高齢者外出介助の会

さあみんなで出かけましょう!

ボランティアな仲間でない?

2014-07-27 19:49:43 | からほりさろん

最近悔しいことがありました。Sさんが亡くなられ追悼の食事をするので参加くださいと案内がありました。

Sさんとは交通事故で高次脳機能障害があり家にじっとしているのであなたのサロンで関わってもらえないかとケアマネから依頼を受けたのが始めです。

高次脳機能障害て何だと、朝日新聞厚生文化事業団主催の講演会に聞きに行きました。交通事故により脳の一部に障害があり、症状として認知症のよう。かかわりは回復もあるので、特に注意して障害のない人として関わる大切さを強調されました。

Sさんは料亭の板前さんだったこともあり「気が短い、怒りやすい」と前もって聞かされてもいました。

私たちははじめは少し恐れていましたが、聞いたようなことはありませんでした。でも、もと板前さんならこんなことと思うようなことを忘れてられる時があり、「元板前さんに申し訳ありませんがイワシはこうしてください」と断りながらしていただいたりしてました。ある時、後でサンマを入れるのでお米に少しお酒を入れてくださいねと伝えたのですが、スイッチを入れ忘れて炊飯器を見るとお米はお酒に浸かっていたこともありました。

こんなことを繰り返しながらだんだんお互いになれ食事もともにされるようになりましたが3年ほど前に喉頭癌が見つかり手術をされましたが声が出なくなりました。

それとともに認知症も進み食事は食べに来るだけになっていきました。そして今年3月ぐらいまでサロンに来られていましたが6月に亡くなられました。

自宅にいたいというので、一人暮らしでもありヘルパーさん、訪問看護師さん、ケアマネさんと多くの皆さんの支えで暮らしも守られ理想的な終わりだったと私も思うのです。それが一つ最後に気に入らないことがありました。

それは、ケアマネさんが家を整理していたら、娘さんと孫さんの写真が出てきたので、なぜ送ったのか書かれた文章を読んだ時です。

内容はうまくまとめられ、世話をした方々の状況も書かれていたのですが、私たちボランティアのことには一言も触れていなかったことです。食事会の帰りは男性ボランティアが徒歩で、あるけなくなって車いすで送ったりいろいろなかかわりと関係がありました。

私は普段はボランティアをことさら強調はしたくないのです。しかし、見たことのない家族に報告をするなら、自分たち専門職だけでかかわり送ったとは片手落ちだと思いました。同じ支援をしてきたものとして横並びに書いてほしかったのです。

このケアマナ(初めに紹介した人とは違った方です)は困ったら私たちのさろんに高齢者を連れてくるのです。今週も食事会がないのに先週から「連れてくる」と帰って行かれました。

私は来られるKさんが好きだから困るだろうと断りを言いませんでしたが、インホーマルサービスを都合に合わせ利用し、さて報告となると頭の端にもないというのはいかがなものでしょう。

これからはますます地域のボランティア力が求められる時代になりました。それなのに仲間として処遇せずに勝手なかかわりに怒りを覚えています。

ボランティアは「ありがとう」の一言でしんどかったことも忘れて、また頑張ろうと思うものです。今回は一言があれば、このケアマネの感謝の気持ちはわかりますからそれだけでよかったのです。それも、私一人で関わったのではありません。サロンのボランティアが心を一つに関わったから余計に悔しいのです。


残り20年

2014-07-09 09:33:45 | 暮らし

私は84歳まで生きられるといいなあとおもっていました。最近気になったのは後12年あまりと思って日を過ごしたら、超えたときどうする?です。

もしそれ以上命があれば、思ったことがうまくいかなかった抜け殻だけになるではないかということです。

後12年ではあまり目立った事には取り掛かれません。でも20年あるとすれば、生まれた子が成人になります。

というのは何か一つ手にすることができる時間があるということではありませんか。それなら最後まで自分のしたいこと、好きなことをこれから見つけて取り組む時間があるということです。

「何をしたいか」自問しました。私は教会に行って聖書を読んでいます。そして願っていることは。イエスさまのように人々を慰め、励まし、癒しができることを願っています。最後まで人とともにいることができ励ますことができたら本望です。

最近図書館で手にした本で、日本古来の治療法で直す方や、中国の気の流れから治療をされている本に出会いました。

すごく説得力があり私でも出来そうに思うのに出会って、残りの人生は、このように人の痛みを取り去り、回復した喜びをともに味わう人生もいいなあーー。これなら力もいらず老いていくにしても喜びを共有できるから今からできるかもしれない。チャレンジしてみたいと今思っています。


広い心がほしい

2014-07-05 08:48:26 | からほりさろん

さろんで最近困ったことが起こります。原因は来られる方の物忘れにあるようです。

たとえば、Aさんは去年にガラスコップを2つ買われました。会では地域の方が不要になった物品を持ってきてくださるので、リサイクル商品として販売しています。安いこともあって余分に買われる方もあります。

Aさんですが「まあこれでいいわ」と持って帰られましたが、数日後「変えてほしい」ではもってきてくださいねと言っていたのです。

頻繁には来られず、時々ですから本人も持ってくるなどは完全に忘れてつい最近ですが「あんた変えたる言うたのにせえへん。そんなことは嫌いや」強い口調で言われました。

「持ってきて」と私が言った言葉は、頭の片隅にもありません。あなたの落ち度だと一方的に思い込まれるようです。それが、またBさんからも、外出の依頼のことでありました。

皆さん認知症とは言いませんが、ご自分の話されたことは意外に記憶になくって、相手方からの行為で損をしたとか不都合と思うことはしっかり記憶にあったり忘れられるのです。

高齢の皆さんの特徴として当然あることなのですが、認知症と普段の言動から理解できているときはまだ余裕があるのですが、まだまだと思っている方からの突然な言葉には、驚いておたおたしてしまいます。そして、時として怒りさえ覚える時があります。

私のゆとりのなさと、狭量な心のなせる業です。もっともっと高齢の方に近づくには許すこと、憐れむこと、信じることが大切と反省しています。