高齢者外出介助の会

さあみんなで出かけましょう!

夫婦の歴史

2015-05-12 20:44:47 | 暮らし

今日は早く帰ろうとサロンを出ました。谷町筋への出口でいつもくどくど話されるKさんに会いました。声をかければ1時間はかかると思ったのですが、話を聞こうと肩をとんとんしました。Kさんを苦手と思う理由は解決しようとしないでいつまでもこだわって言い続けられること。そこまで言うなら自分で何とかしませんかと思ってしまうのです。やはりご主人のこと自分のしんどいことを話し出されました。
主人はショートステーに行くと風邪をひいて帰ってくる。あそこに行くと何時もそうやと言われるので「自分で探したら?」どうしていいかわからない。「自分で見に行ってケアマネさんに連絡したら」1つ見に行ったけど、あんなところに入れたらぼけてしまう。今行ってるデーサービス見たいやったらいいけど。ああでもない、こうでもないと、そんなん言ってたら合うとこないよというと、ケアマネさん変えたらとみんな言いはる。聞くことに徹しよう。そうでないといつまでも問答は続くだろう。解決する気ががないやなあ。そしたら「お父ちゃんこの前あんまり苦しくって死ぬと思ったそうや。それで気持ち伝えなと周りを探し紙に書いてた。それがよしえと結婚して幸せやった。子供たちに仲良くしてかあちゃんをみたってや。」聞いていて涙が出ました。短気なご主人の不満を話され、難しいご主人だものおくさんの不満も仕方ないなと思うのです。苦しい中でも奥さんに最後に伝えたい言葉を紙に書かれて、ここまで不満や怒りなど苦しいことはいっぱいあったっと思うのですが、長く連れ添った夫婦の歴史を聞いたと思いました。そしてこの紙で怒りも不満も半減したのでしょう、笑い顔になられました。

私が悲しいと思った近所の話

2015-05-04 11:27:03 | 暮らし

近所の民生委員に声をかけられました。ここの家の人施設に入った。知っている人に話していなかったので。奥さんも数年前にそのご主人の暴力で頭がい骨骨折で倒れていたところを見つけられ施設にはいいていると話でした。いきなりこの話で私の心は沈んでいきました。悲しくなりました。次は怒りがこみあげてきました。何に怒って、何を悲しいでいるのだろう。昔は人生60年でこんなような話は耳にしなかったように思うのです。生きること。生き続けることの厳しさを思いました。そして私たちが作りたいと願っている家で、このような人を見ることができるのだろうか?狭い限られた状況と情報の中で物事の解決を考えていたと思わされました。いずれにしても外国なら、デンマークやスエーデンならどのような処遇と支援があるのだろう?この家のご夫婦の暮らしの願いなど聞いたこともありませんので考えようもないのですが。究極個人の暮らしをその人らしく生きたいと願ってられるように支えられたらいいのです。小さな試みをたくさん作り出すことで、誰かにあった支援が生み出されるのだろうと心を落ち着かせるしかありません。連休、久しぶりに近所の高齢者事情を教えてもらいました。