高齢者外出介助の会

さあみんなで出かけましょう!

選挙後の繰り言

2007-11-25 14:26:02 | 暮らし

先週のこと印刷会社の若い営業マンがやって来た。初めいい加減に帰ってもらおうと思ったのに、どちらがつぼにハマったのか長時間になってしまった。

彼は、会社近くに住んでいる。このたびの市長選挙は行かなかった。「なんで?」「長崎出身やから、関心がない」。

分かっていませんね。大阪がもっともっと元気がなくなったら?

今でも大赤字の大阪市が破綻したら、勿論、夕張のようにはすぐにならないでしょう。しかしぼちぼちなっていくよ。たとえば、企業の優遇サービスもなくなりそれだけでも魅力がなくなる上に、行政からの市民サービスが無くなって来たら、会社の福利厚生だけでは社員サービスが持ちこたえられないこともあるので、サービスの行き届いた市町村に企業が出て行くでしょ。そうなれば、あなたの会社も広告という仕事が出来ないから出て行くでしょうし倒産だってありよ。

いろんな歯車が逆回転を始め、働く所もなくなり大阪が一地方都市になってしまうようになるかも。長崎から出てきたのは仕事があるからでしょう。「大阪に来ても仕事が無い」ようになると考えたことがありますか?だから、住んでいる責任で良い政治を進めてくれる市長は大事なの。それで橋爪さんやったんや。とここまで話し、若いからよけい政治に関心を持ち棄権したらあかん!と大阪のおばさんは言いました。

他府県出身やから、わが町と思えない。イメージできないと聞いたりしたのですが、わが町と思えるような誇りの持てる大阪市になると良いですね。

それにしても、ニュースを読んでいるだけの方を大阪を知っている。愛していると思われたのか投票した市民の皆さんも責任がありますよ。これからの四年間、目を開いて見ていてください。


介助の思い出

2007-11-21 06:46:52 | 外出介助

利用されていた会員が亡くなられました。たまたま会員がお見舞いに行った時亡くなられたことを告げられたのです。

会の設立当初の方で長い付き合いです。忘れがたい思い出も一杯。一度も家族の話をされなかったので、身寄りの無い方だと思っていました。甥、姪が来られていて驚きましたが身内の方に会いほっとしました。

聞くと、30年近く前にふらと家を出て行った。一度行き倒れになっていたのを警察の連絡で静岡まで迎えに行き、一緒に住むのがいやならと家の近くにアパートを借り住まうようにしたが、それも数年で、また居なくなった。出て行ったときも警察に捜査願いを出したけれど音沙汰無く今日になった。

わたしたちの知らない間こんなにかわいがってもらっていたとは知らなかった。残された写真を見ると昔の顔とまったく違う。あんな嬉しそうな顔をしてと、涙ながらに語られました。

思いがけないMさんの過去でした。「東京にお墓参りに行きたい」と会に繋がった方です。三泊四日の旅で大阪に着いたとき「これで五年も十年も命がのびた」と喜ばれたと聞きました。また、写真を見せてもらい良い旅だったのだとわたしも嬉しかったのを思い出します。

こんなに心配していた家族があったのに、どうして家を出てしまわれただろう。心の奥にある苦悩を思いました。

わたしは数週間前から「とても弱っておられる」と聞いていたのです。お見舞いに行こうと思いながら、果たせず悲しい知らせを受け取ったのです。

以前もこのようなことがあり、気になったら必ず会いに行こうと決心していたのにやはり駄目でした。何度も繰り返しているわたしです。出会いは必ず別れに通じます。一期一会といいますが、出会いを意味あるものとして誠実に付き合うことを改めて思いました。


マリンバ コンサート

2007-11-19 12:43:13 | 暮らし

コンサートが終わり大きな催しは今年度終わりました。ホッとしています。

コンサートのチラシをドーンセンター近辺に撒くため地下鉄に乗っていました。ただ座っているのはもったいないと、横の席の方にチラシを出し案内しようと声をかけました。ドーンセンターの場所の説明を始めたら「知っています。私は初代館長をしていました」顔を見知っていないため失礼なことでしたが、この偶然に内心驚きました。そんなこともあるのですね。ただ、ビラまきにこのことで元気がでたのです。

