高齢者外出介助の会

さあみんなで出かけましょう!

年末に

2009-12-29 15:11:24 | 思い出

年末になると思い出すことがあります。高校生時代のことです。いま思うとカラーで表現するとブルーだったと思う時代のこと。

理由は学校(クラブはしていた)と家と帰りに寄り道する本屋だけ。この三角形を毎日あきもせず繰り返す日常でした。なぜ?といっても本以外に興味を引くものが無かったのも事実ですが。

それで、父からいくら小遣いをもらっていたか忘れましたが、12月末に貯まった小遣いから困っている人に寄付をしようと思い立ったのです。

当時の5千円(今思ったら若い方の1ヶ月の給料ぐらいになるようです)を持って千林の交番に届けようと家を出ました。

千林に着いてからいろいろ考えたのです。「交番に置いて逃げ出したら誰か分からないから良い」と。「不審に思われるかな」「名を名乗って新聞などに載せられたらこまるし」。

交番の前を何度も行きつ戻りつしました。そして気がついたらそのお金がなくなっていたのです。

それで、今までの悩みは何んだったろう。これでどんなにして寄付をするかという悩みから開放され、意気込んでいた肩の荷も降ろすことができました。

「誰か困っている人に届いてほしいと」願いながらやっと帰途に着きました。

今なら寄付先も一杯情報がありますが、未熟な高校生だった時のちょっと苦い思い出です。


終わりの時

2009-12-16 13:56:24 | 思い出

枚方でボランティア活動を一緒にしていたSさんから電話がありました。多くの出会いの中で私の尊敬するお一人です。

「もうボランティアが出来なくなったので身を引きます」と言われるのです。

理由は今年の夏にご主人が亡くなられたこと。その前から肝臓が悪く入退院を繰り返し歩くのも人に心配をかけること。立ち居振る舞いにも周りの人や息子さんたちが気にされていることなど。

私は、枚方から活動の地を大阪市内に移して15年になります。その間一度もお目にかることなく来てしまい、昔のように声も張りがあり年を取られた実感が湧いて来ません。

Sさんを尊敬しているのは、まず穏やかな方。お母さんの話をされたのですが、このお母さんに育てられたのでSさんのような人格を持っようになられたと感動したのです。

20数年も前ですが、電話で「今日わらしべ学園で洗濯を干し終わって空を見たら風で干した子供たちの服がひらひらとしていたのです。そのとき、体の弱かった私がこんなことが出来るようになり健康な体になったと嬉しくなった」と言うよな事を話してくださったのでした。

ボランティアのリーダーをしていましたが、苦しく嫌なことがあって、この電話で慰められ喜びが与えられ勇気と感動が心からわきあがりました。

苦しいことがあるけれど人から喜びを分けていただき、それもすぐになくなるような喜び以上に心の深みからあがってくるようで「この喜びは誰にも奪われない。リーダーをしている褒美だ」とその時思いました。

こんな出会いで心の端に大切な人としてしまっていました。

誰にも終わりは有りますが自分で決めるのもまたSさんらしいと名残惜しい電話でした。


空堀名物

2009-12-08 11:24:50 | 暮らし

お茶屋さんで柿の葉茶を買いました。そのときご主人が「土居さんの包装紙に包んだのを持って丸与さん(かつお節屋)に寄って内に来た」と、お客さんがあった。

夏に空堀ホープドーン事業で昆布の土居さんで昆布出しの取り方。丸与さんでかつお節を削って味噌を入れて飲む即席味噌汁や宇治茶園さんに美味しいお茶の淹れ方を教授してもらいました。

参加された皆さん味に感動されました。その同じコースを歩いてられたらしいのです。

本当に美味しいのです。皆様も一度訪ねてみてください。今年の新しい”発見”は古くからあったよき味です。

それにもう一つ空堀商店街から一つ南の筋に平田商店という看板で、タバコとお好み焼きをしている店がありますが、とても美味しいです。

私も「ここのお好み焼き空堀でも美味しいで」と食通の人から教えてもらい行くようになり、尋ねられたら教えています。

もう一つ忘れていましたが、谷町筋西側7丁目近くにチルコドーロというジェラートのお店もとても美味しいジェラートがあり持ち帰りも出来ます。

もう一つおまけですが、高齢者外出介助の会の東となりにお豆腐屋さんがあります。ここのお豆腐を地域の方は「空堀1や」と言う方もありこちらにも寄って見てください。夏は、シソ豆腐や枝豆豆腐などもおいしいです。私は岡田豆腐店の吟醸豆腐も好きです。

空堀に来られたら是非この店、店に立ち寄りお腹も一杯にしてお帰り下さい。


11月は外出介助0件

2009-12-03 14:18:10 | 暮らし

データーを取るのにフッと気がつけば外出介助の依頼11月は皆無でした。数年前から減少傾向で、去年は激減でした。

私たちボランティアは行政の隙間を埋め、手がさし伸ばされ充足されたら、新たな活動に進んでいく役割と認識しています。この状況をどのように考え進めるのがいいのでしょう。

私達に聞こえるのは暮らしの様々な外出の依頼に時間1500円~4000円で事業所によっては実費で引き受けていると言うのです。

当会は介護保険以前から活動をはじめ、行政の窓口や社会福祉協議会から問い合わせや依頼がありました。最近も問い合わせはあるのですが「利用される本人から連絡を頂きたい」と待っていても電話はありません。

高齢者の方々は新しい人との関係に臆病のように思うのです。「だまされる」と思われたり、疲れるのでしょか。

私達はそのような人たちにあえて付き合いますともいえません。お互いに快く外出を楽しむのには信頼関係が無ければ難しいのです。

外出介助ボランティアもこのように依頼が無ければ他の活動に散っていき、現状はボランティアに依頼するのも厳しいのです。

ひとまずどのような形でも充足されたと。

ならば、次なる活動ですが、ここ数年外出依頼に反して事務所に併設したサロンの潜在的な利用が増してきています。

苦しいのは、外出依頼の調節は電話と机さえあれば可能なのですが、サロンは場所と言う目に見いえるのが必要で、ここで私達の悩みは深まるのです。

中央区の包括支援センターから支援の依頼が入ります。地域のニーズに対応したいと、出来る限り依頼には応えていますが「場」を開き続ける資金が底を突いたのです。これで負けたくは無いのです。

こうなるまで何もしなかったのでは有りません。大阪市に去年当サロンを介護予防のモデルとして支援いただきたい。もっと沢山このような気軽に歩いていけるサロン実現に協力して欲しいと申し入れをしたのですが「私たちがしなければならないことをしてもらっている」と聞いてくださったのですが、3月に「お金が無い」と回答が寄せられました。

また話し合いで「会のサロンは介護保険対象者や介護予防対象者など間口が広すぎて行政では受け入れる課が無い」とも言われ、ガッカリでした。

危機的状況でたどり着いたのが、自立の道を探ろうとの決意です。何とか自主財源を作り出し、若い方々にバトンタッチしたいのです。

最近忘れっぽいので、穴を開けるのではと恐れていたことがつい最近起こってしまいました。そんなこともあり、一日も早く後継者につなぎたい。それには給料の出せる団体に早くならなければと目標は大きくなるばかりです。

外出はお金を出せば出かけることが出来ますが、高齢になって毎日出て行くのは無理なことです。自宅に居る時間が増えても、どこかに気軽に話しにいける。デイサービスに行かない日に話に行くところうがある。それも、決められた時間や場所ではなく、自分で選び、自分が動く。気兼ねなく好きなことが出来る。そんな場が多く出来たらと心からの願いです。

年末になりました。決意や夢や混沌としたケラコです。