高齢者外出介助の会

さあみんなで出かけましょう!

応援者と参加者

2008-09-26 20:19:45 | 暮らし

数日前、時々さろんに来られる方が「ここ危ない」と入り口の段差につまずき言われました。前から気にしていたところで扉とちぐはぐになっているのが原因なのです。

「前から直さなあかん思てたんです」「ここ引越しすると聞いたけど?」「いいえ。死守します。」最近一杯皆さんが心配してくださって応援を頂いています。

「ほんなら良い人知ってるから言といたげる。見に来るかもしれへんで」その知人の方が昨日来られたのです。そして「金曜日何時やったらええ?」相談の上午前に決まったのですが、「わし時間ルーズなのん嫌いやねんゆうた時間守ってや。時間守らんかったら、もうあんたと二度と話しせえへんで」

昨夜はプレッシャーで眠れなかったのです。いつも、時間より早く目を覚ましているのだから、いつものようにで良かったのにですが。

約束の時間に来られ夕方まで掛かって直していただきました。直しながら、「お金いらんよ。わしもそのうち世話にならなあかんから」ご好意に甘えました。

先日もボランティア協会のシニアのビデオ講座の受講生が来られ会のさろんの活動をビデオにとっていかれました。皆さんの作ってくださる出来上がったビデオを頂き大阪市の方にさろん活動を知っていただきたいので持って行こうと思っています。

25日もサロンで「みんなで歌おう」と歌や、手遊びなどで楽しみましたが、認知症のお母さんを会員が同行してくれ、一緒に歌い、手遊びもされました。参加された誰も気づく方がありませんでした。何も大層なことはしていないのですが、さろんで出会う皆さんがいつまでもどのような状態であっても元気で暮らされる支援が出来る場であり続けたいと願っています。


声を出せない不安

2008-09-14 19:26:19 | 暮らし

ずっと考えていたのですが、やっぱり一度は書かないと気持ちがすっきりしません。過激な文章になるかなっと・・・思いながら。だいぶ落ち着きを見せてきた社会保険関連です。

皆様、このたびの社会保険の不払いの人たちに社会保険事務所の職員がした行為を、保険の信頼性をなくすと政府もマスコミもたたいていますが、私は一方的だと思うのです。

一番悪いのは何度も催促しても払わない人が悪くありませんか。20年ほど前社会保険事務所でアルバイトをしたことがあるのですが、その時耳にしたのは、集金に何度も足を運ぶ苦労です。時には暴力団事務所もあり身のすくむ思いで行っていると話しでした。

社会保険の不払いの情報公開がされていたらどうだったでしょう。「払わない」ことには何の批判も無く、上司の職命でせざるを得なかった一線の職員さんに私は同情しています。(政府関係者も不払いに触れず職員を首にという方がおられますが、前に自分たちの不払い期間をどこからか漏れたことの仕返しをされているのでしょうか)

このたびのことは、上司の判断が間違っていませんか。上司の命令に逆らって「その仕事は出来ない」といったら正しくても首が飛ぶか左遷ではないでしょうか。また、どこの会社組織にしても上司に逆らえば成り立っていかないのではありませんか。

社会保険のこの部署にいた職員さんを初め、過去の不始末をいましたように背負わされている職員さんたち。組織の被害者のように思えて仕方が無いのです。またまじめな人ほど頑張ったのかなと思うと胸が痛みます。

これからは、このような組織の逸脱行為に対し心ある職員は首を覚悟で反対しなければならないのでしょうね。(出来ますか?)

私は世の中に冷静さがなくなり一方的な見方に偏っている状況を不安に感じているのです。もう少し書きたいのですがやっぱりあまり過激には考えすぎると難しいですね・・・・。


最期までどう生きる

2008-09-10 13:52:34 | 暮らし

「最期までどう生きるか 最期をどう迎えるか」このような呼びかけのチラシをもらいました。

9月28日(日)午前10時~午後4時30分 会場 聖トマス大学 本館301号教室 尼崎市若王子2-18-1 参加費1000円 定員300人主催、申し込み NPO法人愛逢 06-6493-1424FAX06-6493-1443 です。講演午前10時~12時「人生の最終章をあったかい空間で」講師富山県砺波市立砺波総合病院地域医療部副部長・内科部長佐藤伸彦さん。午後は「そのとき」を「どこ」で シンポジウムです。シンポジストには当会理事をしてくださっている中村大蔵さんなど4人の方々です。

