高齢者外出介助の会

さあみんなで出かけましょう!

歩道でも危険が!!

2005-10-31 17:43:12 | 外出介助
最近のことです。町の様子や家を見ながら歩道を歩いていました。突然左腕に衝撃を受け持っていたかばんを落としてしまいました。何が起こった??自転車に乗った中学生が私の左腕にぶつかり路肩の方にハンドルを取られ車道を走っていた同級生らしい方にぶつかりそうになりながら何とか立て直して走り出すところでした。ゴメンでも無くそのまま走りだしって行ってしまいました。そのとき、ムッとしました。少し痛みを感じましたが腕を振ってみましたら動いたのでたいした事はないと安心しました。少し時間がたって考えたのですが、やっぱり誤るように話た方が良かったかな?私の子供が高校生の時、同じ高校の生徒が坂道で人にあたり亡くなられるという痛ましい事故がありました。私は今のところ足腰がしっかりしていたから少々の衝撃に耐え、こけ無かったのですがこれは相手にとって幸運だっただけでは無かったでしょうか。もう少し年を取っていたら大きな事故になっていたかもと思ったのです。歩道を自転車で早いスピードを出して走っている子供から大人を見るのですが、大丈夫?といつも思っていました。まさか、私に当たると思わなかっただけなのです。当たられて初めて、自転車に乗る時は家族も一声かけて絶えず注意を御願いしたいと思いました。ぶつかった中学生も家では多分この話しをしないでしょうし、普通の良い子だと思うのです。家族の知らないところで子供達は危ない事をしていることも念頭に注意することは危険を避ける上でも大事だなっと思いました。


嬉しいこと

2005-10-29 00:09:38 | インポート
今日素晴らしいことがありました。以前に書いた方ですが買い物をたくさんたくさん依頼されるKさん。今日も依頼がありました。ちなみに注文は「ポン酢、ウスターソウース、グラニュー糖、卵2パック、柿1キロ分、キャベツ、大根、トマトたくさん、うなぎ2匹、コロッケ10個、メロンパン2個、アンパン2個、バナナ2房、黄粉2つ」でした。いつもこのくらいはあり重たい上にかさ張るのです。始めの2,3回は買いながら運んでいたのですが腕がしんどくて自転車で時間がかかってもいいなと思うようになり、会員に借りたり事務所の近くで借りたりして運んでいました。いつもとなると、迷惑をかけている心苦しさで、自転車が欲しいと思うようになりました。「自転車ください」と神様に祈っていました。今日、いつも自転車を借り迷惑をかけていると気にしていた会員さんが、新しい真っ白な自転車を持って事務所に来られ「この自転車乗れる?」乗ってみました。いい調子です、さらですもの。「乗れるならあげるわ。息子が私にくれたけど乗りなれたほうが良いから」と下さったのです。うそ!!本当!!!嬉しくて言葉がありませんでした。これで、買い物は勿論ですが中央区ならどこでもOKです。5段変速なのです。上町台地なので坂にも苦労していました。買い物は東成区まで運んでいます。そのぐらいなら軽く出かけられると嬉しくて感謝!感謝です。嬉しいことをお知らせしたくなりました。


自宅で住みたい

2005-10-28 08:37:45 | 外出介助
10月27日午後2時から『私たちでつくるグループハウス・宅老所』(さいごまで地域で暮らそう)大阪市宅老所・グループハウス連絡会の発会式と記念対談がありました。
「きのこ老人保健施設」の武田和典さん、「このゆびと~まれ」西村和美さんの対談は心が休まり、私たちの夢を形にされたお二人の強さと暖かさを受け取り力がわいてくる思いがしました。話をお聞きしなが、私たちが関わったIさんを思い出していました。
 Iさんは認知症で重度の範疇に入るのかなと思われる方でした。出会ったときは普通の人という印象でしたが介助に出かけた会員の報告は日ごとに??でした。私も介助に出かけましたが「家族がたいへんだな」と思いました。一人娘さんで足に障害があり、頻繁に外に出たいと言われるIさんの希望に添えないのです。出かけたくなれば、待ったなしで要求されマンションの扉をたたき続けられます。私たちと出かけても疲れたら道の真ん中で大の字になられる方でした。あるとき、部屋にマリアさまが飾ってあるのに気がつきました。クリスチャンだそうで、それから毎日曜日、教会に同行しました。教会に行き始めましたらとても穏やかで、私たちに「娘をお願いします」と言われ、娘さんの将来を案じて居られる気持ちが痛いほど伝わってきました。お付き合いは2年と少しでしたが亡くなられる1ヶ月前まで教会に同行しました。自宅だったから出来たことと思い、地域で生き続けることが出来た幸せを思いました。 



商業の町

2005-10-24 23:16:05 | 外出介助
10月24日、25日バザーをしています。今回は多くの皆さの協力をいただき品物がたくさん集まりました。先週金曜日は20時まで荷物を開くだけで時間が過ぎ、のまず食わず結構過激でした。やっと今日チラシを作り、から堀近辺にまきに出かけました。前から気にかかっていた紙箱屋さんの前を通りかかると、ちょうど店の前にご主人が出てこられたので「話を聞かせて欲しい」というと気楽に中に入れてくださっていろいろ話していただきました。まず、「後継者がいない。自分は13年丁稚奉公から独立し仕事をしてきたが、あつらえの紙箱など最近は店でも作らなくなった。取引先2軒が相次いで倒産し大変だった。私はこの道一筋で、今は年金があるから仕事が続けられている。安い中国製があるから先細りで作り手もいなくなった」私は話を聞いて思ったのですが、大阪はもともと中小企業の盛んな町なのに、家内工業の細かいこのような技術が消えかけているのを見過ごしていくのだろうか。一度消えると復活するのには時間がかかりむだな努力も必要になるのに。何とかできないのだろうかと気になりました。大阪の力がやっぱり落ちてきたのでしょうか。火が消えるように空堀でもなくなっていくのはさびしく思います。都昆布も廃業し八尾に引っ越していかれます。大阪の町や商業を個人では守れませんから、多くの人の知恵を集めて何とかならないのだろうかと考えてしまいました。


携帯電話

2005-10-20 07:40:30 | 外出介助
私たちの会を利用するのに登録制をとっています。ボランティア会員と利用されるお年寄りとがよりよい関係を結び安心して外出を楽しんでほしいとの願いからです。昨日、登録訪問にAさんの所にいきました。いつも、住所だけを聞き尋ねますのですぐに目当ての所に行ける時と、道に迷うときがあります。近くまで行っているのに見当たりません。仕方なく携帯で電話をしたら、道の向こうに手を振っている方がありました。息子さんに出会えた瞬間でした。始めの出会いで心がほぐされたのでしょうがとても良い印象を持ちました。伺うと、やさしそうなお母さんが待っておられ、話すうちにお二人の暖かい関係が見えてきて「良かった」と思いました。お伺いしても、とげとげしたものを感じたりすることがあります。そんな時、私は悲しくなるのです。登録を終え、息子さんの希望もあり買い物に同行しました。買い物を済ませ帰途に着くと心が急がれるのか頭だけが前に進み足が残る様子で体を支えるのに苦労しました。何とか家にたどり着いたら崩れるように玄関に座り込まれ、息子さんに携帯で電話されました。報告だと思います。あせって押されるので本当に繋がってるのかと手元を見て心配になりましたが、間もなく息子さんから連絡が入りホットしました。携帯電話も便利ですが手元を見ていて、認知症になったときボタンが多いのですぐに掛けられるかな?と気になりました。操作のしやすいもっとシンプルな携帯電話を作って欲しいと思ったのです。