ブルーベルだけど

君にはどうでもいいことばかりだね

〝妻、小学生になる。〟 14(最終)巻

2023-03-25 10:47:03 | 日記
今回もネット購入なので、届いたのは発売日翌日の3月17日。


それは悲しく切なく幸せな結末。

TVドラマとのコラボもあり、貴恵が圭介の頬を両手で挟み「パンッ!」と叩いて元気づけるシーンも、圭介が弁当のミートボールを食べるシーンも。


この素晴らしい作品を創り、世に出していただいた村田椰融氏に感謝致します。




ところで、何とアニメ化企画進行中とのこと!!




「実写版では描ききれなかった部分が再現されたら」・・・ などと考えただけで花粉症が悪化していけませんね ・・・






























ひとは誰もが年を取り、やがて死んでいく。
病や不慮の事故で突然いなくなってしまうことも。

それでも、その想いは残り、引き継がれる。
ひとは遺伝子の方舟なのだから。

2020年12月3日「かつて何度も歩いた道」というタイトルで書いた通り、僕はそう思う。




…それぞれが失った大切なひとを胸に生きている…

そして

…亡くなったひとも きっと貴方を大切に想っている…

だから

…前を向く…








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もうすぐ春爛漫

2023-03-21 13:56:05 | 日記
外出した先の街道沿いで。


で、どうして背景にピントが合っちゃうの?







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今年は花粉症が酷い

2023-03-18 02:06:37 | 日記
2月某日朝、起きると咽頭痛と鼻水鼻づまり、倦怠感。
「風邪だ」と思い、何も用事がなかったので出来る限り寝ることにした。

飲食とトイレ以外の時間はベッドに横たわる1日。


症状は翌日も改善せず、予約していた行きつけの床屋にキャンセルの電話を入れようとしたとき、ふと考えた。

「発熱は?」・・・ なし。 「食欲は?」・・・ 旺盛。
これは花粉症かも?

試しに手元の抗ヒスタミン剤を服用したところ、ほぼ治まったため、予定通り床屋へ。


そもそも毎年この時期になると同様の症状が出て、同様の勘違いをしているじゃないか。


しかし、これだけ酷い花粉症は記憶にない。
「2023年春のスギ・ヒノキの花粉数は過去10年の平均値の1.5倍以上」との予測は当たっているようだ。


ということで、久々に花粉症用医薬品を購入。
ジェネリックだと市販薬でも安いんだね。




さてさて、フォトは〝夢のタンクを積載したトラック〟。
これもグノシーで拾ったぞ。







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だから「前を向く」

2023-03-11 02:25:26 | 日記
「それぞれが失った大切なひとを胸に生きている」


そして


「亡くなったひとも貴方を大切に想っている」


だから


「前を向く」









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12年前の明日

2023-03-10 00:01:41 | 日記
ビッグサイトで新製品の説明を受けていたら、足元がふらついた。 ふらつきは加速度的に大きくなり、遥か上方に設置された照明が土台ごとダンスするように円を描いて激しく揺れ、轟音が響く。

夢を見ているような気分に陥りつつあった自分を奮い立たせ、同行メンバーに外への避難を指示。 左右の揺れで、広い通路も U字溝の如くとなり、真っ直ぐ歩けない。 震度5強ではあるが、恐怖を感じる瞬間。

テラスに出ると、隣のビルから煙が上がっている。 その上空にヘリがいる。 火事か? 揺れは何度も続く。 先の揺れがあまりにもひどく、慣れてしまっている自分がいる。


電話もメールもだめ。 但しワンセグは支障なく、 震源の宮城では震度7だと知った。 車と船が道を併走するなど、現地の様子を伝える映像はまるで CG のよう。

メンバーには、先ず家族の安否確認を指示。 幸いしつこくかけると何十回に1回は繋がり、それぞれの家族の無事を知る。 そして会場を出る。 駅の前には群衆が。


寒風吹く中、運転見合わせで構内に至ったひとも追い出され、マックはそそくさと緊急閉店。 他の店も右に倣えとなってしまった。 唯一営業していた居酒屋で・・・とも考えたが、そんな場合でもなさそう。 そうこうしているうちに鉄道は終日休業を宣言し、さっさと閉門。