外は風が強く、チラシが飛んだりしましたが、マンションやまた道行く方にも声をかけることができました。

コンサート当日、たまたま、娘さんの受験に同行して大阪に来られていた方ですが、大阪城に行こうと歩いていて、三度声をかけられ大阪城をやめてコンサートに来た。初めてマリンバを聴き和やかな時間を過ごせ楽しかったと書いて頂きました。

他にも、人生で始めてのコンサート。とても楽しかった。また、生まれつき貧しくこういう機会が無かった。癒された。と多くの方々の感想を残して頂きました。蛇足ですが当日の最高齢は81歳の方でした。

皆様に励まされ、もっともっと開催して欲しいと期待して待ってくださっていることに元気と継続する気力を頂いたコンサートでした。


残念!

2007-11-18 23:46:20 | 暮らし

残念!大阪市民の選択ですから何もいえません。実は、大阪府民のわたしは選挙権がありませんでした。でも、大阪が元気になるマニフェストを出され橋爪紳也さんに期待をしたのです。大阪市が変われば大阪府も変わると。

大赤字の大阪をどう運ぶかご自分で案らしきものを持たれていない方に決まったようです。党優先。党利優先になれば、今より悪くなるのではと案じます。一人一人が実感しなければ分からないなら仕方ありません。

本当に残念なのは立派な候補者を落としたことです。でも、わたしも深く今回の選挙のように関わらなかったら政党がどんなものか知らずに居たことでしょう。

これからは、党を見ない。人物をもっとよく見るようにします。”党”は利益だけです。わたしたちの生活を良くしようと取り組んでいるなどは過去のことですね。しいて言えば、日本は東京集中ですから、東京の政治を地方に持ち込んでいるようにこのたびは感じました。もっと、もっと、市民の皆様目覚めてください。このたびは、そんなことを思った選挙戦でした。


終わりの日とコンサート

2007-11-17 17:48:52 | 外出介助

いよいよ最終日となりました。

選挙に行ってくださいと連日書いているのですが、受け取っていただいた皆様の中に、しらけた気持ちを持ってられる方も居られるでしょう。「あんなに言っても選挙が終わったらみんな忘れてしまうだろう」とか「お願いします」といっても投票日までだろう。等々。

橋爪さんのマニフェストは口約束と違います。必ず形にされます。わたしたちと話し合ってご自分で採用されたものです。もし何も無かったら応援した勝手連も黙っていません。時間のかかるものもあると思います。それは、支援してくださった皆さんが粘り強く橋爪さんを応援しご支援くださることで実現していくと信じます。

市役所の改革もあげておられます。政党のバックが無いことは、議会も職員、全てを相手にすることです。選挙に勝ってもこれで終わりと皆様が手を引けばやはり実現しません。これからは、議会へも足を運び関心を持ち続けてください。

わたしは「お願いします」と連呼しチラシを配りました。今回は真剣でしたから、このときだけやんと思わなかったのです。「橋爪紳也さんを知ってほしい」の一心でした。良い改革を持って立ち上がった橋爪さんに、市長の席についてほしいとそれだけでした。だから、皆様わたしたち勝手連の心からのお願いだったことも知ってください。

明日は必ず投票にお願いします。

話しが変わりますが、コンサート終わりました。

天気に恵まれ無事に終わりました。皆様楽しんでいただけたようで、多くの励ましのアンケートを頂きました。実母の介護から時間を割いて駆けつけてくださった方もあり感激しました。

参加いただいた皆様の励ましが次回へのエネルギーになります。また、住友生命様ボランティアの方々、中央区のボランティアの皆様ありがとうございました。きてくださった皆様ありがとうございました。次回春は大阪ガスマンドリンクラブの皆様です。お楽しみに。