高齢者外出介助の会

さあみんなで出かけましょう!

奪われていくもの

2005-11-28 21:26:27 | インポート
「年を取ることは奪われていくことです」とあるホームの施設長さんが話しておられました。最近「そうやなー」と思うことが多くなりました。私もそうです。階段など足を踏み外したり(つい最近も階段を踏み外し向こう脛を打ちました)、上げたと思った足が上がってないでこけそうになったり。これなど運動能力の低下意外にないでしょう。また知的にも、以前なら出かけるのに10分と掛からなかったのが出かけようとして、鍵が見当たらなかったりさまざまな物が見えずに探し回って、結局鞄に入っていたなどは日常茶飯事になりました。先日、「ご主人がトイレと思ったら間が持てずに失敗する。洗濯が大変や」と話されたので「私の父は早くから尿瓶を使っている」というと、心が動いたのか「それがいいな。洗濯が多いのは大変」私が行ってきましょうと早速買ってきました。数日後、友人と待ち合わせに事務所に来られ帰りしな「これどうされますか?」「今度来た時もらう」と帰っていかれました。友人には知られたくないのでしょう、プライドでしょうか。それでも、どちらかがしっかりしていれば守れますが時として二人ともということがあります。最近会に登録されたある方は一ヶ月検査入院されその後が不調で少し認知症?と会員の報告と疑問が寄せられ、残酷だと思うこともあります。体力、気力、知力が減退し、言葉であったように奪われていく人たちのいろんな出会を通し、安心して年を取れる環境を作りたいと願って日々介助に励んでいます。ご理解ご協力をと願います。



嬉しいことが二つもありました。

2005-11-27 07:05:01 | 外出介助
一つは前から欲しいと思っていたミシンがもらえました。さろんで役立ててくださいと最近和服や布を時々いただきます。形を変えれば付加価値が付きバザーなどで売れるのにと思うとミシンが欲しいなーと願っていました。教会の帰りこの願いを話しました。すると「今ミシン壊れているけど直ったらあげます」と半信半疑でした。この23日家まで持ってきてくださったのです。とても嬉しくてエー!でした。もう一つは自分の衣服や生活に関心のないOさんのことです。寒さに向かいますので「もう少しこざっぱりと洗ったもので良いから身に着けられたら暖かさもちがうだろう。」洗濯機があれば、とどこかで買い換えるなどで余ったものはないだろうかと思っていました。又、Oさんは近所の方が長年世話をされ支えてこられた経緯があり、気になるからと洗濯機を持ち込んだら返って近所の方との関係が悪くなり援助しようとすることが裏目に出てもと思い神様に「今まで神様がOさんを愛して守ってこられました。これからも神様あなたが一番良い方法で助けてください」と祈っていました。区の社会福祉協議会に電話をしたとき「洗濯機どうした?」「まだどこにも声を掛けていない」と伝えると「こちらに声がかかったので洗濯機キープしとく」といわれたのです。一番良い方法でOさんに洗濯機が与えられることになりそうです。それこそスゴーイ 少しづつ地域の人たちやボランティアの支えでOさんの生活がこの機会に変えられたらいいなと希望が生まれてきました。



私の言い分

2005-11-20 07:01:56 | 外出介助
第3金曜日は「大阪の文学を読む会」を開いています。織田作之助の『木の都』を1年掛けて読んできました。福田紀一先生の紐解き話してくださる、織田作之助の小説は建物で表現する設計図が素人の私たちには驚き発見の連続でした。やっと終わったではなくもおう終わったと残念な時間でした。次回からは田辺聖子さんの『姥桜』を読む予定で楽しみにしています。それで、この気持ちを参加していた会員と話したくなり席が離れていたのですが声を掛けたのです。返事がなかったので「聞こえなかったのだ」と思って黙っていましたら、「昨日と言ったから分からんかったと言うたはる」と前に座っていた会員から言われ、私は言ったことと違うので、もう一度繰り返し言ったのですが「あんたが昨日と言ったのはこの3人が証人や。歳を取ったら思ったことと違うことをしゃべる」と決め付けたようにいわれたのです。腹が立ち「もお何も話しません」と話しかけられても、無言で応じたのです。しばらくして来客があり、怒りは脇に置き、にこやかに応対したのですが引っかかっていました。その間に会員の一人は帰りお客さんも用件を話し相談すると帰っていかれました。気まずさは誤るしかないと「先ほどはすみませんでした」と言いました。帰路その出来事を再考したのですが、別に怒るほどのことではなかった「傲慢だったのでは」と反省しきりでちょっといやな一日の終わりでした。


歳をとる難しさ

2005-11-11 08:38:55 | 外出介助
昨日さろんに3時過ぎMさんが来られました。「自宅の地下室が水浸しになった」。と話して帰られました。ご主人は足が悪くご家庭では何でもMさんが一人でされている様子が話し振りから手に取るように分かり気になりました。帰りに寄って手伝えるなら手伝って帰ろうと訪ねました。自宅はすぐに分かりガラス戸を開けるとご主人が顔を出されまもなくMさんも姿を現して「こんな所へ来ていただいて」と言いながら、「見られたくないから一人で片付ける」ときっぱり言われました。老夫婦のご家庭はどこもあまり変わらないと思うのですが、Mさんのところも所狭しと生活の歴史を感じさせる様々なものがおかれていました。整頓されていないところを見られるのは女の恥を見られるような気がして、手伝いを断られた気持ちはよく分かるのですが、水浸しになったものを一人で片付ける体力と気力はたいへんです。気持ちと体力の開きは歳を取るほどに広がり、自分で片をつける難しさを思うのです。いつも毅然として、来られたら教訓めいた話をされ自分の老いに負けないと気持ちはしゃんとされています。このような方ほど歳を取ることと折り合いをつけることの難しさを思います。困ったとき遠慮なく手を借りることが出来る自分を作り上げるのも必要ではないでしょうか。Mさんそんなにがんばらなくて良いですよと“声”ではなく伝えられたらと思いました。


言葉

2005-11-10 08:39:49 | 外出介助
私は2年5ヶ月前にクリスチャンになった新米です。昨日の食事会で「感謝します」とそれを聞いていたOさんは、奥様がクリスチャンなのですが「教会用語や!」とすかさず言われました。私もはじめ教会に行き皆さんが「感謝します」。「感謝します」。「感謝します」。と言われ、聞くたびに変と思いました。今は、はまってしまっているのです。でも聞き続けている間に考えました。昔、子育てまっ最中のとき小学校に行っていた子供の学級で問題がおき、尊敬していた親しい保母さんにその話をしたのです。この方もクリスチャンでした。「申し訳ありません。何も手伝えないで。聞くだけしかできなくて」と誤られたのです。心配し聞いて下さって、そのうえ何も出来ない自分だと誤って下っていることに、『自分はなんと感謝することの少ない人間だ』と思ったのです。普段からお礼を言うのは当たり前と「ありがとう」はよく口にしていましたが、それ以後も心からありがとうと言っているのだろうかと考えてしまうと「感謝する」と口に出せないでいました。重たい言葉と思ったのです。私にとって「感謝」は、心からこんな私に良くしてくださってありがとうの意味なのです。部屋中カサブランカの香りがして朝から幸せだと思うと、ふと昨日“感謝”と、言葉にこだわり、私の感謝の意味を書きたくなりました。