そりゃおかしいぜ第三章

北海道根室台地、乳牛の獣医師として、この国の食料の在り方、自然保護、日本の政治、世界政治を問う

元外交官、浅井基文氏の近隣外交のあり方の指摘

2019-09-04 | 安倍晋三
以下は、8月31日に自身のブログに書かれた、日韓問題の根本に触れる浅井基文氏の主張である。安倍に忖度しなくても良い元外交官の正鵠を得た醜聞である。少々長いが部分を切るわけもいかず、そのまま掲載する。
国際人権条約によって個人の尊厳・基本的人権を国内法の狭い意識の中で、政治判断を繰り返す日本の誤りをしっかりと指摘している。

<安倍政権の責任>
 まず、今日の日韓関係の悪化を招いた責任は全的に安倍政権にあることについての私の理解をお話しします。  私は1966年から1988年まで外務省で勤務し、アジア局及び条約局にそれぞれ通算4年間、合計8年間在職し、「日韓間の過去の問題は1965年協定で決着済み」とする日本政府の主張の一部始終を理解しています。その理解に基づく結論を申し上げると、日本政府の主張は1965年当時国際的に広く共有され、通用していた、しかしその後、国連憲章(人権関連条項)、世界人権宣言(正確に言えば法的効力はない)、国際人権規約をはじめとする国際人道法が国際的に承認されるに至って、日本政府の主張はもはや法的正当性を主張できなくなった、ということであります。
 すなわち、1960年代までの状況と21世紀の今日の状況を法的に根本的に分かつものは、第二次大戦後に普遍的価値として確立した個人の尊厳・基本的人権が、国際法上の法的権利としても確立したことです。特に、1967年に発効した国際人権規約(日本加盟:1978年。韓国加盟:1990年)は、国家による人権侵害に対して「効果的な救済措置を受けることを確保」することを定めました。よく知られているのは、オーストラリア、カナダ、ニュージーランド及びアメリカが先住民族に対して行った謝罪、補償です。またアメリカは、第二次大戦中の日系アメリカ人に対する隔離政策に対して謝罪し、補償しています。
 植民地支配の責任を認め、補償を行ったケースとしては、2008年8月31日にイタリア(ベルルスコーニ首相)とリビア(カダフィ最高指導者)との間で締結された友好協力条約、いわゆる「ベンガジ条約」が重要です。イタリアはこの条約で、過去の植民地支配について謝罪するとともに、補償としてリビアのインフラ整備に50億ドルを投資することを約束しました。カダフィ政権が崩壊したために条約は中断されましたが、2008年7月8日に、国連が支援するリビア暫定政府のシアラ外相とイタリアのミラネシ外相との間で条約を復活することが合意されました。
 また、徴用工、すなわち強制労働の問題に関しては、ドイツが2000年7月に発足させた「記憶・責任・未来」基金の事例があります。8月12日付のハンギョレ・日本語ウェブ・サイトは韓国大統領府がこの事例について研究していると報道しました。「記憶・責任・未来」基金については、『日本大百科全書』(ニッポニカ)に要領を得た解説があります。
 安倍政権は徴用工、「従軍慰安婦」などの「請求権問題は日韓請求権協定ですべて解決済み」という主張にしがみついています。しかし、以上の国際的事例が明らかにしているのは、人権問題に関しては法律上の「不遡及原則」の適用は認められないということです。
 さらに重要な事実は、日本政府も日韓請求権協定にかかわる国会答弁において、個人の請求権は協定によって消滅することはないと認めていることです。しかも外務省は、日ソ共同宣言に関する国会答弁において、日本国民(シベリア抑留元日本兵)がソ連の国内法に従って請求権を行使することはできるとも明確に表明したことがあります。
 したがって、徴用工問題に即していえば、元徴用工(及びその遺族)は、日本の国内法に従って請求権を行使することができます。しかし、日本の最高裁判所が日本政府の主張を事実上追認する立場(「慰安婦」問題)に鑑みれば、これらの人々が韓国の国内法に基づいて韓国国内で、往時の日本政府の国策に協力して彼らに「強制労働」を強いた日本企業を相手取って賠償・補償を請求する裁判を起こすことももちろん当然かつ正当な権利行使というべきですし、被告である三菱重工業は韓国大法院の判決に従う法的な義務があるというべきです。
