半透明記録

もやもや日記

『ムッシュー・テスト』

2005年02月22日 | 読書日記ーフランス
ポール・ヴァレリー作 清水徹訳(岩波文庫)



《内容》

透明な知性と繊細な詩的
感性によって20世紀前半
のフランスを代表するヴ
ァレリー。「ムッシュー・
テストと劇場で」は若き
日の内的危機から誕生し
た。作者の分身エドモン・
テストをめぐる思索は、
その後もエロティシズム、
近代批判など様々な視座
から試みられ、連作小説は生涯書き継がれ
た。強靱な頭脳はいかなる姿態を示すか。


《この一文》

”  一種の個人的祈り。
  《わたしの眼を覚ましてくれたあの不正、あの侮辱に、わたしは感謝いたします。その不正と侮辱の生々しい感覚が、その滑稽なる原因からはるか遠くへとわたしを投げやって、まだわたしに自分の思想の力と思想への志向をつよくあたえてくれたので、結局わたしの仕事はわたしの怒りから利得をあげたほどなのです。つまり、わたし自身の法則の探索は偶発事を利用したのです》
        --「ムッシュー・テスト航海日誌抄」より  ”



最近、つい自分の理解できる限界をはるかに越えたものを読んでしまいます。
「読んだ」というよりはむしろ「文字を追ってどうにか最後の頁に至った」といったほうが正しいです。
しかし、落ち着いて考えてみると、これまで読んできたものについても、私は果たしてどのくらい正確に「読んだ」のか疑問です。
ちょっと恐ろしくなってきました。
ともかく、このような圧倒的に理解不可能なものにでくわすことは、現段階での自分の思考力に対して、ひとつの目安を持つことができるという収穫をもたらします。
いつか少しは理解できるようになるのでしょうか。
そのためには冷静に考えるということが出来ない自分を情けないと思いつつも、問題に立ち向かわねばならないのかもしれません。

最新の画像もっと見る

コメントを投稿