憲法施行60年を迎えて、かつてないほど憲法の存在が危うくなっている。安倍首相が就任時に、憲法改正を最大目標にしたからである。
安倍ボンの主張の主軸は「占領下で古くなった」というものである。憲法が理念を前提として作成されるものならば、古いも新しいもないと思うのであるが、彼には”改憲”の考えし かない。首相就任以前にまで及んで、彼の発言を検証してみるとよく判る。彼は理念というほどではないが、自らの考え方を”美しい国”という形で表現してはいる。
自民党の憲法草案を見ると、教育基本法を変えた考え方と、当然であるがかなり一致する。個人の考え方や権利は、国家や公共の中に従うというものである。主権在民の考え方の基本を危うくするものである。国家には個人の権利や自由を支配する権利があるというものである。
その典型が「平和」から「安全保障」へとの考え方の移行である。平和は、この草案ではかかれてはいるが、その基本には武力などを用いる「安全保障」があってこそ、平和があるというのである。アメリカ市民が銃を持って安全になるとする考え方と符合する、軍事的平和主義の考え方である。
20世紀の戦争のほぼ全てが”自衛”の戦争である。今回のイラク戦争も、ブッシュが自国の安全保障のための戦争、自衛の戦いとしている。国連憲章や国際法まで無視した、イラク戦争でも自衛のための戦争である。
自民草案は「自衛軍」の保持を明記している。現在の憲法下でも、戦地に出かけてアメリカの支援を行なっている。これが自衛軍になったら、どこまでも「自衛」戦いが行なわれることであろう。
安倍ボンは、戦地にまで出かけて自衛隊に檄をとばしている。戦争を礼賛する姿は平和憲法下の首相の態度とはとても思えない。これ以上のことを彼らは望んでいるのである。