時間をとるのがが苦しいのですが行きたくて悩んでいます。

この、空堀でサロンを開き最近考えることはこの町の方々が最後までこの町で暮らせたらと。そのような支援の場が与えられたらと思うことが多くなりました。

高齢者がなれたところから引き離されて、「幸せになったでしょう」これは支える側の傲慢では無いでしょうか?誰もが年を取るのは避けられませんが、経験の無いことは一方的な見方をして仕舞い勝ちのように思うのです。

当事者である高齢者の悲しさや、寂しさ、せつなさなど及びも付かないことでしょうし一人暮らしを選ぶぎりぎりのところうに立たされている方が余裕を持って選ぶなどできない相談です。そのような場が前もって用意されていれば選択肢として考えられますが、,身近に見当たらないことでただおろおろするばかりではないでしょうか。

「在宅でも病院でもない、必要な医療と介護を受けて暮らしていけるような新しい集合住宅を作りたい。」「高齢者の医療に寄り添うような医療がしたい」。思いを形にしようとされているお医者さんの話。皆様心動きませんか。

私達のサロンを介護予防の場として認知し支援をと願っていますが、大阪市では「縦割り行政なので、多くのケースを引き受けてられるので窓口を決めるのも難しい」といわれています。

本当の支援。本当の支えは・・・。心や、希望することは縦割りで割り切れるものでは有りません。このように当然な願いが実現を阻まれる状況があります。佐藤先生の願いは私達の願いでも有ります。

言うだけでなく実現に向けて歩もうとされていることを聞き、私たちも身近に実現できるよう支えあえたらと願います。


不公平

2008-09-03 11:16:56 | 暮らし

数日前、事務所に来るいつもの道で終日立ち続けている初老のホームレスの女性に最近会ってないと気になりました。

京阪から地下鉄に向かってエスカレーターで下る時必ず見ていました。「アレ。どうされたのだろう?」近くの派出所に安否を確かめようかと思ったほどでした。

それが昨夜懐かしい姿を見て元気だったのだと安心しました。

数年前の冬。夏と変わらない姿だったので、寒いだろうとオーバーを持って行き「着られませんか」と声を掛けました。彼女は「いらん」と答えたのですが、それでも気になり派出所に行き聞きました。

「寒いだろうと気になって持ってきたのですが、いらないということです。忘れたフリをして近くに置いたら着られるでしょうか?」。「それはあかんわ。私らが聞いてもイランいうから。」

又ある冬でしたが土佐堀通り角にドートールの喫茶店があるのですが、横の地べたに座り込んで、着ている服を頭まで引っ張って覆い眠ってられる姿も見ました。

世の中に暮らす人全てが幸せで有ればいいのですが、どのような過酷な環境でも神様は存在のまま守ってくださっているのだとこんなとき思うのです。

何を書いてるのと言われそうですが・・・・

一方で世の中のリーダーとして政治を動かしている人たちの傲慢と無駄遣いに腹が立ちます。選挙に勝てないと自分たちの選んだリーダーを引き摺り下ろす身勝手な議員たち。選んだらせめて数年は忍耐と知恵を持って守り立てることができないのでしょうか?

頭に上司の交代で右往左往している職員。無駄と言いながら捨てられる用紙の山が浮かんだのです。首相の退陣で省庁の無駄は計り知れません。新しいことはいいことですが、こんな新しいは税金の無駄遣い以外にありません。

貧しい人たちが見捨てられているのに、勝手な議員に厳しい目も声も上げない市民。私たちは嘗められていませんか?繰り返し首相が一年で次々変わる安定の無い国政。こんなことで世界の信頼を得られない日本を哀しく思っています。


永井 隆

2008-09-02 11:24:48 | 暮らし

ジュンク堂で永井隆「この子を残して」を見つけ読み始めています。

この中で作者は敬虔なカトリックの信者です。医学者として放射能の研究をし自分も骨髄性白血病になり、その上長崎で被爆をしたのです。

病の進行で寝たっきりになり残された二人の子供を案じながら自分の命が尽きるまで書き残された文章。

自分のいなくなった後に残される子供のこと、又進路や将来を思いながら、聖書のみ言葉に導かれ、すずめ一羽でさえ神の愛の中にある。ましてこの子供のことを愛してくださる神様にお任せする境地で締めくくられた文章で涙が落ちました。

私はというと、昨日も来られたかたが何で来られたか?私に議論を吹っかけるためなのだろうか?仕舞いには苛立ちのメーターが上がるのが感じられ「早く帰って欲しい」とまで思うしまつ。

神様が私も含め来られる全ての人を愛して作られたのにと冷静になれば思うのですが充分に心を尽くして応対が出来ないで悔やむことばかりです。

人が訪れる場にいる限りもっと心を広く誰にでも温和な心で接することの出来る自分になりたいと、この本を読み反省と願いを持ちました。