 安倍政権の重大な誤りは、世界的に過去の戦争責任及び植民地支配にかかわる重大な人権侵害に関する法的責任を認める大きな流れが確立しているのに、これに逆らい、法的権利として確立した個人の尊厳・基本的人権を認めない点にあります。安倍政権がかたくなな姿勢に固執するのは、日本の戦争・植民地支配の責任を認めた場合に天文学的数字の賠償・補償に応じなければならなくなることに対する抵抗があります。しかし、もっと重大で根本的な問題は、安倍首相を筆頭とする日本の右翼支配層(中心は「日本会議」)が日本の戦争責任・植民地支配責任を否定する歴史認識(聖戦論)に固執していることです。彼らの歴史認識にかかれば、神聖不可侵の天皇に直属する皇軍が従軍慰安婦調達、強制連行などに手を染めることはあり得ず、朝鮮半島の人々は自発的に慰安婦となり、日本内地で契約労働に従事した、とされてしまうのです。
 問題の本質は正にここにあります。だからこそ、この問題に関して「足して二で割る」式の妥協的解決は許されないゆえんがあります。私たちは、韓国に100%の理があり、日本に100%の非があること、日韓関係悪化の責任は100%安倍政権にあることを内外に明らかにしなければならないと思います。そして、今日の事態を作り出した「1965年日韓体制」を根本的に清算して、個人の尊厳・基本的人権の尊重を基調とする21世紀にふさわしい日韓関係の構築が求められていることを日韓両国民の共通認識に据える努力を行っていく必要があると確信します。
<日本の主体的条件の欠如>
 次に、「1965年日韓体制」を根本的に改めるために不可欠な日本側の主体的・国民的条件が欠けている問題についてお話しします。
 キム教授は、「「独立運動はできなかったが、不買運動はする」という韓国国民の正当な怒りが希望だ」と、日韓関係改善のための韓国側の主体的・国民的条件が存在することを指摘する一方、「韓日協定を絶対的準拠のように掲げ、韓国政府を批判し、日本政府を擁護する人々は、正しい歴史意識も、常識的な法感情も欠如した人々だ」と指摘して、日本側の主体的・国民的条件に重大な問題が伏在していることを示唆しています。私は、日本側の主体的・国民的条件の欠如の原因を考え、日本国民が日韓関係を改善する主体的担い手になるために何が必要かについて考えたいと思います。
 日本の内閣府は1978年以来、日本国民の韓国に対する親近感に関する世論調査を実施しています。全斗煥、盧泰愚、金泳三政権時代は「親しみを感じない」国民が概して多く、金大中、盧武鉉政権時代は概して「親しみを感じる」国民が多数派でした。李明博政権時代も「親しみを感じる」国民が多数派だったのですが、政権末期に浮上した歴史認識及び領土問題による日韓関係の急激な悪化を背景に逆転し、その状況が現在まで続いています。
 アメリカ、中国、ロシアなどに関しても同様の世論調査が行われています。これらを通じて言えることは、日本国民の相手国に対する感情は日本政府の当該相手国に対する政策によって大きく影響されるという傾向があることです。韓国に関しては、特に李明博政権末期から現在までにおいて、この傾向が当てはまります。
 日本国民の相手国に対する意識が政府の政策によって強く影響される原因として三つの要因の働きがあります。一つは、日本政治思想史の丸山眞男の指摘を借りるならば、政治意識としての「権力の偏重」(「お上」「上下」意識)、歴史意識としての「既成事実への屈服」(日本人特有の「現実」意識)、そして倫理意識としての「集団的帰属感」(俗に言う「長いものに巻かれろ」「赤信号みんなで渡れば怖くない」)が日本人一人ひとりの思想と行動を強く縛っているという問題です。以上の三つの意識に加え、私自身の言葉で恐縮ですが、国際認識における「天動説的国際観」という対外意識(日本的「中華意識」)についても考える必要があります。
韓国では、「光州事件」、「ろうそく革命」などの政治的実践を積み上げ、国民が「政治の変革の主体」として行動する主権者としての自覚・意識を我がものにしていると、私は理解しています。日本でも「安保闘争」などはありましたがいずれも夭折してしまいました。この夭折の原因については様々な説がありますが、私は以上の四つの意識が日本人の「個」の意識の成長を阻害し、「政治の変革の主体」として行動する主権者としての自覚・意識を育むことを妨げてきたと考えています。
