辺見庸は自らを作家と名乗る哲学者である。相模原障害者施設殺傷事件をモチーフにした小説「月」を上梓し講演をした。
与死とは、「一定の判断基準を満たした者に、社会規律として死を与える」というものである。
与死とは国家が法律を通じて国民を死を与える。国家が死を与えられた国民は犯罪者である。世に不要な生命は国家が廃棄する。世の役に立たない人は不要である。優生社会と辺見はこれを断じる。
この考え方を個人レベルで成し遂げようとしたのが、神奈川県のやまゆり学園の事件の犯人であるという。実行者は、重障がい者を重点的に殺害している。殺害行為の正当性を主張している。障がい者は社会に不要であるばかりか負担となっている。国に代わって不要な人間を廃棄する自分は、国家から称賛されると信じていた。
元職員の犯人を精神鑑定して罪の存在を霧散させたり、警備の問題に封じ込めるのは問題の存在を転嫁し隠匿する結果になる。犯人は確信犯であである。塀を高くしたり鍵の機能を高めたりすることは、結果的に障がい者の隔離になる。昭和に戻ってしまう。
音楽家の坂本龍一が沖縄・琉球はいまだに遺棄される。アイヌと同様に琉球人をも日本は差別してきた。それは近代に入って継続的に続ていることであって、その象徴が辺野古であるという。坂本氏の発言で心を打ったのは、「人類が発明した最も愚かなもの、それは”国家”である」という。国家は民を抑圧し
国家は理念の間に立ちはだかり、国民に愛国心を喚起する。戦争や人殺しは絶対悪である。その理念の前に愛国心を広げ、国民に銃を持たせる。
安倍晋三が政権を執ってから、日本から理念が消え知性が影を潜めた。国家の意思は強く国民に一層押し付けられ、ただひたすら軍事国家へと走り抜ける。