私の住む北海道の東部は、過疎化が進み多くの小中学校が閉鎖されている。人が少なくなったことに加えて、交通網や手段の発達もあるが、なんといっても少子化と農業の衰退が背景にある。以下はそうした中で起きた事実のことである。
ある小学校が廃校になった。建設間もない見た目にも立派な校舎は地域の交流場所として新たな使用目的となって存続している。学校の前には立派な国道が走っている。学校の東西2キロほど歩道がついているが、誰も歩くことはない。その間は、車の制限時速が40キロとなっている。文教地区ということで、小中学校の前には必ず制限時速が決められて看板が立っている。
そこで、速度制限の検問がった。もう学校はないのであるが、時速40キロの制限は解除されていない。そこで制限時速オーバーで捕捉された人がいる。その中の人が、「学校が無くなったのだから、40キロ制限は外すべきである」と主張した。もちろん警察官は、そうした事情はあるかもしれないが現在の40キロ制限の規制は生きているし無効ではない。当然その人は罰金を支払わされたのである。
本来の意味から設けられた規制が、その意味を失っていたとしても、規制が解除されていなければ、それに従うのが法治国家である。
安全法制(戦争法)の必要性を主張する人たちが憲法論を持ち出すのは稀で、必ず世界の安全保障環境は変わったことを主張する。安倍晋三の支持者であっても、この法案が憲法に抵触することは解っているはずである。たとえ、彼らの主張が正当であったとしても、スピード違反で捕まった庶民同様に法律には従うべきなのである。
89%の憲法学者が疑義を抱く法律は憲法違反である。元最高裁判事や元法制局長官などの専門家も同様の主張をしている。国家の容を作る憲法に違反した法律は意味を持たない。
ところで最近になって世界の安全保障環境は変わったのであろうか?変わるには変わったが、少なくとも東西冷戦時代よりは、格段に安全になったことだけは言える。より危険になった印象を与え続けるのは、安倍晋三とその仲間たちの偽装工作である。
東西冷戦時代は、経済も文化も交流が途絶えていた。お互いが消滅しても構わない存在であったのである。交流の糸口に、ピンポンを利用したことがあったくらいである。翻って現代は、経済的には大きなつながりがあり、文化的交流も絶え間なくある。学術の分野でも相互の支え合うことが少なからずある。
中国とアメリカは軍事的な対立をしているかのように見えるが、それを顕在化することすら出来ないほどの緊密な関係にある。軍事的にあるいは政治的に対立してるかのように見せるのは、軍事産業とナショナリズムを国内に抱える彼らの常道である。
東西冷静時代に比べて、安全保障環境は格段に安全な方向へとすすんでいる。遅れてきた経済大国の中国や、世界経済の外にある北朝鮮の動きに、惑わされてはならない。それは安倍晋三が挑発し続けてきた結果であり、その期待に応えた現状である。ドアは開いているると言いながらドアから一歩も外に出ようとしない、安倍晋三が戦争法案を持ち出す根拠なのである。
ある小学校が廃校になった。建設間もない見た目にも立派な校舎は地域の交流場所として新たな使用目的となって存続している。学校の前には立派な国道が走っている。学校の東西2キロほど歩道がついているが、誰も歩くことはない。その間は、車の制限時速が40キロとなっている。文教地区ということで、小中学校の前には必ず制限時速が決められて看板が立っている。
そこで、速度制限の検問がった。もう学校はないのであるが、時速40キロの制限は解除されていない。そこで制限時速オーバーで捕捉された人がいる。その中の人が、「学校が無くなったのだから、40キロ制限は外すべきである」と主張した。もちろん警察官は、そうした事情はあるかもしれないが現在の40キロ制限の規制は生きているし無効ではない。当然その人は罰金を支払わされたのである。
本来の意味から設けられた規制が、その意味を失っていたとしても、規制が解除されていなければ、それに従うのが法治国家である。
安全法制(戦争法)の必要性を主張する人たちが憲法論を持ち出すのは稀で、必ず世界の安全保障環境は変わったことを主張する。安倍晋三の支持者であっても、この法案が憲法に抵触することは解っているはずである。たとえ、彼らの主張が正当であったとしても、スピード違反で捕まった庶民同様に法律には従うべきなのである。
89%の憲法学者が疑義を抱く法律は憲法違反である。元最高裁判事や元法制局長官などの専門家も同様の主張をしている。国家の容を作る憲法に違反した法律は意味を持たない。
ところで最近になって世界の安全保障環境は変わったのであろうか?変わるには変わったが、少なくとも東西冷戦時代よりは、格段に安全になったことだけは言える。より危険になった印象を与え続けるのは、安倍晋三とその仲間たちの偽装工作である。
東西冷戦時代は、経済も文化も交流が途絶えていた。お互いが消滅しても構わない存在であったのである。交流の糸口に、ピンポンを利用したことがあったくらいである。翻って現代は、経済的には大きなつながりがあり、文化的交流も絶え間なくある。学術の分野でも相互の支え合うことが少なからずある。
中国とアメリカは軍事的な対立をしているかのように見えるが、それを顕在化することすら出来ないほどの緊密な関係にある。軍事的にあるいは政治的に対立してるかのように見せるのは、軍事産業とナショナリズムを国内に抱える彼らの常道である。
東西冷静時代に比べて、安全保障環境は格段に安全な方向へとすすんでいる。遅れてきた経済大国の中国や、世界経済の外にある北朝鮮の動きに、惑わされてはならない。それは安倍晋三が挑発し続けてきた結果であり、その期待に応えた現状である。ドアは開いているると言いながらドアから一歩も外に出ようとしない、安倍晋三が戦争法案を持ち出す根拠なのである。