 国民の相手国特にアジア諸国に対する意識が政府の政策によって強く影響を受ける二つ目の原因は、1950年代以後、政府・自民党が一貫して推進してきた、戦争責任そのものを否定する歴史認識に基づく「歴史教科書の書き換え」です。 私自身の体験を紹介します。1990年に外務省を辞めて大学教員となり、大学で「日本政治」の講義を担当した際、学生から講義の感想・疑問などのメモを回収して愕然としました。彼らのアジアに関する歴史認識が政府・自民党の思惑どおりに染め上げられていることを思い知らされたのです。当時の彼らは今や40歳代後半です。つまり、40歳代後半以下の年齢の日本国民の大多数は正しい歴史認識を今や備えていないのです。安倍政権が歴史問題に関して韓国(朝鮮、中国)と対立するとき、誤った歴史認識を教え込まれた彼らは安倍政権の行動を進んで支持してしまうのです。
 国民の相手国に対する意識が政府の政策によって強く影響を受ける三つ目の原因は日本のマス・メディアです。日本国民が自らの力でデモクラシーを獲得した歴史を持たないのと同じく、日本のマス・メディアも権力との闘いを通じて報道の自由を勝ち取った歴史を持ちません。私自身外務省勤務中に目撃したのですが、1970年代から権力との癒着、権力に対する迎合が進行し、次第に顕著となって今日に至っています。もともと主体性がない国民ですから、「大本営(安倍政権)発の情報」を垂れ流すマス・メディアにはほとんど無抵抗です。
 以上の三つの原因を踏まえると、「1965年日韓体制を清算し、21世紀にふさわしい日韓体制を構築する」という課題を実現すること、特に日本国内でこの課題を担う主体的・国民的条件を作り出すことの難しさが理解できると思います。
 ちなみに、以上の三つの原因は日朝関係にも当てはまります。というより、戦後のアジア冷戦構造のもとで一貫して「敵」として位置づけられてきた朝鮮民主主義人民共和国(朝鮮)に対する日本人の意識は、現在の日韓関係悪化のもとで安倍政権によってにわかに「敵扱い」されようとしている韓国に対する意識よりもはるかに根深いものがあります。日韓関係正常化のカギが「1965年日韓体制」の根本的改変にあるとすれば、日朝関係正常化のカギは「戦後アジア冷戦構造」の根本的改変にあると言わなければなりません。つまりそれは、日本国内でこの課題を担う主体的・国民的条件を作り出すだけでは足りず、アメリカのアジア政策を改めさせることなしには不可能だということでもあります。
 アメリカの問題に話を進める前に、日本国民が日韓関係(及び日朝関係)を改善する主体的担い手になるために何が必要かという問題について触れておきます。
 私の結論は、国民の認識を支配する四つの意識、すなわち政治意識、歴史意識、倫理意識そして対外意識を徹底的に清算する必要があり、それは日本全体の「開国」によってのみ可能になると考えています。日本人の意識の「開国」は、精神的な「開国」によって実現することが理想的ですが、物理的・強制的な「開国」の可能性も排除できません。
 精神的な「開国」とは、現在の日韓関係に即していえば、個人の尊厳・基本的人権を尊重する立場に立ち、100%の理を備える韓国の国民及び政府が、100%の非は個人の尊厳・基本的人権を踏みにじって恬として恥じない日本(安倍政権)にあることを徹底的に明らかにする粘り強い闘いが、私たち日本国民に巣くう根深い意識のあり方に関する問題意識を触発することによって可能となります。私が「足して二で割る」妥協的解決に韓国が簡単に応じないように期待するのはそのためです。
 その点では、8月12日に韓国元老知識人67人が発表した「韓日関係の平和的解決方法を求める声明」には賛成できません。なぜならば、この声明はキム教授が指摘した日韓関係の問題の原因が1965年協定にあることを踏まえておらず、金大中-小渕恵三共同宣言を出発点にしているからです。
