高齢者外出介助の会

さあみんなで出かけましょう!

2007-08-28 13:30:58 | 暮らし

97才になる父ですが、数日前肺炎で入院しました。二年近く前に大腿骨を骨折し、手術もリハビリも拒否し廃用症候群で足のひざが曲がったままです。トイレはベッドを移動し自分でたしています。又、父は頑固を通り越し介護する姉を疲労困憊させています。このような父ですから、入院期間無事に過ごせるか不安でした。思ったとおり月曜日早朝、姉から病院で退院すると騒いでいるからと連絡がありました。病院にいく間「なぜ父は大騒ぎするのだろう」思いめぐらしました。おしめをされたというのは聞いていたのですが。父の気持ちになればおしめさえも屈辱です。それ以上のことと思い、拘束されたのだろうと推察。病室で父のベッドの周りを観察するとベットのしたの左右同じところうに晒しのひもがありました。そして枕の横にも紐が。あくまでも推測です。「こんな病院に居たら殺される」とぶっそうな話。高慢というぐらいプライドの高い父。自分でも信じがたい状況だったのでしょう。しかし一方で病院の言い分を考えました。多分、夜の当直は看護士一人か二人の人員でこなすには、騒ぎ立て、呼び続ける患者に十分な対応は無理な要求です。あれこれ考え、看護士さんと父の今後を話し合ったとき、やはり夜間の看護士は一人だと聞きました。父の入院は、他の入院患者を思っても引き受けられないと退院が決まりました。悲しいのは、病院が悪い、介護保険が不十分だというのではありません。最後の望みに入院を選んでも効率優先の状況では、一人一人にきめ細かな介護や、寄り添うような治療が受けられないことです。人としての尊厳を無視し高齢者の治療にかかわれば、環境の変化さえも認知症の引き金になる不安の中促進されることは明らかで、退院後の生活さえも入院前の暮らしが継続できるか案じられます。多分、父の場合介護の負担は日増しに増えているのですが退院の選択は間違っていなかったと思えるのです。介護の課題に取り組み、少しでもお年寄りに良い環境を提供したいと取り組んでいるのですが、足元の介護さえ満足な介護に達しないもぞかしさを感じた入院騒ぎでした。


街中の高齢者住宅

2007-08-21 14:55:05 | 暮らし

まだまだ暑い日が続きます。皆様暑さに負けないように健康に御留意下さい。この休みの期間私は孫とプールに半日、万博で一日遊びました。休みの間、頭は休みモードで会の進む方向など気楽にイメージをふくらませていました。空堀は何度も話していますが路地が多く長屋の多い町です。このところに街を生かした高齢者住宅ができたらと最近は思うようになりました。町並みをそのままに裏道に棟の続いた家。何かあったらすぐに路に出られます。買い物や病院も身近にあります。年を取って住環境が変わるのは、閉じこもりや不健康の本になる可能性があり私は感心しません。住み慣れた町の片隅で住み続ける工夫や支援の輪の組織化をしたいのです。助けあってきた人間関係を持ち続け、何かあった時支えてくれる人のつながりを大切にできたら・・・。ヘルパーさんも近くに多く住んでられたら道に時間が取られず効率よく介護ができるでしょう。介護力が豊かなそんな街を夢見ました。


思いやる

2007-08-03 11:18:15 | 外出介助

Kさんは東洋陶磁美術館に会員と出かけられました。病院内施設で介護を受けておられ弁護士が後見され、経済の管理を代理で病院の会計が担当されているのです。出かけるにしても面倒な手続きがあります。昨日は往復タクシー利用と弁護士から聞いていたのです。パーキンソンが進みタクシー乗車の介助に一人では心もとないと、帰りの乗車の手伝いを引き受け東洋陶磁美術館に出向きました。タイミングよく鑑賞を終えでてこられました。介助の会員に聞くと、ここまで地下鉄で来た。帰りも地下鉄で帰りたいと言われている。外出介助は本人の意思が優先と会では対応しています。会員の予定の時間が迫っていたので交代することになりました。帰途淀屋橋の駅から南田辺まで地下鉄。来しなは南田辺まではタクシーと聞き、病院の会計が5時15分にしまるので何とか間に合うと胸をなぜ下ろしました。南田辺に着くとタクシーの乗り場を横目に指で進行方向を指されるので、向かえ側から乗られるのだろうと信号を渡ると又、進行方向を指差されました。タクシーに乗られないのだ。仕方なく歩き出し指先を見ての前進。昭和町。一駅戻っています。もう一度確かめると町名を言われるのですが言葉が聞き取れずやっとわかり、道で聞くと反対に戻り、なお一キロはあると。もう、時間に戻ることは諦めよう。長い付き合いでKさんはお金に厳しい方とはわかっていても、私の心配をよそに街をうろつき、怒りが湧いていた私です。気を変え、方向音痴なので「言うとおり進むから」と指先に従い一時間かかってやっと帰り着きました。病院の会計は閉めないで待たれていたのですが、刑事の尋問のようです。不快感は募る一方。自分では怒らないように、ブレーキをかけねばと思っても、会計の言葉で怒りを今思うとむき出しにしていました。日頃、歳を重ねると思いや視野が狭くなるのを実感し、心まで狭くはなりたくないと思っているのですが・・・・。Kさんは私たちの知る限りは裕福なお年寄りです。お金には厳しく車椅子の介助も徒歩で、介助者の疲労など意に返されているように思えません。Kさんの生き方から、私の生きていく姿勢として思うのですが、自分の希望はあっても状況を理解し、周りの人を思いやる心を持ち続けられたらと願います。