? 今日の試験はどうしたの? もう面倒みることはできないよ」と。 改めて手にしたハガキには今日の日付が。 この時何と言ったか覚えていないが、切電後、彼女に部屋にあったハサミで髪を切ってもらい、スーツに着替え、毛布を積んだ車でH社に向かった。

到着すると、正門に詰める警備員に I次長の通常出社時刻を教えてもらい、「可能なら出社を確認した際に知らせて欲しい」などと、携帯のない時代では「自分の車まで来ること」を意味する、無礼極まりないお願いをし、正門近くに車を停め、仮眠をとった。

車を停めたスペースはやや勾配があり、重力を少々斜めに覚えながら、持参した毛布を掛け、うっすら星の見える夜空を眺めつつ横になっていると、FENで Carpenters の Yesterday Once More が流れ、「この曲を聴きながら、僕は就職先を失うのか ・・・」などと考えていた。


翌朝、何と警備員が車のところまで走ってきて、「来たよ」と知らせてくれた! 僕は細かな毛が一杯付着したスーツで、大勢のひとをかき分け、ほぼ髪のない後姿を追いかけ、その前で土下座をした。

「すいませんでした。 何とか試験を受けさせてください」と言う僕に、I次長は「もう遅い! ここじゃ迷惑だから、こちらに来なさい」と、出社の列から外れた入口から小部屋に通され、「ここで待っていなさい」と言われる。

1時間ほど待っただろうか。 I次長は総務部の若い女性と一緒に入室し、「今回は特別に、昨年の問題で受験してもらう」とのこと。 女性の手には試験用紙一式があった。


適性試験に続く一般常識問題は簡単で、書く手は止まらない。 そして最後は英語。 しかも長文読解だ。 英語は超苦手なのに ・・・

よく見れば意味の分かる単語が鏤められている。 「あれあれ、大体の意味が分かるぞ。 でも問題への解答には程遠いな ・・・ えーい、どうせダメもとだ。 ちまちまヒットを打つより、ここはストーリーを仮定して一発逆転ホームランを狙おう!」と覚悟した。

有難い、正に有難い配慮に恵まれ、何とか受験できた僕は警備員に深々と頭を下げ、臭いの籠る車内に戻り、エンジンをかけた。 結果は ・・・ 何と合格!! 英語のヤマが見事に的中し、ほぼ満点だったとか。


そしていよいよ面接試験。 会場に到着すると、既に大勢の一次合格者が集まっていた。 この段階でようやく人気企業であることを思い知る。 が、能天気な僕は「倍率がどうあれ、採用されるひとは採用されるもの」などと、アホなことを考え納得していた。

順番が迫ると、I次長がわざわざ来て、「例の件は役員には内緒にしてあるからね」と耳打ちしてくれた。 今思えばありえない配慮である。 程なく名前を呼ばれた僕は、入室した。

面接官は3名。 A事業部長、I次長、あともう一人。 「全世界に拠点があるから海外勤務は当たり前」との話に遠くを眺めるような目をした僕は、全員に大笑いされた。

最後にA部長から出された「国家試験は受かるかな?」という質問に「受かると思います」と答えようとしたところ、緊張で喉が詰まり「受かる!」で発声が止まってしまった。 3名は顔を見合わせると、「言い切ったのは君だけだ。 頑張ってね!」との言葉で面接は終了。


その後、アパートに電報が届いた。 そこには「採用内定ス」と書かれていた!! 数々の偶然と御縁、御好意の一つ一つが道になり、実は遥かに遠かったH社へと繋がった。

その後、大家さんに家賃を納めに行った際、「受験している会社から興信所の人が来て色々訊かれたけど、悪いことは言わなかったわよ」と打ち明けられた僕は、思い切り頭を下げて心から感謝した。


ちなみに懲りない僕は、駅名の読み間違えで、入社式にも遅刻している((笑)… じゃ済まん)


入社後、社食から出てきた僕のところに I次長がやって来て「今日は天気がいいねー! あー、君は僕の頭の方が眩しいって言いたいんだろ?」などと言って一緒に芝生に座る。 その楽しく話している様子を、周囲の面々が遠巻きに眺める視線を感じていた。

自部署に戻ると、先輩が何人か詰め寄り「どうなってるの?」「皆、恐がっているあの厳しい次長が冗談を言うなんて信じられない」「あんな笑顔は初めて見た」などと捲し立てる。

鈍感な僕はここでようやく、I次長に気に入られて入社できたことを思い知った。


僕には人生の恩師が4人いる。 Y先生、 N先生、 I次長、 そして現勤務先の創業者 Sさん ・・・ 皆、いなくなり、返せぬ恩義は永遠のものになった。




フォトは Robert Plant 46歳。 王子様のような面影は希薄となる一方、大人としての渋さが増し、楽曲の幅は大きく広がった。

30代最後の作品となる、名盤〝Now and Zen〟で描かれたメロディアスでドラマティックな世界は、〝Mighty Rearranger〟へと昇華。 Rock の枠には収まりきらない数々の表現が次々と開花した時期でもある。