北風吹き荒ぶ屋外へ締め出された何千人もの群衆。 地域柄の強寒風で凍るように寒い。 仕方なくタクシーを待つが、1、2台来たっきりで終了。  そのまま1時間ほど途方に暮れているとパトカーが訪れ、マイクを使い 「シャトルバスを利用し八重洲へ」 と呼びかける。


乗り場には数百人が見事な一筆書きの幾何学模様を描いていた。 最後尾さえ分からない長蛇の列。 僕はメンバーを連れ、最後尾らしき箇所を探し出して並んだ。 待つこと1時間ほどで東京駅行きのバスに乗り込む。

道は極度の渋滞。 幸いメンバーのうち1人を除いて皆座ることが出来たが、大人数を無理に詰め込んだバスは息苦しい。 途中救急車やパトカーを通しながら、2時間かけて到着。 そこで見たものは、何百メートルも伸びたバスやタクシーを待つひとの列。


あいにく鉄道は全滅。 復旧のメドもなし。  部下は全員、最近の Hさん宅までスマホ頼りに歩く道を選択(4時間かけ無事辿り着いた)したところで解散宣言。 僕は解放された駅構内の壁を背もたれに覚悟を決めた女子高生を含む多くの人の姿を見ても尚、帰宅を決意。

途中、立ち食い蕎麦で暖を取った後、1時間以上歩き回ってホテルを探したが、どこも満室。  仕方なく、その時最寄だった有楽町駅へ。


駅構内で野宿しようにも敷く物が ・・・ そういやビッグサイトで配られた案内図があった、ラッキー!などと考えていたところ、30分ほどで、銀座線、半蔵門線の運転再開を知り、銀座駅へ急ぐ。 方向音痴の身にスマホは必需品。

ホームに到着した満員電車は幻のよう。 目的駅に近づくと、「混乱を避けるため」 とのアナウンスがあり、暫く停止。 そしていよいよ渋谷に辿り着いた。


井の頭線は運転見合わせ。 外へ出ると、大学生らしき男女が 「地震記念で飲むぞー!」 などと大声を上げている。 やはりバスターミナルには長い列。 人込みに紛れて、見掛けたタクシーは1台のみ。 仮の宿となるカラオケもネカフェも満室だろう。

仕方なく駅へと戻り、改札前に出来た人の帯の端に並んだが、その途端、列が動き出した。  周囲から歓喜の声が上がる。  そう、運転が再開されたのだ。 列は人気アトラクションのように駅員にキビキビと仕切られ、「改札にタッチしないで」 の声のまま僕のブロックも入場。


超満員電車に身体を押し込むと、暫くの間を置いてゆっくりとドアが閉まる。 45キロ以下でトロトロと走る電車。 途中、倒木確認で一時停止。 でも明るく暖かい空間が有難く、何より自宅に近づいていると思うと、幸せで一杯になった。 皆笑顔で、同じ気持ちだったろう。

明大前に着く頃には京王線も再開。 路線が短かく、点検に時間を要しない順? いやいや、対応も迅速なんだろう。 かくして僕は自宅最寄駅へ辿り着くことができた。 26時の空気の中、自宅へと胸躍らせて歩いた。


2時間ほど仮眠をとった未明、携帯で7時頃まで関係者と物流の打ち合わせ。 そして急遽サテライトオフィスとなった研修施設へ行き、最終確認をして13時に帰宅。

その後、電車内は消灯が常で、乗客の顔がスマホで照らし出された。 TVでは〝あいさつの魔法〟が流され続けた。 間引き運転で列車は手を差し込む隙もなく、輪番停電により途上で運行を取り止める便もあった。 コンビニからは米飯が消失した。




今も生々しい、3.11直後の光景。 徐々に明らかになった被災地の惨状。 決して忘れてはならない。

(以上、2011.3.12、2012.3.11、2017.3.12、2018.3.11、2019.3.10、2020.3.10、2021.3.10、2022.3.10 にも投稿)




























被災から1週間後に目にした、現地の中学が登校を呼びかけた貼り紙には、次のように書かれていました。


 今後の登校日は以下の通りです。無理のない
 範囲で出席してください。

 3月22日(火)
 9:00登校(講堂へ直接)  1年生~3年生
 持ち物 (元気な姿と笑顔,  私服でも可)
 安否確認後下校








もう二度と ・ ・ ・ もう勘弁してください ・ ・ ・ お願いだから







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