 しかし、韓国の国民と政府がどんなに粘り強く闘ったとしても、日本国民が精神的な「開国」に至るかどうかについて、私は確信がありません。その場合に日本国民を待ち受けるのは物理的・強制的な「開国」しかありません。物理的・強制的「開国」とは1868年、1945年に匹敵する外圧に直面することです。この点で8月11日のワシントン・ポストに掲載されたブレジンスキー(Gregg A. Brazinsky)教授の文章は示唆的です。教授の韓国に関する分析部分には賛成できませんが、今回の日韓関係の悪化の原因は日本が過去の戦争・植民地支配で侵した恐るべき犯罪を承認しないこと、そして日本を占領・支配したアメリカがこの問題を重視しなかったことにあることを明快に指摘していること、そしてこの文章がアメリカの有力紙に掲載されたことは見逃せません。日本(安倍政権)が今後もかたくなな態度をとり続け、頼みとするアメリカからも見放されるとなれば、物理的・強制的な「開国」を強いられる可能性が現実となるかもしれません。日本人である私としてはそのような事態を見届けたくはありませんが。
<アメリカのアジア政策からの決別>
 ということで第三の問題、すなわち、アメリカのアジア政策がいわば「諸悪の根源」であり、これを改めさせるために、韓国、朝鮮、日本は何を為すべきかという問題について考えたいと思います。
 キム教授は、「これ以上米国に仲裁を乞うてはならない」と述べています。これは、日韓関係悪化に直面した文在寅政権が、対策の一環としてトランプ政権に働きかけを行ったことを念頭に置いたものと思われます。「それは、最良の場合でも冷戦的過去の秩序への回帰を生むだけ」とするキム教授の判断に、私は全面的に同感です。なぜならば、私たちは「冷戦秩序の崩壊を懸念するのではなく、脱冷戦の新たな北東アジアの秩序を模索しなければならない」(キム教授)からです。
 アジア冷戦構造・秩序の担い手であり、1965年日韓体制の陰の主役であるアメリカのアジア政策を改めさせるという課題を考える上では、まず、アメリカの伝統的対外政策にことごとく「楯を突く」トランプ政権の政策の本質を誤りなくとらえることが不可欠です。特に、トランプ政権はアジア冷戦構造・秩序を解体するという私たちの課題実現にとってプラス要因であるか、それともマイナス要因なのかという問題に答を出す必要があります。その上で、韓国、朝鮮、日本がそれぞれ、あるいは共同してアメリカのアジア政策を改めさせ、脱冷戦の新たな北東アジアの秩序を作り上げるために取り組むべき課題を考えます。
 政権就任後3年を経たトランプ政権の対外政策には、商売人的発想(損得勘定)に基づく「アメリカ第一主義」(①)、歴代政権が踏襲してきた政策に異を唱えなければ気が済まない小児病的偏執(②)、国際情勢認識不在の無原則なご都合主義(③)などの際だった特徴があります。パリ条約、INF条約、イラン核合意からの一方的脱退、軍事同盟戦略見直し、超強硬なレトリックを好むが軍事力行使には慎重、米中貿易交渉などには①、②、③すべてが絡んでいます。イスラエル・パレスチナ問題におけるイスラエルへの一方的肩入れは②と③、米ドルの国際金融支配を頼んだロシア、イラン、ヴェネズエラ等に対する制裁乱発は③の働きが大きいと言えます。
 トランプ政権の韓国及び日本に対する政策も①、②、③すべてが絡んでいます。このことをわきまえれば、伝統的な米韓協調体制のもとで南北関係改善を目指し、日韓関係の打開にアメリカの仲介を頼もうとした文在寅政権のアプローチも、日朝関係の膠着原因であるいわゆる「拉致問題」についてトランプ大統領の金正恩委員長に対する影響力行使に頼り、「接待外交」によってトランプ大統領が日本に対して手心を加えることを期待する安倍政権のアプローチも、すべて的外れであることが直ちに理解されます。
これに対して、トランプ政権(というよりトランプ大統領自身)の朝鮮に対する政策は②に大きく支配されているという突出した特徴があります。簡単に言えば、歴代政権が朝鮮の政権崩壊・交代を追求してきたから、トランプ大統領は金正恩政権の交代を追求せず、朝鮮の核・ミサイル放棄の見返りに最終的な米朝関係正常化(体制保証)に応じるということです。金正恩委員長はこの点を正確に判断したからこそ、文在寅大統領、安倍首相よりも的確な対米(というより対トランプ)アプローチを行っていると言えます。
