高齢者外出介助の会

さあみんなで出かけましょう!

空堀の介護力

2010-06-24 11:37:24 | 暮らし

前に数度ブログに登場したkさんですがやっと定期的にお風呂に入るようになりました。

かかわりは5年ぐらいになるでしょうか。商店街の1階にサロンを開きまもなくですが、ホームレスのような姿を見たのです。

不思議に思い聞くとお父さんが亡くなられ20年になり近所の方々が世話をされていた。年に1度ですが路地に見えないようにして行水で体を洗ったりされていたのが、悪態をついたり勝手なことを言ったりするのでみんなが我慢できずに手を差し伸べるのをやめてしまったというのでした。

おせっかい?でしょね。私が気になって経緯は忘れましたが、お風呂に週1度誘い一緒に行き定期的に行くようになりました。着替えを私が洗っていたのですが、習慣にするにはKさんに洗ってもらはないと渡したら、洗わないで、ついに隠れたり逃げ出したりでお風呂に行かなくなったのです。

そして又時間がたち見かねた会のボランティアIさんが月に1度入れてくれるようになりました。

それも毎月となると負担がかかりIさんも足を悪くして「何かあったら助けられない」と包括支援センターに助けを求められました。

やっと、担当の課長さんが本気になってくださって色々すったもんだの末介護保険につながりました。そしてデイサービスで支援を受けることが出来ました。

ここまでたどり着くのに、近所の皆さんの見守りや支援、私たちボランティア、包括支援センターとが一つになったのが原動力でした。

それでちょっとからほりの介護力を自慢したいのです。


Mさんの怒り

2010-06-18 08:07:22 | からほりさろん

さろんに憤慨してMさんがこられました。

Mさんの義理の娘さんたちが大阪に来ると言って来た。後で分かったのは、前日に大阪に来て老人ホームを下見しホテルに泊まり次の約束の日にMさんの家に来た。そして「老人ホームを見てきたから」と入居を勧めたそうです。

もともと看護婦さんをされていたので、近くに勤めていた病院もあり、看護婦仲間も良く訪ねてこられ「自分で困ったら、先生に頼んで老人ホームも紹介してもらう。それに長女で早くに母を亡くし親代わりに兄弟の世話をしたので兄弟も私のことは心配しないようにと言ってくれている」。

娘さんたちの勝手な計画に私たちも聞いて驚きましたが、Mさんの怒りが理解できます。私の身に起こっても承服しかねます。

一般的な話しですが、時々家族の思い通りに暮らしを変えられ運ばれて行くように見える高齢の方がおられます。ご自分の意思は?「これで納得されたのだろうか」と思うようなことがあり、老いる悲しみを思うときがあります。

Mさんですが去年の夏にご主人が入院され、今年の春に亡くなられました。急に一人暮らしになり心細い思いが少し物忘れのような状態があったようです。でも、さろんに来られる限りでは普通のもの忘れ程度に見えます。

お父さんの見舞いに月に1度来られる娘さんには不安な状況があったのかも知れません。さろんに来られ「勝手に娘がヘルパーさんの手続きをして」と不満を言われていました。

ある日、さろんに「今日はヘルパーが来る。勝手に頼んで。いやになったから逃げてきた」と話しに加わり「そろそろヘルパーも帰ったやろから帰るは」と帰っていかれることもありました。

家族の思いやりなのでしょうが、近くにおられないので暮らしが分からないまま、ヘルパーに支援を依頼されたようでうまく機能していないのです。

見方を変えると介護保険の無駄遣いだと思うのです。Mさんの気持ちを尊重して日々の暮らしを知ったらこんなことにならなかったと思います。

私たちのさろんに来られることで、私たちは「今日も元気だ」と緩やかな見守りをしていますし、話から変化も察知でき、時には包括支援センターに連絡もしています。さろんの存在を知っていただく努力をもっとしようと思ったのです。


引きこもり

2010-06-10 07:28:34 | 暮らし

先月から毎日N君がからほりさろんに来ています。閉じこもり(ひきこもり)というらしいですが46歳の男性です。2~30代にしか見えません。毎日さろんに来られて最近は私が少し困っています。

始めの頃は10時過ぎから12時頃でしたが、最近は12時前から1時過ぎ。一度帰ってまた来るというような日課です。

食事時に私が食べている目の前でじっとして、彼は食べないのです。

みんなで食べながら話しながらは通りすがりの方にも「食事したはる」風景でしかないでしょうが、かしこまってじっと見られている私もですが、見て通る人も?ではと勝手に思っています。

良く来られる方が「このところが暗い塊のように見える」と。ちょっと気になる言葉。

先週、20代の若者が来た時N君は嬉しそうだったので「友達がほしいの?」と聞きました。「ほしい」と答えでした。

N君のような皆様さろんに呼びかけします。まずご連絡ください。同じ状況の皆さんたちに出会う場があれば繋がれると思ったのです。心を開きやすく、話しやすい仲間が出来ないかと考えています。


訪問看護師の本から

2010-06-02 10:42:29 | 暮らし

「家で死ぬのはわがままですか」宮崎和加子 今この本を読んでいます。私が願っていた生方を支えて実践されてきた宮崎さんの奮闘記。

ご本人はそこまで思ってられないかも知れませんが、東京の下町で20年進めてこられたのです。

この本で一人で最後まで暮らしたいと思いが、勇気に変えられたように思います。理想と描いてきたことが実際に進められているのです。

願いどうりに生き死を迎えられたられる社会になればいいな。実現したらいいないと願ってきました。

私はボランティアの立場で進めていますのでなかなか形にもならないのですが、切なる願いは大きく膨らんできています。

本には訪問看護婦さんの働きと、ヘルパーさんとで進められているのですがそこにボランティア、地域の皆さんの支えがあれば家で最後まで暮らせる町になると思いました。

家で死ぬのには死の学びをしないと対応出来ないとこれも、年の初めに読んだ本から切実におもったのです。日常的に死は病院になってしまったので「死」ぬ恐怖や寄り添う恐れみたいな感覚があるように思うのです。それで死に寄り添う学びをしたいと願っていましたが、ボランティアだけでなく訪問看護師さん、ヘルパーさんにも話をしていき人の輪も作りながら進めないと難しいと思うようになりました。

立場を超えてつながれば高齢者の最後まで住める町に変えられると思うことができた素晴らしい本でした。