次の日(金曜日)ホームの方から電話がありました。それは、前日のNさんの不満、糾弾でした。
持って来たい衣類や食器などがあったのに中途半端な応答であると思ったのがホームに帰ってみると入っていなかった。と不満を並べ立て職員さんから事実かとの連絡です。
先にも書きましたが、連絡していなっかった怒りが2~30分続きその間に二人が何度もお詫びを言ったのです。
それでも治まらない様子だったので私が切れかけたのです。
この発言が「用事があるから早く帰らないとと言う人が有って気ぜわしく何も出来なかった」と続いたのです。
職員さんの話を聴きながら「これからこの方の付き合いをどうしよう」。私たちは時間の報酬をもらっていません。最後の「ありがとう」でまたやろうと元気が湧いてくるのです。
Nさんのように、不満ばかり並べ立て思っても見ない見方で訴えられたら、これから傷を受けるボランティアが続かないと不安になってきました。
私ひとりなら、聖書にある「悪に悪を持って報いてはならない、善を持って」とか「汝の敵を愛しなさい」とか「右の頬を打たれたら左の頬も出しなさい」と自分に言い聞かせ受けねばと思ったりするのです。
でも、会として認知症があると聞いていても、今回のように何もかも「どうしてこんなふうに思えるのだろ」
自宅でのNさんの動きはゆったりでした。ブラウスを出したり入れたりしながら、投げてよこされるのをたたみ袋に入れました。湯飲みも私はこれより他に無いのかと思っての「これで良いのですか?」と確認したら「それを持っていきます」と答えだったのです。
それが、私がおもわなっかった物でと不満を訴えられたらどれだけのボランティアが耐えられるでしょう。現にボランティアは高齢化し不足しています。この上、この方とのトラブルで辞めると言われたら・・・。
とりあえずは、当分忙しい上にボランティアが見つからないのでと次回の依頼を先延ばししたのですが。決断に悩むケラコです。
本当に怒りの爆発が今もなかなか抑えにくいケラコです。
今日予定していた会員に変わって介助のためホームに行きました。
雰囲気が??聞くと連絡が入ってなかったそうで、私は、引き受けた会員に頼んだと思っていたのです。
ピンチヒッターで出かけましたが当の高齢者の方には確かに伝わっていなかったのは私たちの会の落ち度です。
其処を京阪天満橋にについても突っ込んでこられ「何度謝ったらいいねん」と怒りに変わりました。
それで「引き返そうか」と言いかけたら、もう一人の会員が「ここまで来たのだから行きましょう」ととりなし寝屋川の自宅へと向かいました。
今日はチームで活動できたので事なきを得ましたが、私一人ならとっくに引き返していたことでしょう。
前から家族の方からトラブリやすいと聴いていましたが、変な納得をし、今後依頼が来ても2回に1回にすると冷たく思っていました。
ただその後は、私も「こんなことで怒ってもと、神様に怒りを取り去り私たちの間に愛を注いでくださいとイエス様にねがいます」と離れて祈りながら歩きました。
その効果かその後はスムースに運びホームに送ることが出来ました。
こんな懺悔をして後悔をしているケラコです。
高齢者の方々は準備に手間取る上に出かける覚悟もいるのでしょう。私たちのようにホイホイとは出かけられないのでこのような反応も出るのでしょう。しかし、ドタキャンなどは当たり前でこの方も依然ありましたからなかなか怒りが収まらない、ちょっと情けない日でした。
ちょっと愚痴ってみたくなったのです。
雨の土曜日映画会をするのでからほりサロンに居ました。
ガラス戸ごしに行ったり来たりしながら中をのぞいている女性が見え、気になって「入られませんか」と声を掛けました。
決心したように入って来て「実は私の両親のことですが」と話し出されました。
京都で二人暮らしています。本屋を廃業しやっと二人の時間が持てたので、これからと楽しみにした矢先に、父がこけて怪我をし、結局完治というより痛みやもろもろの症状と付き合っていく暮らしです。
退院時は近所の散歩も出来ていたのが、外に出なくなり運動不足の上、食べる楽しみだけで体重は増える一方。悪循環で出来ていたことも出来なくなった。
母が看病で腰を痛め,二つ折りのような体で父さんを見ている。母も入院したが退院し近くの病院に通院を言われているが行けてない。
家の前にある2段ほどの階段に阻まれ病院にいけない。「こんな会が有ればと思っていた。お願いすればついって行ってくれるのでしょうか?京都にも有りませんか」と聞かれました。
残念ながら京都の情報が分からないので答えようが無く,「第三火曜日京都からマイケアプラン研究会の方々が来られるので、情報を聞いてお知らせします」。
両親の様子を話しながら涙ぐんでられて、聞く私も何とか力になりたいと思ったのです。
家族として気にかかっても、なんとも出来ない切羽詰った気持ちをサロンを開けているとよく聴くのです。
若いから仕事をしないと食べていけない暮らしの中で何とかしたいと思っても、高齢者の皆さんの介護保険を受けようと思う気持ちのハードルが今のやり方では高いように思います。
この方のご両親も、お父さんが家庭に人が入ってくるのがいやで頑固に二人だけの生活に固執され、連れ合いの体を思いやるゆとりが無いままに拒否を貫いてられるのです。
オーストラリアに高齢者の状況や施設を見に行く機会が与えられ以前に行きましたが、何かが違うのです。介護保険がありながら介護の無い状況を聞くたび考えさせられています。