高齢者外出介助の会

さあみんなで出かけましょう!

今日は元気!

2017-01-24 12:01:37 | 日記


来る電車の中で「今日も元気だ」「今日は元気だ」のもとはの使い方で感じる違いを考え考えきました。
今日も元気だ、は昨日も元気だった。明日も元気に違いないと健康で当たり前だと読み取れないですか。
今日は元気だ!昨日のことはわからないけど、今日は元気。明日も元気かどうかわからないと言外に伝わって来るようです。
若いときは今日も明日も元気でしょうが、この年齢では今日は元気がしっくりくると今朝の結論です。
そして思ったのは、今日与えられた健康を感謝して精一杯励もうということだと。明日のことを思い煩うことなく前を向いて与えられたことを進めていくことが今そして今日できる事だと。

家事をしながら考えました。

2017-01-05 13:30:26 | 空堀商店街

お正月に来た娘が「暮れに家に帰ったら同僚から呼び出しで出かけ、みんなで時間を過ごして電車が動いてないので泊まって早朝家に帰ると誰も私が夜家にいなかったことを知らなかった」「ひどいと思えへん」
これの良しあしを議論する気はなく、生まれて低学年までは母親がいないと子供は心細く感じます。しかし、気が付かないくらい成長したのです。

この話をずっと考えていたのです。母を求めてくれる小さなとき一生懸命に育てても子供の意識には記憶が残りません。大きくなって自我が育ってくると「こんな母親は嫌い」反発し、欠点ばかリ言い立てたりします。なんか私も損やと思ったことがありました。

その見えないことてどういうことだろうと考えていると気が付きました。
土の下に種を植え一生懸命水をやりやっと地に姿を現します。ここからが自我が育っていくのですね。土の中は見えないので、水をやりすぎたり、反対に水を忘れたり、良い案倍というのは意外に難しい。でも、それどれ花の形をして育ちますが、しっかりした根には立派な花が。
自我も根っこの上につくのですから見えないところの育て方が大切なのですね。
なんか腑に落ちたのです。

フェイスブックをしながら気が付いたこと。

2017-01-02 13:21:29 | 暮らし



親切にしてほしいなら親切にしなさい。
愛されたいなら愛しなさい。

こんな感じで言葉が並んでいます。

求めなさいそうすれば与えられますは神様にだけの一方通行ですね。

ギブアンドテイクが人間界の掟では。

でもここでそれができるのは今活動中であることと気がついたのです。
高齢になれば自分から人へのプレゼントする蓄えは減ってくることに。
補充できることが少ないのです。でも与えると戻ってくる(これって法則?)とすれば。

プレゼント用の中身を補充するってどうすればいいでしょう。
若い方は具体的なプレゼントができますね。
でもそれができないとすれば、時間をかけて生きてきたことで感じたり思ったり実践してきた言葉を伝える。笑いや歓びを捧げることではないでしょうか。
こんなことを29年の1月2日に思いました。