高齢者外出介助の会

さあみんなで出かけましょう!

遠足

2008-10-17 07:44:46 | 外出介助

昨日は遠足に大川の船に乗って観光をしました。新しい蛍町まで行くことが出来ました。

ここまで電車で行くとごみごみした街中をすり抜けて歩かねばなりませんが、船ですいすい。ゆったりした時間の流れの中楽しみました。

川から橋の上を行く人たちを見ましたが、皆さん忙しそうにせかせかと進んで行かれ、立ち止まって川を見るゆとりも無いのかなと・・・・。出会う船の乗客と手を振り挨拶を交わしながら頭の中で、日ごろの自分の姿を思っていました。

青い空が天井で心まで開放され気持ちの晴れる乗船でした。

さて、遠足は終わり日常に戻ります。

サロンで人形つくりをしているのはご存知でしょう。このたび、おなじみの園田苑の20周年にお声がかかり、お祝いにとつたないおばあさん人形を作りました。

人形の本で見ていたときは、「何でおばあさん人形」と思っていたのですが、出来上がったらかわいいのです。

それで、人形で赤ちゃんからおばあさんまで挑戦し作ろうと意欲が湧いてきました。これからゆっくりと作っていきます。出来上がったらからほりサロンに飾ります。楽しみがまた増えました。


自宅で最期を迎えられる町に

2008-10-14 15:43:34 | 暮らし

10月5日シンポジュウムに行きました。

このときから頭は最期を自宅で迎えることが出来る町にどうしたら出来るかを考え続けています。

まとまりもなく話したい思いに駆られ発言したのですが桜井先生(シンポジスト開業医)は私の言葉尻を捕らえ「何で家で死ねへんの?死ねへんと思うの?」迫られました。気がつけば、私の覚悟があれば死は迎えられるのです。

皆さんできるのですよ。よく高齢の皆さんが話で「子供の言うのを聞かな面倒見てもらえへん」といって引越しされていきますが、子供さんの都合で老人ホームか病院で最期を迎えることにならないでしょうか?

それなら住み慣れた自宅で、最期を迎えられるようしませんか。専門家との関係つくりと近隣のたすけあいの輪があれば望むまで暮らせる町になると希望を持つのですが。

サロンで最後まで暮らせる町にしたい願いを実現に向け知恵を出し合いませんか。

自宅で最期を迎えるのは私達の子供時代は当たり前でした。いつの間にか病院になりましたが、シンポジュウムで語られたのは、「命を次世代につなぐ」こと。これが出来ると事例で話してくださいました。

故人の葬儀で孫さんが遺族代表で挨拶され「祖母の看病に一生懸命だった父を尊敬するということと。命を考えて生きる」と言う話だったそうです。すご~~いと思ったのです。

聖書にも祝宴の家に行くよりは喪中の家に行くほうがよい。そこには、全ての人の終わりがあり、・・・・というような記述があります。どのように生きてこられたのか、その人を知ることが出来心に留めるようになると。またこのように大きな意味を子、孫に伝えられるのだと。


超豪華な人生

2008-10-11 08:53:51 | 外出介助

朝から曽野綾子の「心にせまるパウロの言葉」を開いていました。そのなかに「私たちの人生は、我々の買うレディメードの服と違って、一人一人デザインの違うオーダーメイドの服のように豪華である」に目が留まりました。

私の人生も超豪華と言えるなあ~と思えるのです。

十年以上前になりますが、このままでは意外に平凡な人生と振り返って思うときがあるだろうと考えを巡らせていた頃がありました。それから意外や本当に荒波にのまれ翻弄された時期があり「これで本格的な人生や」と今は思って楽しめるようになりました。

介助で病院に同行しお茶を飲みながらの話し「私は二番目の姉にいじめられた。いけずな姉で」と聞きました。私の子供時代。私も二番目で兄弟の間に挟まれいつもいらだち怒っていたように思い、「寂しかったんでしょうね」といいました。

兄弟の思い出、父親との親子の情景などを思い出され「そうや!姉は寂しかったんですね。84歳になって分かりました。姉に対する態度を変えんとあかんな」

人生にかかわりを持った人たちに今も恨みや怨み許せない感情を持ち越したままで過ごされていたこと。朝、曽野綾子さんの本で改めて思い出し、本当に超豪華な特注の人生をそれぞれが生かされているのだと感動を覚えました。