高齢者外出介助の会

さあみんなで出かけましょう!

思い出したこと

2015-09-05 16:31:18 | 外出介助

藤川幸之助さんの文に 「介護もまた、太陽のように母の役に立たなければと肩に力が入っていた。今では何もしないで母のそばにじっと寄りそい、静かに座っておくことも大切な時間だと思えるようになった」 とあります。
あるとき厚生省の発行している「厚生」の取材を受けました。外出介助に同行し取材を希望されました。会員と一緒に取材で同行されその時の感想を聞きました。「見守るのですね」そうなんです。私たちは自分のペースではなく依頼者の時間に合わせています。ヘルパーさんなどはどうしても時間に制約があるので、結局自分のペースに誘導してしまいがちです。私たちは活動の初めから「あわてているのはボランティアですよ。高齢の方は1日がその外出だけということもありますよ」あくまでも、高齢者に合わせるのが原則と心していました。

私にはそれで失敗があります。いつものようにパーキンソンでも意欲的に外出されていたKさんに同行しました。用事は終えて昼食のため食堂に入りました。私はどうしても早食いで早々に食べてしまいました。Kさんはゆっくりで、手が自由になりません。食べ終わるまでゆっくり見てと思っているうちに眠ってしまったらしいのです。そして、ハッと目を覚ましてkさんを見るとまだ食事中。ホッとした記憶が残っています。
今それを思いだしています。それにしても、ヘルパーさんの時間はせわしなくなりましたね。

なんか悩ましい

2015-09-03 21:25:19 | からほりさろん

9月12日「ケアカフェ」と銘打って、地域包括ケアシステムの参加型講演会を他団体と一緒に開きます。打ち合わせの段階で今はなんか私の考えではない方向に行っている。というのは私はボランティア活動を私の年齢の半分以上続けてきました。なぜって?その間にも資格を取ろうと思えば取れると、ボランティアコーディネーター、いのちの電話相談員、家庭看護30数時間、手引きの講習みっちり2日。自分の思うままに動いてきましたが、専門家にはなりませんでした。ヘルパー制度ができる前からでその時私はボランティアとして関わっていきたい。専門家は視野が狭くなる。もっと開かれた眼で視野を広げ、関わりたいと思ったのが専門家という資格からは離れた理由です。
私は普通の生活を見て普通にかかわり必要な時に支えたい。専門家の方はその必要な時のかかわりが大事で、思うところに運ぶのは、私たち普通の生活者と思うのです。最近はやはり考えが違うのかなと思うことが・・。地域包括ケアシステムと聞きなれない言葉ですが国から降りてきたらしいです。どの地域でも作る様に固い言葉で業務命令、内容はまかされているらしい。最近講演を聞きに行き感じたのは、関係者が一生懸命にしようとされていることはひしひしと感じました。でも私はやはり違うと思うのです。主体は誰?地域の人ではないですか。聞いていて強く思いました。今回もここが抜け落ちるようなら考えます。人の暮らしを必要な時支えるのが専門家と思うのです。それも主導するのではなく必要に応じて。あくまでも、普通の暮らしを支え、その心を伝えていくのがボランティアではと強く思っています。なんかもやもやしています。