 当面の問題は2020年のアメリカ大統領選挙です。トランプ大統領が再選されるか否かによってアメリカの政策が大きく影響される可能性があると広く言われています。しかし、トランプ政権のアジア政策は日本及び韓国との同盟を維持することに立脚している点では、歴代政権の政策と本質的に違うわけではありません。結論から言えば、「脱冷戦の新たな北東アジアの秩序を模索」する私たちとしては、2020年大統領選挙の結果に関係なく、アジア冷戦構造に組み込まれ、対米追随に甘んじてきたこれまでの米韓関係、米日関係そして韓日関係を見直し、アメリカに対してはパワー・ポリティックスに基づく冷戦的発想から決別することを明確に要求する方向に舵を切るべきです。
 2020年のアメリカ大統領選挙の結果如何は朝鮮にとっては重大な問題です。なぜならば、民主党が総じてトランプ大統領の朝鮮政策に対して批判的だからです。だからこそ金正恩委員長は、トランプ大統領在任中にできるだけ多くの既成事実を積み重ねておきたいところであり、米朝交渉に対するトランプ大統領の関心をつなぎ止めるために意を用いていると思われます。
 しかし、金正恩委員長がトランプ大統領と「心中」するつもりがないことは、4月12日の金正恩委員長の施政演説において明確にしています。中国の習近平主席(及びロシアのプーチン大統領)と会談を重ねた金正恩委員長は、朝鮮の独立確保と経済発展実現を含む朝鮮半島における平和と安定の実現のためには中国(及びロシア)の関与が不可欠であることを知悉しているはずです。
 アメリカからの自立を実現し、アメリカの冷戦政策見直しを要求する私たちもまた、国際的視野を広げることが求められています。特に、脱冷戦の新しい国際秩序を目指す私たちにとって重要なことは、習近平・中国の対外政策の根幹に座るのは、アメリカがしがみつくゼロ・サムのパワー・ポリティックス(アメリカ覇権体制)に代わるウィン・ウィンの脱パワー・ポリティックス(民主的国際秩序)であるという事実です。それは正にキム教授が提起した「脱冷戦の新たな北東アジアの秩序」の根幹に座る思想そのものです。
 日本では、1989年の天安門事件を契機として中国に対する国民の意識が悪化し、1982年の「歴史教科書検定問題」及び1992年の尖閣問題によってますますその傾向が強まっています。韓国人の中国に対する意識に関しては私はよく分かりません。ただし、THAADの韓国配備問題に関する朝鮮日報、中央日報及びハンギョレ三紙(日本語版ウェブ・サイト)の報道を読んでいたとき、韓国国内でも中国に対する批判的、消極的な見方が強いという印象を受けました。
 その一方、日本人のアメリカに対する見方は一貫して好意的です。トランプ政権が登場して若干下がりましたが、それでも好意的な見方が圧倒的です。韓国におけるアメリカに対する見方についてはよく分かりません。しかし、中国とアメリカとを比較すれば、日本と同じような傾向なのではないでしょうか。
 私が申し上げたいのは、韓国人も日本人も戦後冷戦構造の中で知らず識らずのうちにアメリカ、中国に対する固定的なイメージができあがってしまっており、そのイメージを事実に即して改めることは非常に難しいということです。しかし、この呪縛から自らを解放し、パワー・ポリティックスにしがみつくアメリカとの関係を批判的に総括するとともに、脱パワー・ポリティックスの新しい国際秩序を提唱する中国を直視し、その中国との協力の可能性を視野に入れる真新しいパラダイムを我がものにしない限り、私たちが「脱冷戦の新たな北東アジアの秩序」形成の主体的担い手になることは難しいと思います。私たちにとってある意味実に幸運なのは、世界第二位の超大国となった中国が私たちと同じ理念を共有し、実践しつつあることです。
 朝鮮も、私たちとは異なる発想に立っているにはせよ、中国との関係を重視する姿勢を鮮明にしています。それは客観的に韓国、朝鮮そして日本の外交の接点を増やし、それぞれの二国間関係に好循環をもたらし、ひいては北東アジアにおける新秩序形成につながる契機となる可能性を秘めています。そうした北東アジアにおける大きなうねりはアメリカに対して対外政策の見直しを迫るはずです。韓国と日本がアメリカのアジア政策から決別するカギは中国にある。それが私の最後に申し上げたいことです。

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