今朝地下鉄の中のことです。
天満橋から乗車したら、人を呼ぶ声がするのです。声のほうを見ると、高齢の婦人が呼びかけておられ、娘さんらしい方が「次で下りるから」ととんがった声で答えてられるのです。
空いた席にやっと座り娘さんにも横が空いているから座るように声をかけておられるのですが、当の娘さんは知らん顔で立ったまま。
仕方なく座った席から立ち上がり娘さんの横に移動し谷町4丁目まで立っていかれました。
駅を下りた二人は?と通路を見たら、さっさと足早に娘さんは行かれ、その後を小走りに追いかけて行ってしまわれました。
皆さん!、私だけがこんな風景を見ると胸が痛むのでしょうか?情景を浮かべてください。
最近「手紙」という唄を教えてもらい、会のテーマ音楽にしたいと思うほど私は気に入りました。
その中にある歌詞がまさしく老いていく高齢者の姿を描写しているのです。そして、願いは若い方がその様子や姿を受け入れてほしいというものです。
例えば「あなたと話すとき、何度も同じ話を繰り返しても、その結末をどうかさえぎらずにうなずいて欲しい。あなたにせがまれて繰り返し呼んだ絵本のあたたかな結末はいつも私の心を平和にしてくれた」。
こんな歌詞が続くのですが、歳を重ね体力が落ち、動作も鈍くなってくるその状態を多分身内が一番厳しく受け止めるのでしょか?
本人はどれほどの切ない思いで共におられるのでしょう。
同行を依頼するお年よりは、どんなにか気をつかいながらのことでしょう。また態度によっては「頼まないで不安だけど一人のほうがよかった」と心で思うこともあるでしょう。
たびたびこのような家族を見るとき、関係もわからず勝手に思う私は、「もう少し優しくしてくれないかなー」。二人の時間がとげとするのも、ゆったりした時の流れであっても、あまり時間は違わない。心に残る風景の色が大きく違うだけではないでしょうか。