高齢者外出介助の会

さあみんなで出かけましょう!

最後の言葉

2016-08-15 10:06:20 | 思い出

日曜日電車に乗っていたら頭の奥から忘れられない声が。それも2つも。
一つはMさんから「来てほしい」もう一つは、姑の「自分を捨てた」です。
Mさんはわざわざ電話がありました。そこまで切羽詰まっていると思えなかったので「時間できたら行くね」心のこもらない答えです。
それが数日後に亡くなったと関係者から連絡をもらいました。
しまった。最後に話をしたかったのだろうに、感性が鈍い私でした。これ以降はなるべく自分が気になったら訪ねるようになりました。

姑の言葉は聞き直さなかったことが悔やまれるのです。
認知症もありましたが、はっきりと声が出ていました。
推測ですが、最後まで自宅にこだわったので、自宅に住めるよう応援をし介護に通っていました。
それがあるときヘルパーさんから連絡があり「ベットの下に倒れて」連絡があり慌てて訪ねました。
その後すぐによくなると思たのですが、相談では入院を進められそのままずるずると入院が延びていました。
いつものように見舞いに行った時の言葉です。
その後私はこの言葉をずっと宿題の様に抱えています。
今思っているのは、治って帰っても一人ならこのまま病院に居たいと気持ちが萎えていたのかということ。
その時に「早く治して家においで」と言ってあげていたら、もう少し元気だったかなとひっかかっています。
人の発した言葉に敏感に受け取っていれば後悔もないのでしょうが残念なのです。

不毛な会話

2016-04-09 06:11:06 | 思い出

私が間違っているのかなー。

昨日ある場所で一度聞こうと思っていた団体の一応統括する立場の方に会いました。
「私の預けた写真が戻ってこないのだけど」相手は??。誰が担当していました?
いつでした?私は知らないので。

私の所とは比べられない大きさで、参加するときその団体の催しに興味を持って
参加するけど誰が担当って・・、知っていかれますか?
直近ならまだ記憶にあるかもしれませんが。

押し問答でめんどくさくなって「もう写真いりません」
なぜ写真かと言うと50周年お祝いの会をする前段階で、何年ごろ活動しておられて
皆さんに参加くださいとお誘いがあって、誰かに出会うかなーと出かけました。

そして古い写真があればお持ちくださいと言うものでしたので、私も30代頃から
始めたグループの写真、その団体が参加して立ち上げた活動拠点の当時の写真など
を持って行ったのでした。

そして良かったら貸してくださいと言うので茶封筒に入れ名前を書いて預けました。

使われても、使われなくても終われば返却されると思っていました。それが
まだなので一度聞こうと思っていたら、出会ったのです。

私の話し方が当時の具体性がなく理解できなかったのかしれませんが、立場であれば
もう少し違ってもと思うのは私に非があったのか昨日から思い続けているのです。

私ならどういったかな?









嬉しい出会い

2015-12-21 08:37:58 | 思い出

昨日は哲学カフェに行っていました。終わっ時、横に座っていた方から声をかけられました。
「あなたのフェイスブック見て、この哲学カフェを知った」それで参加されたようです。
そして、私は次に話された言葉も嬉しかったのです。

介護保険が始まる前から、外出介助の会をしてられて凄いね。それもボランティアで。20年以上続けてるって!

私は嬉しくなって、最近聞いた「ボランティアて無責任であてにならない発言に憤った」と。それは、定年後の男性のボランティアが良く言うセリフやと言葉が帰ってきました。

そうなんですね。

38年前になりますが、ボランティアを始める時講座で聞いたのが責任と基本的人権の尊重、約束を守る、家族の理解、などで後は忘れたのですが。

だから、当会の活動でも他のボランティアでも、もし誰かが行けなかったら代わりを出して依頼者にこたえてきました。そんな基本を学んでいないと私は腹立たしく思ったのです。
今、こんなボランティア感が横行しているのです。

安易になんでもボランティアといって人集めをされるので、そんなもんだという事になるのでしょうか。イベントボランティアにボランティアの理念を語ることもないですね。

無償で続けてきたことを感動してくださった言葉で、最近悔しかった思いがまた噴き出してきた一瞬でした。

告白のブルース

2015-10-24 19:12:36 | 思い出

今日植本祭にました。今日の予定がなかったのが大きな理由ですが、本に興味があるのと数人の方々から、いろいろな方法でお誘いいただき行く気になりました。

顕在屋 はるさんの誘いも興味をそそりました。というのは空堀にある往来というスペースで暇活というイベントがあった折参加したのが出会いです。当日の講師役で面白かったので会いたいなと・・。

前置きはここまで。今日参加したところはブルースを聞きながらというタイトルで、タイトルの最後にブルースを付けるという約束。

私は中学時代の失敗を話したくなり上のタイトルにしました。

3年生最後の運動会でそれも最後のリレーで優勝が決まるというので先生も活を入れに来られました。私がトップランナーでリレーは始まりました。

私は中学生の時はチビで他の5人は私より大きく特に中の2人は小学校ではリレーに一緒のクラスで出た中で、背も高いのです。そんな人と一緒にスタートです。トラックを回っているのに3人が横一線で中に入れません。途中でいつまでこうなのと思ってスピードを落として3番目につき結局ラストスパートすることなく3着でゴールをしたのです。

今も思い出すと、何故終わりにスピードを再び出さなかったと悔しいのです。そして自分の取った態度も見苦しいものでした。自分がスピードを落とした言い訳に足が痛かったと嘘をついたのです。それが今も心に引っかかっています。

また何かを始める時それが思い出され、後で後悔するかもしれないと思ったら、今は逃げないでチャレンジしているとこれで得た自分の教訓を告白しました。

誰かに失敗を話したくなったのもありますが、みんな限られた時間しかありませんから、私の失敗でも頭の片隅に置いてもらって、チャレンジする種になったらと話しました。


時間

2015-02-10 05:18:20 | 思い出

聖書に「時がある」という内容の言葉があります。その時に想いがあれこれ巡って。若い時「時」を駆け足で過ごしたとこの日曜日教会でメッセージを聞きながらふと思ったのです。なぜ、あんなに急いだのだろう?時は誰にも24時間で使い方次第です。今思うのは味わって過ごせたらよかった。引っかかるのは私が36歳からボランティアに夢中になり子育てにじっくり取り組まなかったという思いです。なぜかというと今100%好きなことで時間が過ごせるから思うのだという事。それと70歳を過ぎて周りの高齢の皆さんを見ると「時間が余る」感じです。1日がここまでになるならもっと子供との時間をかけても今の時は持てた少し残念な気がしています。こんな思いなのにまた次なることが気になってまた駆け足になりそうで、ゆっくり、ゆっくり丁寧に一日を過ごそうと自戒。