半透明記録

もやもや日記

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『ウェイクアップコール ~宇宙飛行士が見つめた地球~』

2008年02月05日 | 映像
NHKスペシャル

《番組紹介》
スペースシャトルなどの宇宙の1日は、ヒューストン管制センターから送られてくるウェイクアップコールで始まる。
管制官が ”This is Huston, good morning”と呼びかけ、2分あまりの<目覚めの曲>を流す。曲は宇宙飛行士自らのリクエストもあれば、家族や友人、地上スタッフからのプレゼントの場合もある。

あるアメリカ人飛行士は、同級生が、「同時多発テロ」で使われた飛行機のパイロットだった。宇宙から貿易センタービルの煙が見えたという。
イスラエル初の宇宙飛行士もいる。愛国者として知られていた彼は、宇宙で「地球人類の一員」だと感じるようになった。
そして日本人宇宙飛行士、野口聡一さん。彼がリクエストしたのは、SMAPの「世界に一つだけの花」だった・・・。
宇宙飛行士たちは、400キロの周回軌道から、どのように地上の出来事を見つめていたのだろうか。

番組では「21世紀の傷ついた地球」をどう救うか、飛行士の宇宙からの思いで綴る叙情詩的メッセージを試みる。
         『NHKオンライン』より



ゆうべ総合で夜10時から再放送されていました。
私は昨日は熱があったのではやく寝ようと思っていたのに、ついつい見てしまいました。熱が出るとどうもうまく感情の制御が効かなくなるせいもあってか、私は番組の半ばで涙を止めることができなくなり、その涙というのは宇宙では地上と同じようには流れることがないのだということを知ってさらに涙が溢れるのでした。


宇宙から見た地球というのは、やはり圧倒的に美しい。

番組は、その地球の美しさと、地上における主に争いによる悲しみとを対比させてうまく構成してありました。私はまんまと制作者の思惑どおりに心を動かされてしまいましたが、しかし事実として地球の水の青さ、薄い大気の層の色の変化、それを取り囲む無限のような深い闇、太陽の強い光、ひっそりと佇む月、どれもこれも震えるほどに美しかったのです。
そして、それと同じように美しいのが、スペースシャトル(打ち上げの瞬間のあの重力に逆らって重そうに上昇するあの姿は何度見ても感動的)、壮麗な宇宙ステーション(あんな構造物が宇宙空間に浮かんでいるのです。なんという偉業だろうか)、といった人間の科学技術の結晶の美しさでした。
さらにまた、そうやってとうとう宇宙まで到達した人々のもとへ届けられる歌の美しさもありました。私は例によって " What a wonderful world " が流れるのを聴いて涙が迸るのを抑えきれなかったです。この曲は何でもない時に聴いても涙が出てきます。あまりに美しいから。言葉もメロディーも。

そうやって、宇宙から見たときの地球が美しければ美しいほどに、それを見つめる宇宙飛行士の心には繰り返される争いによる悲しみと痛み(ステーションの中からもビルが崩れ落ちた時の煙が長々と南へ延びているのが見え、戦闘による光が明滅しているのが見えるらしい)の先に、地上では感じなかったような変化が起こるようでした。

私がもっとも心を打たれたのは、イスラエル初の宇宙飛行士のエピソードです。彼はイスラエル軍の英雄で、宇宙への出発前には自分がユダヤ人であるということを深く自覚し、その気持ちを宇宙でもアピールしようと思っていたそうです。ところが、宇宙へ出て1週間ばかり経ったある日、彼は突然に「自分はただ、この地球上で人間であるだけなのだ」というようなことに気が付いたらしい。「生まれ変わった」とさえ思えたらしい。
そして帰還の日を迎え、彼はあと15分で地上に戻れるはずでした。彼等が乗っていたのは「コロンビア」。飛び散った残骸の中から、彼の手記が発見されたのでした。
どうして、どうして彼が戻ってこられなかったのだろう。彼以外の乗組員たちも、どうして。もしも帰還を果たせていたら、きっと彼等は多くのことを語ってくれただろうに。
私はこのことに、道のりの遠さと険しさを感じないではいられません。

それでも、ここには希望しかないとも思えるのです。人間を変え得る何かがここにはあって、悲しみも苦悩も乗り越えてそこへ向かって進んでいく人々を、そのために技術を発展させようとする人々を、その美しさを私は心から美しいと思います。
彼等の努力の成果によって、いつか誰もが外からこの惑星を自分の目で見られる日が来るでしょう。そうしたら、私たちはとうとうみんな美しく変わることができるでしょうか。それとも、欲望と争いを外へまで持ち出すことになるだけでしょうか。
いずれにせよ、私たちは、ただもっと遠くまで行きたいだけなのかもしれません。遠いということと、美しいということはよく似ていると思いませんか。