昨日人形作りの皆さんが作り始めたらさろんの前をカメラを首にかけた女性がたたれました。空堀に来た方だろうと「暑いから中に入ったら」と声を掛けました。
広島から友人と大阪城ホールのコンサートを聞きに仕事を休んできた。夕方には新幹線で広島に帰るけど時間が有るので大阪城周辺を歩いていたら警備の人が「空堀に行くといいよ」と教えられたので来た。」
彼女の話しで、私は仕事も手につかないので空堀の案内をしました。
途中で喉が渇いたというので好きなお好み焼き屋さんの平田さんに案内しました。あつかましいですが「冷たいお茶を飲ませてもらおう」と思ったのです。
平田さんはご夫婦でお好み焼きをされているのですが、マイペースでゆったり見えるのが私は好きなのです。
このときももう昼は終わったので一休みしようと思っていたとこやと言われたのですが、突然尋ねた私と若者にお茶とコヒーまでだしてくださったのです。
平田さんと話しをしているとると「あんたいい顔してるな」と若い女性に言われ、こんな年寄りと楽しそうに話しをするのはあんまり居てへんと。
彼女は老人ホームの職員で「お年寄りが好きで仕事は楽しいけれど、職員間でいろいろあることはしんどい。そんな時お年寄りの所に行って「私、目から汗出しよるけんねん」というときも有ると。
平田さんを出てもう少し空堀を案内し時間も気になるだろうからお茶を飲んだら帰りとさろんに戻りました。
ここでさろんを開いている思いなどを話したら「老人ホームのお年よりは可哀想。することが無くご飯を食べて寝るだけ、やっぱり家が良いですね。」
私も10年老人ホームのボランティアをしてきましたが規則が苦手で老人ホームは好きになれませんでした。その思いがさろんでの活動になり、おせっかいかも知れませんが地域で暮らし続けて欲しい切なる願いになっています。
昨日からこのことを考え続けて思ったのは、先日デンデラを見て分らないと思いましたが、姪に話すと「特に考えないで人生の終わりを迎え流されるままに人生の幕引きをする時、山で生かされ初めて自分?と向き合って考える」作者は話していたと聞いたのです。
それで私は理解できなかったのでしょうか?老人ホームのお年寄りが可哀想に見えるのも本質はここにあるのかなと私は思いました。
個性を殺しみんながするように目立たないように。迷惑をかけないように。老人ホームでも同じように生きるなら若い人の目に可哀想に映るのかもしれません。
今からでも遅くありません。自分らしく生きていくプランと決意を持てれば良いのではありませんか。
まとまらないのでここで。本当は引きこもりのことにもつなげたかったのです。根っこが同じように思えるものですから。