10月の文学を読む会です。福田先生の熱の入った語りです。残念なのですがなぜか参加が少ないのです。
今は上司小剣の「鱧の皮」を読んでいます。
筆者は明治7年に奈良市で生まれ24歳で上京し読売新聞に入り文芸部長兼社会部長を歴任。
大正3年「鱧の皮」をホトトギスに発表。昭和22年74歳で永眠。
この上司小剣の「鱧の皮」には古い大阪の叙景や風俗が書かれています。手振り身振りで説明して下さって、聞いている私たちは「へぇーー」というような楽しい時間です。
今月は近所のお茶屋のおばあさんと先生が80代であと70代の方。三人のかもし出される雰囲気が穏やかで「良い時間や」と私までやさしくなれるように思いました。
昔の厳しい勉強とは一味もふた味も違って良い時間です。皆さん一度おいで下さい。
なお「鱧の皮」は岩波文庫で刊行されています。
ちょっと聴いて時間が経ちました。
Iさんが家族のことを話してくださった。(Iさんは月曜日午前中にサロンに来ると決めてこられている90歳の女性です。サロンにペパーフラワーや布で巾着袋など手作りの作品を持って来てくださって、会では販売させてもらっています。わずかですが、キャシュバックし労に感謝しています。)Iさんの説明が長くなりました。
樋口了一の手紙を教えてもらい私は気に入ったと前に書きました。
歌詞を来られた方に話し、ほしいという方には渡しています。Iさんは、週二回デイサービスを利用されているので、「ほしいという職員さんや仲間の皆さんに」と渡しました。
Iさんが言われたのは、家族に渡したそうですが「いやみか」<`ヘ´>一言で言われたそうです。
私は、一つ一つ年老いていく皆さんの寂しい気持ちを若い皆さんに理解してほしいと単純に思ったのです。
高齢の皆さんは自分のことをわかってもらうように説明するのは難しいだろうなーー。本当にこの歌詞は歌に乗せてずばりやわらかく表現されて、分かりやすいと。
ちょっと意外な展開に驚きました。家族を攻めるつもりはありませんが、そのように言われたIさんが悲しかっただろうなあー。
私から見ると、この歌を歌われている樋口了一さんも若い方です。こんな方が温かい眼差しでお年寄りを見て歌われていることにも嬉しのです。
お年寄りのことを誰にでもわかってというのは難しいことなのだと思わされたひと時でした。
最後にふさわしく500人収容のドーンセンター大ホールが一杯でした。毎年申し込みの6割ぐらいの参加と聞いていましたので気をもんでいました。
最後まで楽しんでくださったようで「マリンバで元気をもらいました」とわざわざ話しに来てくださる方もあって、主催者に喜びを運んで下さった。
楽しんでいただき怪我や事故の無いように終わることばかりに心を砕いているものに何よりの言葉です。私たちが皆さんにお礼を伝えたい。
帰りに右半身麻痺の男性が目に付き、お礼の言葉と共にお別れをしエレベータに向かって歩いて行かれた姿を見送りました。
その後、私はマリンバの片付けなどを手伝ってかなりの時間が経ちました。
帰ろうとドーンセンターの正面玄関にさしかかったら、さっきの麻痺のある男性がバスの停留所に向かって体をゆがめた姿勢で歩いていかれるのです。
後姿を見ながら、こんなに帰るだけで時間がかかるのに来てくださった!今日はどれだけの時間をかけて家を出られたのか?行こうと来て下さった強い決心に心打たれました。
体が不自由になっても、行きたいところに行き、したいことをすることが、心を健康にし今の健康を維持する秘訣なのだと強く思いました。
名前も聞きませんでしたが、「これからも時間がかかっても出かけてください」と応援をしたくなりました。
台風情報があたったのか雨になりました。
今回を持って遠足を終わりにします。
会を立ち上げた頃は、外出をしたいと思っても同行してくれる人がないとあきらめておられる方が多かったようです。私たちが訪ねていくと「これで夢と希が叶った」とよく言われました。
最近は遠足に誘っても「ヘルパーさんが来る日」。とか「デイサービスに行く日」とかで参加されなくなってきました。外出も介護保険と時として実費で何とか実現したようです。
だから、あえて行かなくてもという思いもあるのでしょう。
時には「ヘルパーさんが来るから」と断る方があり、この言葉には苛立ちをを覚える時があります。
楽しみまでもあきらめて、縛られると私は思ってしまい「どちらも満たされるのが暮らしではないか」と。
オーストラリアに行った時聞いたのです。ふいの外出で居られなくても、事務所にヘルパーさんは電話をし高齢者の自宅に入り決まった掃除などをして退去される。これこそ、私の願うサービスなのです。
生きるのに予定外のことは一杯有ります。そのような時にどちらか一方だけというのはしたくない時も有りませんか?
遠足のことから脱線しました。最後の遠足です。今日の日和を皆様お祈りください。
まったく変わりますが、前回、介助での不愉快な状況を書いてしまいましたが、ご家族が遠距離で、お母さんに心を痛めながら少しでも快適なようにとメールなどで連絡があります。このような皆様に遠距離介護の心の支えにと。ご紹介します。http://www.paokko.org/