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時の流れに Ⅹ

2016-06-05 00:15:43 | 日記
勿論こんなかっこ良くなかったけど、僕は大学3年に進級した。 それは、重く大切な選択を迫られる瞬間でもある。


何とか軌道に乗り出したバンドの道を進むのか? 薬剤師として就職するのか? ・・・ 僕は後者を選んだ。

当時、ドラムは Uさん。 コンサートで見かけた他のバンドから引き抜いた。 既に30代半ばだった彼にその決断を切り出すと、物静かな Uさんは信じられない程大きな声を上げ、何回も何回も殴られた。

翌朝 ・・・ 割れたグラス、飛び散った食べ物、押入れ前のカーペットに染み込んだ血、安いウィスキーの臭気 ・・・ 腫れてじんじん脈打ちながら痛む身体を騙し、数日かけ片付けた。 こうして、バンドの夢は終わった。


一方、本命の彼女とは大阪南港から志布志へ。 海ホタルが光る波。 スローモーションで恐ろしくゆっくりと浮き沈みを繰り返すデッキ。

到着すると、友人(このシリーズに何度も登場した TTくん)の運転、案内で、鹿児島からカーフェリーで桜島へ。 操るのは TTくんの父親所有の高級車。 TTくんの地元友人 Kくんも合流し、その静かで快適な車内から雄大な景色を眺めつつ島を抜け、そのまま九州最南端へと走る。

最南端の浜辺は淡いクリーム色。 手に取ると、小さな粒だが石の形を残している。 車内で流れていた松田聖子の曲そのままの風景が目前に広がっていた。

どこまでも澄み切った海には熱帯魚が泳いでいる。 聞けばサメが出るという。 そんなオアシスのような空間で桜島を見ながらの昼食。 そう言えば、桜島に霞がかかっている。

TTくん曰く、「雨が降っている」とのこと。 なら早く片付けないと ・・・ と慌てる僕に、「こちらに届くまで30分はかかるから、ゆっくり食べても大丈夫」とか。 辺りは360度ゆったりとした時間が流れる。 う~ん、これが鹿児島時間か。 そう言えば TTくんは遅刻ばかりだ (笑)

夜は天文館へ。 5月14日にも書いたが、TTくんの父親は会社社長。 その行きつけの料亭へ入ると、「おぼっちゃま」と顔パス! 日頃標準語で話す TTくんも、地元の人と話し出した途端に(笑) 「何言っているのかさっぱりわからん」などと考えつつ廊下を進み、奥の日本間へ。

茶灰色の陶器に入った焼酎で乾杯。 まだ東京に焼酎が出回っていなかった時代に唯一、代名詞的な存在だったのは〝白波〟。 ゴムの如くの異臭に懲りていた僕はその、とろみのある豊かな味わいに驚き、気に入って何度もお替わりしてしまった。


そう、京都にも行った。 〇華ホテルを拠点としたこの旅行も、鹿児島行きも、大学生協から手配されたもの。 念仏寺、哲学の道、五重塔、鈴虫寺ゆかりのお守りもいいが、バスから見た道端の雑草、夕焼け空やコガネ蜘蛛の巣の方についつい目が行ってしまう。

そんな夕暮れ時には、ユニセフ製 擬似ウォークマンで聴く〝A Man I'll Never Be〟が妙に似合う。 そいつは白くプラスティッキーで電池持ちが悪かった。


大学生らしい生活も堪能し、アパートでの3回目の秋、冬を迎える。 僕は学生会?(←学生が運営する会で正式名称は忘れてしまった)で売られていた過去問集に目を通し、何事もなかったかのように4年生へと進級した。




フォトは 1985年7月に開催された Live Aid のステージに立つ Robert Plant 36歳。 この頃 ハイトーンは困難さを極め、Jimmy Page も、音づくり、テクニックともレベルダウンをきたしており、ファンはさぞかし心を痛めていたことだろう。

同年、社会人2年目にして研究所移転のため東京を離れていた僕は、北関東の某駅至近の2Kで、起き掛けにとろとろとスイッチを入れた途端、Phil Collins の司会から始まったこのステージに、二日酔いの眼は釘付けになった。

コメディアン紛いの口調で奇妙なコメントを連発し、メインドラマーと並びツインドラムを披露する司会は、ウェンブリー・スタジアムからコンコルドでジョン・F・ケネディ・スタジアムへ高速移動して来たとか。


全世界同時開催という、正に20世紀最大のコンサート。 気の遠くなるようなスケールを、僕は14型TVで観聴きし、感じ取っていた。







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