半透明記録

もやもや日記

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『うつつにぞ見る』

2008年08月21日 | 読書日記ー日本
内田百間(ちくま文庫「内田百間集成18」)


《内容》
「総理大臣などと云うものは好きではない。そう云う人の所へこっちから出掛けて行くなぞいやな事で、第一、見っともなくて、滑稽ではありませんか。……来る心配はないが、来ても家が狭いからお通しするのに迷惑する。まあそんな事はよしましょう」(「丁字茄子」より)吉田茂、徳川夢声、菊池寛、初代吉右衛門、三代目小さん、蒙禿少尉……有名無名を問わず百間先生独特の人間観があふれる人物論集。


《この一文》
“「ここだ、ここだ」と云う声がした。
 豊島が座席から起ち上がり、窓縁に両手を突いて窓の下を見た。
「あっ、女が轢かれている。君、若い女らしいよ」
 急いで窓を開けて、半身を乗り出した。
 私は不意に全身が硬ばった様な気がした。身動きも出来ない。
「君、そんなものを見るのはよせ」
「なぜさ」
「よしたまえ。気持が悪いじゃないか」
「我我はあらゆる現実の事相に直面しなければいけないんだ。そうだろう。君ものぞいて見たまえ」
「いやだ」
「胴体が腰のあたりから切れているんだ。赤い腰巻をしているよ。一寸見て見たまえ」
「沢山」
「腰から上の方はそっち側かな」と云いながら、彼は通路を跨がって向う側の窓をのぞいた。
「ないね、きっと僕達のこの下だろう」
    ―――「黒い緋鯉」より ”



そういうつもりはなかったのですが、このごろの風はどこか秋めいて胸は高鳴るも頭の方は大分とすっきりしてきた私は、長らく雑然とさせるままの書棚を整理しようと思った矢先、思わず本書を手に取り読み進めてしまいました。書棚の整理はまあまた今度。

本書は以前にもすでに何度か読んだことがあるので、あちらこちらに読んだ覚えがありました。しかし幸いにして、忘れっぽい私の頭はすべてをきれいに覚えているわけではなかったので、今回も十分に楽しめます。どちらかというと、まるで初めて読むように楽しめました。

どれもこれも、ちょっと信じられないくらいに面白い。どうしてこれっぽっちの何でもないことについてをこんなに面白く書くことが出来るのか、まるで魔術のような文章に、例によって目が眩み、動悸はますます激しく打ちます。このまま心臓がこわれて死んでしまうのではないかと思うほどです。もしそんなことになったら、どうか皆さん悲しんだりしないで「よくやった!」と拍手を送ってください。名文の前に薄ら笑いを浮かべたまま絶命。そいつは最高だ。
しかし、どきどきするのは最初のほうだけで、そのうちに一転落ち着いてきます。あまりに集中していて、どきどきも忘れるようです。百間先生の文章は結局のところ私を鎮静させるので、やはり私は長生きしそうな気がしてきます。


さて、人を馬鹿にしたような相変わらずの面白さや、弟子や恩人の死に接して淡々としたなかにも深い悲しみを綴ってあったりするなかでも特に、今回とりわけ「おや」と思ったのは、「黒い緋鯉」。副題に「豊島与志雄君の断片」とあります。豊島与志雄氏といえば、私が先日読んだユーゴーの『死刑囚最後の日』の訳者の先生ではありませんか。こんなところでそのお名前に出くわすとはついぞ思いもしませんでした。前に読んだときは豊島先生を知らなかったので気がつきませんでした。この人は、この時代の人だったのか。ついでに、お二人とも機関学校で教職に就いたのは、先に英語の教師として赴任していた芥川龍之介の紹介なのだそうです。こういうふうに、人間はつながっているのですね。

それで、「黒い緋鯉」を読んでみると、さすがに『死刑囚最後の日』を訳されるだけのことはあるなと、豊島先生の人となりに関してとても腑に落ちました。『死刑囚~』はギロチンによって処刑される一死刑囚の手記という体裁の作品ですが、「黒い緋鯉」のなかで豊島先生は、百間先生とともに横須賀の機関学校へ向かう汽車に乗っていて、ある時その汽車が若い女性を轢いてしまい、ふたつに分かれてしまった胴体を、青ざめる百間先生をよそに、窓から身を乗り出して見物したそうです。なるほど、すごく分かります。
ついでに驚いたことには、当時まだ若かった百間先生をその後長く続くことになる借金生活の第一歩へと導いたのが、この豊島先生だったのだそうです。やはりユーゴーの『レ・ミゼラブル』を翻訳したのを50万部だか売って大儲けした、浪費家だったらしい豊島先生。この人についても、かなり知りたくなってきました。

面白いから最後まで一息に読んでも良かったのですが、この豊島先生の段で十分満足してしまったので、今回はここでやめました。でも、ちょっと気になったので、中を飛ばしておしまいの方をめくってみたら、そのあたりは「読んだことがあるけど忘れている」というレベルではなく、本当に初めて読んだのだと思います。表題の「うつつにぞ見る」もたぶん今になってようやく読みました。

こんな感じで、百間先生の本には、たちまち満足させられてしまうのでした。だからいつも全部を読んでしまうことが出来ません。好きで好きでたまらなくても、そればかりはどうしようもないのでした。