最近悔しいことがありました。Sさんが亡くなられ追悼の食事をするので参加くださいと案内がありました。
Sさんとは交通事故で高次脳機能障害があり家にじっとしているのであなたのサロンで関わってもらえないかとケアマネから依頼を受けたのが始めです。
高次脳機能障害て何だと、朝日新聞厚生文化事業団主催の講演会に聞きに行きました。交通事故により脳の一部に障害があり、症状として認知症のよう。かかわりは回復もあるので、特に注意して障害のない人として関わる大切さを強調されました。
Sさんは料亭の板前さんだったこともあり「気が短い、怒りやすい」と前もって聞かされてもいました。
私たちははじめは少し恐れていましたが、聞いたようなことはありませんでした。でも、もと板前さんならこんなことと思うようなことを忘れてられる時があり、「元板前さんに申し訳ありませんがイワシはこうしてください」と断りながらしていただいたりしてました。ある時、後でサンマを入れるのでお米に少しお酒を入れてくださいねと伝えたのですが、スイッチを入れ忘れて炊飯器を見るとお米はお酒に浸かっていたこともありました。
こんなことを繰り返しながらだんだんお互いになれ食事もともにされるようになりましたが3年ほど前に喉頭癌が見つかり手術をされましたが声が出なくなりました。
それとともに認知症も進み食事は食べに来るだけになっていきました。そして今年3月ぐらいまでサロンに来られていましたが6月に亡くなられました。
自宅にいたいというので、一人暮らしでもありヘルパーさん、訪問看護師さん、ケアマネさんと多くの皆さんの支えで暮らしも守られ理想的な終わりだったと私も思うのです。それが一つ最後に気に入らないことがありました。
それは、ケアマネさんが家を整理していたら、娘さんと孫さんの写真が出てきたので、なぜ送ったのか書かれた文章を読んだ時です。
内容はうまくまとめられ、世話をした方々の状況も書かれていたのですが、私たちボランティアのことには一言も触れていなかったことです。食事会の帰りは男性ボランティアが徒歩で、あるけなくなって車いすで送ったりいろいろなかかわりと関係がありました。
私は普段はボランティアをことさら強調はしたくないのです。しかし、見たことのない家族に報告をするなら、自分たち専門職だけでかかわり送ったとは片手落ちだと思いました。同じ支援をしてきたものとして横並びに書いてほしかったのです。
このケアマナ(初めに紹介した人とは違った方です)は困ったら私たちのさろんに高齢者を連れてくるのです。今週も食事会がないのに先週から「連れてくる」と帰って行かれました。
私は来られるKさんが好きだから困るだろうと断りを言いませんでしたが、インホーマルサービスを都合に合わせ利用し、さて報告となると頭の端にもないというのはいかがなものでしょう。
これからはますます地域のボランティア力が求められる時代になりました。それなのに仲間として処遇せずに勝手なかかわりに怒りを覚えています。
ボランティアは「ありがとう」の一言でしんどかったことも忘れて、また頑張ろうと思うものです。今回は一言があれば、このケアマネの感謝の気持ちはわかりますからそれだけでよかったのです。それも、私一人で関わったのではありません。サロンのボランティアが心を一つに関わったから余計に悔しいのです。