そりゃおかしいぜ第三章

北海道根室台地、乳牛の獣医師として、この国の食料の在り方、自然保護、日本の政治、世界政治を問う

大谷を知っていたら、忌野清志郎はロック歌手と画家の二刀流を選択していたろう

2023-09-23 | 国際・政治
忌野清志郎が亡くなって14年が過ぎた。極めて特異な位置を持つロックシンガー忌野清志郎は、強いメッセージを発信し続けた。まるで安倍晋三の登場を予感するような、原発事故を予感するように早くから、反戦や反原発を発し続けていた。
しかし、忌野清志郎が大谷翔平と同時代なら彼は紛れもなく、ロック歌手と画家の二刀流を選択したに違いない。高校時代は学業に馴染めず、懸命に絵を描いていた。上図は高校時代最後の作品、自画像であるが、ノッペラボウである。彼がどちらも選択できない悩みの中にいることを表したものである。
ロック歌手の道を選択したのは間違いではなかったと思われるが、絵画の資質を存分に伸ばすことがなかったのは悔やまれる。
大谷のように二刀流という発想がの機会があったら、「絵を描くロックシンガー」とか「ロックを歌う画家」と呼ばれたに違いない。忌野才能はそれ程どちらにも飛びぬけていた。
平和の訴えも独特である。ライブが前提の忌野はオーディエンスに声を振り絞って、「愛し合っているか~い!」を何度も繰り返す。男女の愛ではなく人類愛、多くの困難な壁を払って、「愛し合っているか~い!」と互いを思いやれと、声かける。
福島震災も原発事故を忌野は経験することなくこの世を去っている。なのに、原発の危険性を何度も訴えていた。福島原発後の意いわば”俄か反原発活動家”とは一線を画す。エネルギー、電気の不用な使用も諫めている。
忌野の声は独特で、ロック歌手でありながら泣き節である。高音になると耳に残る、振り絞った大きな声で囁きかける。
歌詞にも歌い方にも妥協がなく、徹底した言葉で呼びかけ続ける。何はともあれ、飾られた言葉はほとんどなくしつこく語り掛ける。
忌野が生きていれば、どのどのようなメッセージを歌と絵画に込めて発信していただろうか?
疲弊し衰退しながらも軍事国家に突きすすむ愚かな為政者にどのような悪罵を掛けるか見て見たかったと思う。

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