昨日、今日と怒りの炎でした。
昨日の怒りの原因は外出を依頼するのにボランティアの年令を聞き50歳代の人と数日前に電話があったのです。依頼の目的が私が聞かなかったのではっきりと分からなかったのですが、昨日同じ人から電話があったので、意味を尋ねると「そんなこと言ってない」
以前から、時々「女の人に来てほしい」と、特に女性でなければという理由が無いのに言われることがあり、昔聞いた”ステッキガール”と勘違いしてませんかと私は不愉快になります。
介助お断りと伝えましたら「理由を文章にして出して来い」と。乱暴な言葉で、聞いているのがいやになり、無言で聞くうちに切れてホッとしたのです。
今日は施設から「入所者に説明に来てほしい」というのですが、本人の意向が見えず「とりあえず説明に来て」といわれているようで、私たちの会は、直接利用したいと思った人からであれば、説明に伺いもし、不成立でも、本人の意思ですから殊更気にはしていないのです。
しかし、相手が施設ならば私は具体的でなければ動く気にはなれないのです。人手がまったくないわけではないし、入所者の希望に沿えば何とか対応できると思うからです。施設のこまのように気軽に、扱われたら、資金の無い会はひとたまりもありません。
もう一つは、今日歌舞伎座に同行してと娘さんからの依頼でしたが、幕間の食事で意見が合わず「私たちはあなたの思いどうりに動かねばなら無いのですか。私たちは一緒に行くお母さんの思いを一番に受け取って動くので」と、あまりの過干渉、押し付けにいやになりました。
いわく、ずっと掛かっていて、認知症も治した症例のあるお医者さんで、相談をしながらしているから、そんな仕方は駄目みたいに、自分と先生が大事なのではと思うような話。
私たちは現場で出会う”その方”が大事で顔色や表情、行動に気を配りながらことさら認知症に注目しないで「物忘れのひどい方」と自然な関係づくりをしています。
家族は実際に見ないで、思い込みだけで指示されると違和感があり、気持ちがついていきません。結局、会員に無駄足を踏ませたようになりましたが、言われるままに動くことを引き受ければ、現場のボランティアが一番困るのです。
電話で時々「吠える」ように自分では落ち込むのですが、ボランティアもまた利用者さんも守るためには仕方がない立場だと、力なく自分を納得させています。