敬老の日で亡き姑を思い出しました。
早くに連れ合いをなくし、子供たちを50代後半ですべて巣立たせ86歳までの長い一人暮らしの期間がありました。70歳代から認知症の症状が現れましたが、血管性でしたので時によって変わり、とても穏やかだったり、変?と言う日もありました。週に数回尋ね食事を共にし「これぐらい食べれば」と安心していたのです。そんなある日、「お彼岸なのでお墓参りに行こう」。いつもは一緒に霊園までバスで行っていたのですが、私の連れ合いが車の免許証を取ったことでもあり、車で行こうと誘いました。ところうがすごい剣幕で「免許取立ての車なんか乗りたくない」というのです。??の私は、姑の好みは私の連れ合いが一番好きらしいと思っていたのです。それで、重ねて「一番好きな人と、お兄さんと四人で行くからいこう」と言ったのです。姑は「そんなんに乗ったら死ぬやろ。あんたは怖い嫁やな。もう二度と家の敷居またがんといて。葬式にも来といて」。しょっちゅう「早よう死にたい」と言っていましたし、普段も、早くお父ちゃんに、「早よ迎えに来て」言うてると話していたのです。やっぱり死にたくはないのです。口と心は一緒とは限りませんし、後で気が付いたのですが、死にたいぐらい、寂しい、死にたいぐらい退屈だと言うようなことを訴えていたのだと。それで思うのですが、皆さん、ご両親や一人暮らしの親が健在ならどうか、敬老月間だけでも尋ねてあげてください。